絆を感じる、とは。柔道と出会えて、本当に、良かった。高田輝一さんとのはなし #012 高田輝一
※こちらの記事は2020年12月に書いたものです。
第12回はこの人。高田輝一先輩(飲食店自営業)のお話を聞いてきました。
みなさん、輝一先輩を知っている人も知らない人も騙されたと思って最後まで読んでください!きっと心が動く瞬間がありますので!
ちなみに僕はインタビューをした時と1人でこの記事を書いている時に「絆」って素敵だなぁと5回くらい泣きました。
前半は中学から始めた柔道のこと。中盤は生死を彷徨った交通事故とパニック障害。後半は現在先輩が営まれているBARについてです!
高田輝一(タカダキイチ/kiiti takada)
1991年4月18日 沖縄生まれ
学歴 西崎中→豊見城南高校
職歴 飲食店自営業
━━ 柔道を始めたのはいつですか?
高田:小学校6年生の終わりかな。それまではミニバスをしていたんだけど、いとこが柔道をしていたこともあって親父に「中学からは柔道をしたら?」と勧められたのがキッカケで。
━━ 初めての柔道はどうでした?
高田:めちゃめちゃ怖かった。いざ自分がやるとなるとさ、目の前で人がバンバン投げられてるし、先輩とかみんなデカくて威圧感あるし……。
しかもさ、中学生になって直ぐに先輩たちの大会があって応援に行ったんだけど、そこで人の腕が骨折する現場を見ちゃって。
中学生になったばかりの俺にはちょっと衝撃的で「嘘でしょ?いやいや冗談でしょ?……マジかよ。終わった」って感じだった。
━━ それは怖い、、、。辞めようとは思わなかったんですか?
高田:本当はすぐにでも辞めたかったけど、小心者だったから言い出せなくて(笑)
━━ とんでもないところに来てしまったという感じですね(笑)
━━ 中1の柔道生活で印象に残っている出来事ってなにかありますか?
高田:ん〜、ちょっと待ってね。俺、事故にあってから記憶が飛び飛びなんだよな。(事故の話は後半)
そうだ、思い出した。柔道を始めてから1つだけ自分に誓ったことがあってさ。
━━ おお、なんですか!?隠れて自主練とかですか?
高田:んーん、もっと大切なこと。
そう、耳を潰さないこと!!(どーん!)
━━ 「」
高田:なんだろうな。俺の中で「耳が潰れたらモテない」ってイメージがあってさ。先輩たちに寝技で狙われても「耳だけは耳だけは」って頑なに死守してた。
━━ モテるために?
高田:うん、モテるために。
━━ 中2はどうでしたか?
高田:実はさ、俺1度柔道部を辞めてるんだよね。たしか中2の夏前かな?
━━ 初耳です!
高田:みんなには「バスケがやりたいから、柔道部を辞めてバスケ部に入ります」って話していたんだけど、本当は人間関係でごちゃごちゃしちゃって。そういうのが面倒くさくて柔道から逃げたんだよね。バスケはそのための理由づけ。
だけどさ、中途半端な気持ちでバスケ部に移動したところでやっぱりどこか気持ちがついていかない。
結局その年の冬には柔道部に戻ることになったんだけど、そのときは「ああ、やっぱ柔道だよな」って思った。
━━ 柔道部にはどうやって戻ったんですか?
高田:柔道部の同級生が「輝一、戻ってきたらー?」って声をかけてくれて。
恥ずかしかったし「本当に戻っていいの?」って不安だったんだけど、みんながまた快く受け入れてくれてね。
そのとき外部コーチだった先生が「お前は柔道がいいよ。お前の居場所はここだよ」って言ってくれて、一言二言なんだけど中学生ながらにすごく嬉しかった。
━━ そういう何気ない一言って嬉しいですよね。柔道部に戻れてよかったです。
高田:中2は柔道部を離れたり戻ったり、いろいろ悩んでたって記憶だね。
━━ では最高学年になった中3の思い出を聞かせてください。
高田:パッと思い出すのは大会に出るために1週間で10キロ減量したこと!!
━━ 1週間で10キロ!!??
高田:うん。その大会には各階級各学校2名ずつしか出られなくて、俺の階級は部内に3名いたから1人出られなくなる訳なんだけど、大会前監督に呼ばれて「出場枠の関係上、お前は補欠にするから」って言われたのね。
自分の中では2人に差があるなんて思えないし、部内予選だってしていない。一方的に決められたことが納得できなくてさ。
ただ、普段絶対に減量をさせない監督が「まあ1つ下の階級なら枠が空いてるけどね」って一言だけボソッと言って。それが聞こえたから「なら減量でもなんでもして、俺は絶対に大会に出てやる」って意地になって体重を落とした。
━━ ヤバすぎます……。
高田:1週間飲まず食わずで練習して、走って走ってなんとか体重は落とせたけど、そこまででいっぱいいっぱいだった。結局試合は1回戦で負けちゃったから。
━━ そんなの試合どころじゃないです、、、。死にますよ、、、。
高田:ね、俺も死ぬと思った(笑)
━━ (笑えねー!ストイック減量の話って全然笑えないんだよな)
輝一先輩が3年生のとき僕は同じ西崎中学校の1年生でした。先輩の代は「とにかく強かった」ってイメージなんですけど、部内にライバルとかいたんですか?
高田:減量をして階級を落としてからは兼人(※)をずっとライバル視してたよ。
※伊良波兼人先輩
柔道は強くてなかなか勝てないんだけど、なんか気に食わなくて「こいつにはだけは負けたくない」って本気で思ってた。俺は「こいつに勝てれば2回戦負けでもいい」をモチベーションに練習してたから。
結局試合では地区大会2位、県大会3位。全部兼人に負けた。悔しかったなぁ〜。
━━ 兼人先輩って小学生のときからずっと強いじゃないですか?
ほとんど中学生から始めた先輩とはそもそもスタートから違うのに、そんなふうに頑張れることがかっこいいです。あと県3位も立派ですよ!
先輩たちって普段は仲良かったんですか?
高田:3年生のとき同じクラスだったんだけど、しょっちゅう喧嘩してたよ。
兼人っていつも制服を真面目にきっちり着てたのね。俺は着崩すタイプだったから、それが無性にイライラしてその場でボタン全部引きちぎったこともある。まあ同じようにやり返されたんだけど(笑)
━━ 理不尽すぎる(笑)
高田:だけど、今ではめちゃめちゃ仲良いよ。東京から帰ってきたら毎日店に来てくれるし。
━━ 柔道を始めてよかったですか?
高田:よかった。それは本当に。もししてなかったら今みたいに兼人や壮四(※1)、祐(※2)、柔道で知り合えたみんなともこんなふうに仲良くなれていないから。
※1 岩切壮四先輩 ※2 伊禮祐先輩
比べるもんじゃないけどさ、西崎中の柔道部で一緒に「苦しい思い」や「悔しい思い」をした友達と、高校で楽しいことばかりをワーっと遊んできた友達とでは、なんていうか重みが違うんだよな。
俺はさ、勝手にだけど「こいつらとは絆が強いな」って思っちゃってんだよね。
だからそういう友達が得られたことは本当に嬉しいことだから、柔道をしてよかったと思ってるよ。
━━ 素敵、、、。
高田:苦楽を共にするというかね、兼人、壮四、祐は幼稚園から一緒でさ、その輪の中に入れてもらえるのが嬉しいよ。
※ここから高田先輩が大学1年生の冬に経験した「交通事故」と「パニック障害」のお話をします。事故について詳しい症状まで載せているので、苦手な人はとばしてください。
※高校時代の話は割愛しますが、簡単に説明すると「俺達が送りたかった青春第一位」って内容でした。高校にゼロから柔道部を作ったり、でも辞めてヤンチャしたり、と思ったら卒業式では送辞読んでるし、ぜひ本人に聞いてみてください!!
高田:大学1年の冬なんだけど、テスト期間だったからバイクで学校まで向かってて。小学校の前を通りかかったから「スピード落とさなきゃな」と思って、30キロまで減速したところから記憶がない。
ここからは重い話だよ。
━━ はい。お願いします。
高田:病院に運ばれたあとは体の感覚がなくて、自分が何をしたかもどんな状況かも全くわからない。そのままぐったりしていたら「輝一!!輝一!!」って聞き覚えのある声がして、目を開けたらそこには今までに一度も見たことのない顔をしたおかんが泣きながら立ってた。
そんなおかんの顔を見たときに、自分が事故ったことすらわかってないんだけど「俺は人生で一番やってはいけないことをしてしまったんだ」と思って。
真っ先に出た言葉は「ごめんなさい」だった。
俺はずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝ってて、おかんは「大丈夫だよ」ってずっと言ってて。そのへんでまた記憶がなくなった。
━━ 事故後の症状を聞いても良いですか?
高田:うん、大丈夫だよ。
【左半身の強打】
・頭蓋骨骨折
・鼓膜が破れる
・肋骨1本骨折
・脊髄3箇所骨折
・内臓破裂
・肺に1500ml 血がたまる
後々聞いた話だけど「俺はその日で死ぬ」って言われてたみたい。
━━ すみません、ちょっと言葉が出ないです……。
高田:ずっとICUに入ってて、親は俺に何があってもいいようにずっと病院で寝泊り。まだ小さかった妹には会えなかったけど、弟には会えてさ。「兄貴にもし何かあったら俺は生きていけない」ってぐちゃぐちゃに泣いてた。本当に悪いことをしたなって思ったよ。
ICUには4日間入っていたんだけど、覚えているのは本当それくらい。
4日後目を覚ましたら目の前に病院の先生がいて、まあいろんな説明をされたんだけど最後に言われたのが「これから言うことを受け止めてください。高田さんは一生車椅子です」って話だった。
━━ はい。
高田:ショックを受けながら「あー、わかりました」って返事をしたら、先生が「あ、顔も麻痺してますね」って思い出したように付け足してきてさ。さすがに笑えなかったよね。
━━ (先生、軽くね?)
高田:それから段階的に準ICU→二人部屋と移動したんだけど、そのときなんか歩ける気がしたんだよな。
さっそくナースさんを呼んで歩行器持ってきてもらった。
そしたらさ、歩けたんだよ。「やった!!歩けるじゃん!!」って。本当に嬉しくて、歩く練習をしたらトイレも風呂も自分で行けるようになってね。
━━ すげえ、、、奇跡だ、、、。
高田:友達もよくお見舞いに来てくれてたんだけどさ、俺を元気付けようとみんなすっごい明るく入って来るのね。
「輝一!!久しぶりー!!」みたいな感じで。だけど、俺の顔を見たらめっちゃ引くわけよ。顔面麻痺で顔歪んでるし、水飲んだら口からダラーって溢れるし。
正直(みんな顔に出過ぎだよ)って思ったけど、「大丈夫、大丈夫!みんな気にすんな!!」って明るく振る舞うようにしてたなぁ。
━━ 僕だったらたぶん誰とも会いたくないし、そんなふうに友達を気遣うなんて出来ないと思います。
高田:あとさ、壮四がお見舞いに毎日来てくれてたんだよね。
高校からは学校が別々でだんだん疎遠になるというか、中学生の頃みたいにはいかなかったりするじゃん?実際中学を卒業してからはそんなに会ってなかったんだけど、本当に毎日来てくれた。それで俺の状態とかをみんなに連絡してくれてさ。
━━ 壮四先輩、、、。
高田:壮四さ、お見舞いに牛乳とか買ってくるんだよ。「骨折れてるんだろ?カルシウム飲めばくっつくから飲め」とか言ってさ。全然意味わかんないし、くっつくわけないじゃん?それで俺が飲まないでいたら「飲め」ってめちゃめちゃ怒るんだよあいつ。そんなんでよく喧嘩してた。
祐は壮四から俺の話を聞いても「ふざけんな、俺は信じない」って物凄く怒ってた。それが祐なりの願掛けだったみたい。
━━ 泣きそうです……。壮四先輩いい奴すぎるし、祐先輩のその感じも想像できます……。
高田:だいぶ歩けるようになってからは6人部屋に移されたんだけど、それがまあしんどくてしんどくてね。もう我慢できなくなって先生に「今日退院させてください」ってお願いしたら「ふざけないでください」って怒られた。
そのあとも「僕は本気です」って粘ってたら病院のトップたちが部屋に集まってきて「最低でも半年は入院してもらわないと困ります。いま生きていることだってあり得ないのに、歩いているなんてもっとあり得ないんですよ。それにまだ今後なにがあるかだってわからないんですから」って説得されてさ。
そこまで言うなら「わかりました。退院は明日にします」って言って、通うことを約束に翌日退院した。
━━ は?
いやいやいや、医者の言うこと聞いてくださいよ!!
高田:まあ特に大きな手術もなく、いまに至ってるから本当に「ミラクルボーイ」だったよ(笑)
━━ いや、そういうのいいんで。本当にいいんで。
高田:親父といまこの話をしたら、親父も当時いっぱいいっぱいであんまり記憶がないみたいなんだけど、それでも「お前は戻ってきてくれただけで親孝行だよって」って言ってくれたんだよね。
さっきも話したけど、事故後のおかんの顔とかさ。
やっぱり両親にはもう迷惑かけたくないし、ちゃんと親孝行していきたいなって思った。まあ迷惑はまだかけちゃっているんだけどね。
━━ (最後いい感じにまとめた、、、!!)
━━ 実は先輩がパニック障害だったことを今日初めて知りました。その話も聞いていいですか?
高田:もちろん。身内にしか言ってなかったんだけど、いまでは笑い話だから。
22歳のときになったんだけど、パニック障害を簡単に説明するとまず血の気が引いていくんだよね。骨の芯から冷たくなる感じ。力が入らなくなって、呼吸も浅くなる。それで心拍数がすっごく上がって、本当に死ぬんじゃないか?って怖くて仕方なくなる。
━━ テレビで見ることはありますが、実際に話を聞くのは初めてです。
高田:事故があってから大学を休学して県外に働きへ出かけてみたり、実家の居酒屋で働きながら大学に戻ってみたり。結局大学は辞めたんだけど、自分の将来とか目の前の現実とか、そんなことをずっと考えていたらどんどん不安になっていった。
そしたらある日、心臓がバクバクして息ができなくなっちゃって、体が震えて怖くて怖くて。
もしかして「事故の後遺症かな?」とか考えながら、おかんに病院まで連れてってもらったんだけど、診断結果は異常なし。
━━ ああ、、、。そうですよね、、、。
高田:病院帰りにそのまま外食したんだけど、まわりにいる人たちが怖くてうるさくて、目は回るしで一口も食べれなかった。パニック障害って発作が起きたらもうそのあとはなんにもできなくなるのね。
例えば車の運転中って急に止めて外に出ることってできないじゃん?他にも大学の授業中って外に出にくいし、美容室で髪を切ってる時は動けない。そういう状態のことを「心理的閉鎖」って言うんだけど、それに陥ると発作が起こる。
発作が起きるととにかく苦しくてさ。夜眠る時とか本当に不安だった。寝たらそのまま起きれなくて死ぬんじゃないかなとかマイナスなことばかり考えちゃって。
━━ パニック障害は調子の良いときは良いから、そこの高低差が大きくてまわりの人に仮病だと勘違いされてしまいやすいと聞きました。それは本当に辛いことですよね。
高田:うん。良いときは良いから「今日は大丈夫」だと思って車の運転したら、発作が起こっちゃって車を捨てて帰ったことは何度もあるよ。
━━ 克服?改善?するにはなにが効果的なんでしょうか?
高田:開き直るとか、パニック障害のメカニズムを知るってことはもちろん大切なんだけど、俺が調べていく中でいちばん良いとされていたのは「運動」。体が健康になれば気分も晴れるしね。
━━ ふむふむ。先輩はどんな運動をしてたんですか?
高田:逆になんだと思う?
━━ やっぱり手軽に始められるイメージのランニングとかウォーキングですかね。
高田:うんうん。たしかにランニングはしてたんだけど、いちばんやったのは柔道なんだよね。
━━ 柔道!?柔道ですか?
高田:なにか運動したいなって考えていたときにタイミングよく兼人から「柔道の職域大会に出ないか?」って誘われてさ。
事故の影響は問題なかったし、久しぶりに柔道もしたかったから出ることにした。それからは糸満署(※)に行ったり、みんなで遠くまで出稽古に行ったり。
※糸満警察署少年柔道クラブ
出稽古に行ったときはどうしても発作が起こるから、トイレに隠れて落ち着かせてどうにか頑張ってたよ。
━━ 正直ここで柔道につながるとは思ってもいなかったので驚きです、、、。
高田:試合に出ると決まってからは、朝起きたらランニング、それから1人で田舎家の掃除をして、午後は妹が通っていたミニバスで一緒に運動、そのまま柔道に行って、また夜からランニング。
高田:常に動いているから自然と体が丈夫になって、調子も良くなっていった。
本当は「もし大会会場で発作が出てしまったら」なんて考えちゃって、職域大会に出るのはとっても怖かったんだ。だけど「この試合に出れたら俺のパニック障害は治る」って。
根拠はなにもないけど、でもどうにかパニック障害を治したくてさ。
━━ すがるような気持ちでしょうか、、、?
僕の中で職域大会は「お祭り」のような勝ち負けよりもみんなで楽しくやりましょうってイメージがあります。
高田:そうそう。職域大会ってみんなはお祭り感覚なんだけど、俺だけ全然違くて「これはパニック障害を克服するための大会なんだ」って気持ちが強かった。
そのために柔道とトレーニングを一生懸命頑張ったし、発作が起こったときも「自分の体なんだから、自分でコントロールできるよ」って声に出してさ。
そうしていたら、職域大会の前にはほとんど発作も出なくなった。
━━ 発作おさまっていったんですね、、、!!
運動をしたりパニック障害に向き合ったり、話を聞いていると「気持ちが前向き」だったことも要因として大きい気がします。(気持ちで治るような単純なものでもちろんありませんが)
試合はどうでした?
高田:結果から話すと1回戦負けだったよ。めちゃめちゃ悔しくてトイレで泣いた(笑)
「柔道もトレーニングもあんなに頑張ったのに」って思うと悔しくて。それにみんなにとっては楽しくてお祭りみたいな職域大会だけど、俺にとっては「パニック障害を克服する」ための職域大会。
━━ それは悔しいですよね。
高田:だけどね、泣きやんでトイレから出たらすっごくスッキリしたんだよな。
「ああ、もう俺は大丈夫だ」って思ってさ。
それからは1度も発作は出てないよ。
━━ おお!!すごい!!
━━ パニック障害はどのくらいの期間続いていたんですか?
高田:1年くらいかな。いまでは笑い話だよ(笑)
そういえばさ、パニック障害の期間はお酒が飲めなくて友達との飲み会もこっそりノンアルにして誤魔化してたのね。
みんな若いからだんだん一気飲みとかそんなノリになるんだけど、兼人と壮四が飲んでくれていつも守ってくれてさ。
俺が家で引きこもっているときも夜中に連れ出されて「ドライブ行くよ!」「飲み行くよ!お酒だめならノンアルでいいじゃん!ジュースでも良いじゃん!」って。ずっと支えられてた。
━━ 僕、泣きそうです。と言うか泣いてます。
祐先輩は大学が東京だったけど、もし沖縄にいたらそこにいたんでしょうね。
高田:うん、そうだと思う。本当にあいつらには頭上がらないよ。兼人が職域に誘ってくれたからパニック障害は克服できたしさ。本当まわりに助けられてばかりの人生です。
パニック障害を克服して、ここから俺の第二の人生がスタートしたって感じかな。
━━ 先輩たちは中学校の柔道部で苦楽を共にしただけの関係じゃないですよね。
━━ では、ここからはいま先輩が営んでいるリンクのお話を教えてください。
高田:パニック障害が落ち着いてからは実家が居酒屋(田舎家)をしていたこともあって、俺も料理に励むようになってさ。料理人として親父にはかなり厳しく育てられてまして「お前のやってきたことは全て無駄だよ」とか「今まで何をしてきたんだ?」って何度も叱られたね。
きっとお客さんからお金をとって食べてもらう料理だということを教えたかったんだろうな。
まあでもそのおかげで料理を学ぶことが出来た訳だからありがたいよね。
━━ お父さんめちゃスパルタ!!
あんなに優しいお父さんからは想像できない……。でも輝一先輩が本気だったからこそ、そんな相手に対して優しくなれないのはわかる気もします。(最近こんな感じのマンガを読んだ)
高田:しばらくは田舎家から那覇にある居酒屋に移動して働いていたんだけど、その頃から独立したいなぁと思って、那覇で物件探してたんだよね。
なかなか見つからなくて、頭抱えてたら親父から「糸満の物件に空きが出るらしいけどお前やるか?」って連絡が来てさ。お察しのとおり、それがいまのリンクです。
━━ リンク誕生ですね!!
高田:契約とか諸々を済ませて、オープンするまでは半年くらい寝る間も惜しんで準備しててさ。出来る範囲の改装工事は自分でやったから、朝6時まで1人でガチャガチャやっててね。キツいってよりは、どんどんお店がきれいになっていくのが嬉しくて仕方なかった。
※2019年2月10日 dining bar link リンク OPEN!!
━━ リンクのコンセプトを教えてください。
高田:コンセプトは「最後の一杯を飲みに来るお店」。
これからは料理も出す予定だから料理を持っている間にちょこっと飲んだり、料理に合ったお酒を「これでどうですか?」ってお勧めしたり、そういうことも出来たらいいなと思ってる。
━━ これには気をつけてる!ってことはありますか?
高田:同級生の溜まり場にしないってことは特に気をつけてるかな。いろんなお客さんに来て欲しいし、新しいお客さんと友達が初めましてで楽しそうに飲んでいる姿を観れたら、俺も嬉しいからね。
品のあるお店にしたいとは常々思ってる。あっちに行けば楽しくお酒飲めるよみたいな。
━━ めちゃめちゃ素敵です!!僕みたいな一人飲みが好きな人でも入りやすそうなの嬉しいです!
━━ 飲食業界のお話を聞かせて頂いているので、個人的な質問なんですけどコロナの影響はどうでしょうか?
高田:正直かなりあるよ。俺も含めてだけど自営業や飲食業の人って、みんなそれぞれ頑張ってるんだよな。それなのにどうしようもないところから大打撃を受けてまたそれに悩んで。やるせないし、そんなことでスタミナを奪われるのはナンセンスだよね。
だけど、現状は現状だからコロナに負けずに頑張らないとなって思ってる。この期間もし何も出来ていないのであれば、成長もしていないわけじゃん?
こんな状況でもリンクだって、次へ次へと成長していかなきゃいけないから。
━━ 僕が話せるようなことではないのですが、本当に厳しくて大変な世の中になりました。経営が困難で閉店しているお店だってよく見かけますし、現状維持すらままならないお店もかなりあると聞いています、、、。
高田:親父がいつも言うんだけど「なにをすればいいかわからなくなったときは”目の前のことを一生懸命やれ”」って。
俺の目の前にはなにがあるんだろう?って考えたら、それはリンクだった。
リンクでなにが出来るのだろう?料理をしてみよう。じゃあ料理の次は?みたいに考えていくとまた次が出てくる。その繰り返しの中で目標が生まれて、気づけば自分が成長してて。
「コロナに負けるな」ではないけど、自分の武器を増やしたりお店をより良くしたり、試行錯誤の中でいまは手足を動かし続けてるよ。
━━ いまリンクで考えていることはなんでしょうか?
高田:やっぱり料理かな!バーの雰囲気にそぐわない面もたしかにあるんだけど、みんなに楽しんでもらいたいから。
そのときはオシャレなお皿に盛り付けないといけないから、いま店にある器は全部割らないとね(笑)
━━ ガラス踏まないように気をつけてください(笑)
━━ では最後に一言と高田先輩の個人的な目標などあれば教えてください。
高田:リンクには若い人もご年配の方も本当にいろんな年代のお客さんが来てくれていて、そんなみなさんが”リンク”(つながる)する場になったら嬉しいなと!
個人的にはもともと考えていた「30歳までに何かする」という夢がリンクで叶ったので、その先へいきたい。次は35歳までにまた新しい何かを始められたらいいなと思ってます!
***
「絆」とか「繋がり」なんていうのは目に見えるものじゃない。
けれども。だけれども確かにそこにあって、それらを強く感じ続けていたからこそ、お店の名前は「リンク」になったのかなぁと。
人は一人では生きていけない。
そんなあたりまえのことを、つい僕は疎かにしてしまいがちなので、自分を支えてくれている人たちへ改めて感謝していきたいなと思った。
うん、自分が思ってる以上に気にかけてくれている人がたくさんいるぞ、、、。しっかりしなければ!
では、今回このへんで。
輝一先輩、今日はありがとうございました!!
Text by 平良賢人 @taiken0422
今回取材させてもらった高田輝一先輩のSNSはこちら。
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