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taiken blogブログでは、僕が気になっている柔道家やその関係者をインタビュー形式で紹介で紹介します。

「俺が家族を支えなきゃ」。沖縄の柔道家たちに捧ぐ、信念の物語。#001 神谷快

「なにか面白いことがしたい。やりがいがあってそれでいてワクワク出来て、たくさんの人たちを元気に出来ることを」

 

盛り上がったお酒の席で目をキラキラ輝かせながらそんな話をしている。これはいわゆる「意識高い系」たちの間ではよく目にする光景だ。

 

夢や理想を語り合うのは自分へのプレッシャーに変わるのと同時に、活動するためのモチベーションにもなる。

 

けれども。

 

「ああしたい」「こうしたい」と話していたことを、実際に計画立てて行動に起こせる人がどれほどいるだろうか。思い描いていた理想と現実とのギャップに戦意を失い、あきらめてしまった人たちを何人も見てきた。

 

ちなみに「夢を諦めた理由」ググると、諦めた時期は平均で24歳。理由には「才能の限界を感じたから」が最も多く挙げられており、なんとも歯痒い結果である。

 

夢があっても、アツい気持ちだけではどうにもならないのかも知れない。

 

*** 

 

僕は「意識高い系」が「痛い」とか「うざったい」なんて話がしたいのではない。

 

ただ、自己アピールに中身が伴っていなかったり前向きさが空回りしていたり。上手くいかない現実にスタミナばかりを消費して、中途半端にあきらめてしまうのは寂しいではないか。

 

Twitterが人気の謎の主婦ことDJあおいさんは「意識高い系」と「本当に意識の高い人」との違いについてこう話している。

 

意識しているところは


『今の自分がどう見られているのか』 ではなく、
『今後の自分はどうなりたいのか』 なんですね。
だから、本当に意識が高い人というのは
例外なく謙虚であり努力家なんですよ

 

“意識高い系”と、“本当に意識の高い人”との違い【DJあおいの「働く人を応援します!」】│#タウンワークマガジン

 

・・・と、前置きはこれくらいにしておこう。

 

沖縄県出身の柔道選手に持ち前の元気と活力で、まわりを明るくしてくれる人がいる。

 

「沖縄のため、家族のため、応援して支えてくれる人たちのために。みんなに元気や勇気を与えたいって気持ちは、子どもの頃から一貫して変わりませんね」

 

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そう話してくれたのは、神谷快さん。

彼は現在現役の柔道選手として、日本のトップレベルで活躍を続けている。

 

※今回は「柔道」をテーマに、インタビュー形式で取材をさせていただきました。

 

神谷快(カミヤカイ/kai kamiya)
1994年10月6日 沖縄生まれ 三人兄弟の次男
学歴 南風原中→沖縄尚学高校→筑波大学
職業 会社員(京葉ガス所属の柔道選手)


主な実績

・2012 インターハイ 2位

・2015 全日本学生柔道優勝大会優勝(団体)

・2015.16 全日本柔道選手権大会出場

・2016 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 5位

 

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━━ 柔道をはじめたキッカケは?

 

神谷:小さい頃、とにかく落ち着きがなかったようで、心配した母に「武道を習わせよう」と剣道クラブに連れて行かれたんです。だけど、隣でやっていた柔道に興味を持ってそっちを選びました。小学2年生の時ですね。

 

━━ 体力があり余っていたんだろうね。柔道を始めてから〜現在までの柔道歴を印象に残っている出来事と一緒に教えてもらえる?

 

神谷:僕が柔道を始めた「宜野湾署スポーツ少年団」は厳しい練習をして強くなるぞという雰囲気ではなく、”柔道は楽しい”と教えてくれるようなゆるい感じの道場でした。

 

先生が「今日は柔道じゃなくて、みんなでサッカーをしよう」と遊ばせてくれたから練習も笑顔で頑張れたし、厳しさとは無縁のアットホームな環境だったので、すごく楽しかったです。

 

━━ 宜野湾署は強いイメージだから泣きながら厳しい練習をしていると思ってた。

 

神谷:ないないない。本当に楽しく柔道をしてたから(笑)!!

 

そんな環境だったけど、小6くらいには県大会で2位とか3位にはなれました。

 

━━ 中学校は柔道部の強化が始まった南風原中学校に進学。

 

神谷:南風原中ではそれまで楽しくやっていた練習から、一気に本格的な練習に変わって初めて柔道の「厳しさ」を知りました。寮生活だったので生活も一変してそれなりに苦労したんですけど、順調に強くなっている感触も確かにあって。

 

生活に慣れ始めて「よし、頑張るぞ」と思っていた中1の夏に、父が亡くなりました。

 

━━ うん、覚えてる……。ちょうど小さな大会があったんだけど、快は来てなくて。それで気になって南風原中のメンバーから教えてもらった。

 

神谷:落ち込むじゃないですか?家族みんながどんよりしてて、とてもじゃないけど前向きになんてなれない。悲しくて悲しくて仕方がなかったある日、母が一人で泣いている姿を見たんです。

 

その時に「俺が家族を支えなきゃ。俺がやんなきゃ。強くなんなきゃ駄目だ」って、自分の中で何かが変わって。

 

それからは本当に血の滲むような努力をしました。練習がキツくなったら叫ぶように声を張り上げて、毎日泣きながら稽古していました。

 

━━ いま振り返るとここが転機になったのかな。それから直ぐの県大会を1年生で優勝していたけど、決して順風満帆じゃなかったんだ……。

 

神谷:当時、沖縄県の中学柔道界って戦国時代だったじゃないですか?ライバルたちにも恵まれてメキメキと力がつきました。

 

ただその中でも「強くなりたい強くなりたい。なにクソ。お前らとは違うんだ。こっちは辛いことも経験してるんだ。負けてらんねえんだよ」って気持ちは常にあって。

 

小学生の頃は負けてもヘラヘラして、悔しさなんて感じたことがなかったので、そう考えるとけっこうな変化だったと思います。

 

━━ たしかに。小学生の頃と比べると、想像もつかないような変化だよね。中3の中体連では見事に全国大会3位入賞。まるで別人だよ。

 

神谷:この大会で結果を出せたことは本当に大きかったです。頑張ってきたことが報われた瞬間だったので、目標に向けて努力するプロセスの大切さを身にしみて感じました。全国で戦える自信もつきましたし。

 

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━━ 高校は県内の名門、沖縄尚学へ。ここで僕らはチームメイトになったんだけど、高校生活はどうだった?

 

神谷:南風原中でお世話になった先生方が沖縄尚学OBだったので、恩返しがしたいとの思いで進学しました。日本一を目標に掲げて始まった高校生活は地獄でしたね(笑)

 

━━ 地獄!!(笑)

 

でも本当に高校時代は気が狂ったように練習してたよなぁ。朝練で使うトラックのタイヤに鉄の重りがめちゃめちゃ入ってて、夜中こっそり抜きに行ったよね。

 

神谷:懐かしい!!あの3年間は死んでも戻りたくないです。

 

━━ むりむり。マジで無理。まあ、そんな高校生活の集大成。インターハイでは見事準優勝。

 

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 ━━ 高校卒業後は筑波大学に進学。大学生活はどうだっだの?

 

(話に関係ないけど、僕の中で当時の柔道強豪大学には、こんなイメージがありました。日大は雑草集団の叩き上げ。国士舘大国士舘大東海大はエリート集団。筑波は天才集団)

 

神谷:これあんまり話してないんですけど、入学して早々に挫折したんですよね。

 

高校では確かにインターハイで2位になれました。だけど「やらされている練習」をしていたので、自主性を重んじる筑波大学に来たら何をすればいいのか分からなくなって......。練習の追い込み方も分かっていたはずなのに分からない。

 

そんなタイミングで出場した関東大会は1回戦敗退。しかも高校時代に何度も勝っていた同学年の選手に負けました。

 

気持ちが入らなくて、柔道が楽しくなくなって、捻挫で1ヶ月くらい練習を休みました。

 

━━ 捻挫で1ヶ月?!これはメンタルきてるね。どうやって立ち直ったの?

 

神谷:1つ上で仲良くしてもらっていた、黒岩先輩という人に「神谷、お前も一緒にウエイトやろう」と誘われたのがきっかけです。

(※黒岩貴信選手 2019全日本実業柔道個人選手権大会 3位)

 

練習終わりに毎日1時間〜2時間ガチガチにウエイトをしてプロテインを飲んで、「じゃあ焼肉行くか」みたいな。腐りかけていた時に「自分が頑張れるコミュニティ」が出来ました。

 

そこでトレーニングをしていると、自分に向き合う時間、自問自答する時間が生まれました。「家族を元気にするために、父に恩返しをするために、信念を持ってやっていたはずなのに、ここで挫けてどうするんだ」って。いままでの悔しかった思いとか、そういうのが一気に込み上げてきて……。

 

「頑張らなくちゃ」「しっかりしなきゃ」って気持ちになって「父が亡くなったあと、俺が家族を元気にしよう」と思った中学1年の気持ちを全部思い出しました。

 

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━━ 過去の頑張りが、今の自分を支えてくれたんだね。挫折を乗り越えたあとはどうだったの?

 

神谷:順調でしたね。大学2年の終わりに初めて全日本選手権出場を決めて「自分はまだまだいける。可能性に満ち溢れてる」って感覚でした。翌年も全日本を決めたし、大学4年では講道館杯で準決勝まで上がったので、気持ちは上向きでした。

 

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━━ 全日本出場はもちろん、講道館杯で準決勝進出は本当にすごい……。

 

ところで筑波大学と言えば、快が3年生の時に団体で大学日本一になってるよね。その話も聴いていいかな?

 

神谷:もちろん!!この話なら3時間くらい語れますよ(笑)

 

まず、僕の1つ上にいい選手が集まったので、大学としてもその代で必ず日本一になるぞと4年計画で準備してたみたいです。それでいよいよその年になった。

 

インカレ前、あの時のチームの雰囲気は常軌を逸してましたね。強い弱い関係なしに部員全員が必死になって、今まで経験したことのない本気で日本一を目指すチームの練習をしていました。朝練から死ぬほど追い込んで、練習後はパワーマックス地獄です。

 

常にアドレナリンが出ていて、自分で自分を盛り上げるって意識が強かった。

 

━━ うわぁ、めちゃめちゃ分かる。僕がいた日大は前年まで3年連続全国大会準優勝だったんだけど、試合1ヶ月前くらいから異様な雰囲気だった。

 

神谷:インカレ、筑波と日大は準決勝であたりましたよね。

 

覚えてますか?1−0日大リードで迎えた大将戦。僕らはみんな、黒岩先輩のことを信じていたんですけど、あの大逆転は鳥肌ものでした。

 

━━ 懐かしい(笑)

 

あの時は本当に悔しかったよ。俺は選手じゃなくてサポートだったけど、泣いたからね。

 

神谷:決勝の相手は全国大会8連覇に挑む”王者”東海大学でした。あいつら、選手が整列した時にズラーっと並ぶメンツがエグいんですよ。

 

だけど2点先取。筑波がリードしました。後半、怒涛の追い上げで2点取り返されて、大将の僕に回って来たんです。2ー2内容も同じで。

 

相手選手には何回か勝っていて相性も良かったので、監督に「伸るか反るか勝負してきていいですか?」と直談判しました。試合は一生懸命やったけど引き分けで、代表選で永瀬さんが勝って優勝を決めました。

(※永瀬貴規選手 2016リオデジャネイロオリンピック 3位)

 

あの日見た、日本武道館の光景は忘れられないです。

 

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━━ 特別な思い出だね。

 

神谷:宝物ですね。かけがえのない財産です。

 

━━ 挫折も経験したけど充実した学生柔道を終えて、今度はいまの所属である京葉ガスに入社して社会人生活がスタート。

 

神谷:僕の柔道人生ここからが凄いんですけど、入社して2週間。世界を目指してやっていくぞ!ってところで前十字靭帯を断裂の大ケガ。

 

初めての大ケガで落ち込むことがなかった訳じゃないけど、大学時代の経験があるから復活の仕方を知っていたので、心は前向きでした。

 

レーニングをしながら体重を増やしたり、柔道が出来るようになってからは大学の先生に相談しながら技の入り方を一から作り直したり。地道にコツコツと復帰を目指しました。

 

━━ やる気満々のタイミングで前十字断裂……。焦りもあったろうに……。 

 

神谷:1年後。なんとか復帰して出場した大会で、加藤さんに勝ったんです。他の日本代表選手とも互角以上に戦えて、怪我をして1年棒にふったけど、まだまだ俺はやれるぞって気持ちでした。強い選手に勝てたことは自信になりましたね。

(※加藤博剛選手 2019全日本選手権 2位)

 

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手応えもあり、その年の実業団で優勝して強化選手を目指そうと考えていました。

 

高いモチベーションで臨んだ、実業団の大会。3回戦で黒岩先輩とあたったんですよ。学生時代、腐りかけていた自分を救ってくれたあの黒岩先輩です。先輩との試合で逆の前十字靭帯を断裂しました。

 

━━ え?

 

神谷:本当に「え?」ですよね(笑)

 

黒岩先輩も「神谷、大丈夫?大丈夫?」ってめちゃめちゃ心配してくるけど、大丈夫じゃねえわ!痛えわ!って思いながら救急車で病院に運ばれました。

 

※神谷さんは「黒岩先輩には返しても返し切れない恩があります。いまの自分があるのは先輩のおかげなんです」とインタビュー中に何度も話していました。

 

━━ いくらアスリートにケガは付き物だと言っても、これは残酷すぎる。

 

神谷:さすがにへばりましたね。ブチブチって音が聞こえた時に「ああ、俺の柔道人生終わったな」って思いました。手術室でも1人で泣いて「こんなに一生懸命やってるのにもう嫌だ」って……。

 

家族を元気にしたい。父に恩返しがしたい。そして「沖縄で柔道をしている子どもたちに元気や勇気を与えたい」と思って柔道を頑張っているけど、もう無理なのかな?

 

1年目で前十字靭帯を断裂して、ケガをしてもこれだけやれるんだよって自分が証明しようと思い続けて来たけど、それももう出来ないのかな?

 

そんなことばかりを考えていました。

 

━━ ケガをした時、駄目になるのは「体」じゃなくて「心」なんだよね。

 

神谷:やっぱり立ち直るまでにはそれなりの時間がかかりました。直ぐに切り替えるなんて出来なかった。まわりに支えられながら少しずつ復活したって感じですね。自分の足で動けるようになって体を動かせるようになって、気持ちが戻っていきました。

 

━━ うんうん。

 

神谷:何事もケガのせいにしたくなかったし、元気が戻ってきた頃には「自分の限界を他人に決められてたまるか」って思えるようになりました。

 

なにより「みんなに元気や勇気を与えたい」ってところは全くブレなかったので、それは俺がやるんだと「信念」を持って生きていこうと決心しました。リハビリ生活が終わって、復活した時の自分を楽しみに頑張ろうって気持ちです。

 

2回目の前十字靭帯断裂は1回目の断裂とは違い、もう駄目だと思った絶望を乗り越えられたことで種類のちがう自信になりました。

 

━━ 大学入学時に経験した挫折はもちろん自分の頑張りもあるけれど、まわりをきっかけに乗り越えることが出来た。社会人になって経験した挫折はどちらかと言うと逆なのかなと。自分の足で立ち上がる「覚悟」が生まれたような。

 

***

 

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━━ 快はどんな人間になりたいの?

 

神谷:しつこくなっちゃうけど「勇気や元気を与えられる人間。自分のまわりはもちろん、沖縄で柔道をしている子どもたちに夢や希望を与えられる選手」でありたいです。

 

━━ 柔道から学んだことと、今の目標を教えて。

 

神谷:学んだことは一生懸命努力することの大切さです。今やっていることが未来に繋がるから、日々の積み重ねと目の前のことを全力で楽しみながら頑張ることは大事だなと。

 

それと、人生のゴールって自分が幸せになることじゃないですか?だからあくまで柔道は自分が幸せになるためのツールの1つだと思っています。

 

それなら別に柔道じゃなくたってなんだっていい訳なんですけど、柔道を通して出会えた人たちはかけがえがないし、努力すれば結果が出る、一生懸命やっていればいいことがあると僕は柔道は教えてもらいました。

 

目標はもう一度全日本選手権に出ることです。人生3度目の全日本。

 

━━ 最後に沖縄で柔道をしている子どもたちに一言お願いします。

 

神谷:コロナ禍でやるせない気持ちになることもあるかと思います。そんな時は落ち込んだっていい。だけど、落ち込んだその先でなんとか自分を奮い立たせて欲しい。人間は落ちた分だけ、たくましく再起出来るから。

 

現状を受け入れて、そこで1つ頑張れるかが大切だと思います。明るい未来を信じています。

 

小学生のみなさんはいっぱい遊んでいろんな経験をして、柔道は楽しいと思ってもらえたら嬉しいです!

 

━━ それでは、このへんで終わりたいと思います。神谷さん今日はありがとうございました。

 

神谷:ありがとうございました!!

 

***

 

エネルギーに満ち溢れた人と話すのは眩しすぎるが故に、逆に疲れると思っている節があったのですが、そんなことなどなく、こっちまで元気になりました。

 

神谷さんの「表の顔」は”元気”とか”パワフル”のイメージが強いんだけど、それはただの明るい人という訳ではなくて、人の痛みが分かるからこその強さであり、優しさなんです。

 

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僕は快と同年代で切磋琢磨出来てよかったと本当に思うよ。これからもお互いの信念に向かって頑張っていきましょう!!

 

Text by 平良賢人 @taiken0422

 

 

今回取材させてもらった神谷選手のSNSはこちら。快、ありがとうございました!

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