※こちらの記事は2021年3月に書いたものです。
3月某日。僕はすこし緊張しながら近所のマクドナルドにいた。
それは決して持参した炊飯器でビッグマックセットを炊き込んでやろうだとか、ポテトをおかずにマックシェイク10杯きめてやろうだとか、そんなアウトローな目的があった訳ではない。
なんと有意義にも、世界を舞台に活躍する柔道家をZOOM越しでインタビューする予定があったのだ、、、!!(マックのWi-Fiをお借りしました)
今回取材したのは柔道日本代表の原沢久喜選手。あまり柔道を知らない方々のために一応補足しておくと、彼はリオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得し、東京オリンピック日本代表にも内定している。
(原沢選手は僕が日本大学柔道部に所属していた時の1期先輩なのでもちろん面識はあるのだけど、内心こんなブログに登場していただくのは恐れ多いというか何というか。ちなみにこの記事は以前のブログに登場してくれたレイズカヨル選手の後押しもあって実現しました。カヨルありがとう!)
レイズ選手を取材した記事はこちら。ちなみに文章上見えづらいですが、今回もインタビュアーとして参加してくれています。(土下座)
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恐るべき成長曲線。高校入学時66キロだった人間が、高3の夏には115キロに急成長
—— 原沢先輩お久しぶりです。今日は先輩の高校時代から大学、社会人と話を進めながら、僕が気になる質問を挟んでいければと思います。よろしくお願いします。
原沢:よろしく。フラットな感じで、この関係だから話せることもあるだろうし、ネットにも出ていない外れた話もしてみよう。
—— いいんですか?ありがとうございます!!
では、まず高校時代の話から聞きたいのですが、当時から「将来はオリンピックで金メダル」を目指していたんですか?
原沢:いや、全然考えてなかった。インターハイで上位入賞したいなって気持ちはあったけど、日本一になりたいと思い始めたのも大学生にになってからだから。
俺は地元山口県の高校出身で全国的な強豪校でもなかったから、部員も少なくて練習環境もあまり恵まれてもいない状況だった。
—— 部員て何名ですか?
原沢:5、6名かな。
—— おぉ……想像以上に少ない……。全国の強豪校だと部員が30名以上いるイメージです。
先輩は高3の時にインターハイ3位、全日本ジュニア準優勝の成績を納めていますが、そのような環境下で一体どうやって強くなったのでしょうか?
原沢:体の成長期が高校生の時にあってそのタイミングで体を大きくしたことと、練習では部員も少なくて相手もいなかった分、ウエイトをしたり走ったりそういうところに趣を置いていたことが強くなれた要因かな。
—— なるほど。成長期っていうのはどのくらい大きくなったんですか?
原沢:高校に入学した時点での階級はー66kg級(軽量級)だったけど、高3の夏には+100kg級(重量級)で試合に出てた。高2の終わりが90kgで、インターハイでは115kgくらいあったと思う。
—— ええ……!!いくらなんでも大きくなりすぎですよ!成長期なんて言葉では片付けられない生物としての強さを感じます、、、。
原沢:1日5食、吐きそうになりながら食べてたよ。朝食を家で食べて、早弁して、昼ごはん食べて、練習前に食べて、夜家帰って食べるみたいな。増量は監督の先生にやらされていたとかではなく、自分の意思で体を大きくしたいと思っていたから、頑張って食べた。
—— 自分の意思!!実は僕も高校時代に30キロ増量したんですけど、前向きな気持ちで食事したことなんて1度もなかったです。
その食事量にウエイトトレーニングと走り込みかぁ、、、。そういえば先輩って足速かったですよね?増量して大きくなっても動ける体作りがすごいですよ。
それに考え方ですね。苦しくても目的意識を持って食事に取り組むこと。そうでなければただの拷問ですし。
原沢:そうだね。まあ高校生とか大学生の増量と減量ってけっこう滅茶苦茶だから、そこは指導者も勉強していくことが大事だと思うな。
—— 確かに。確かにすぎますね。
ちなみに先輩の好きな食べ物はなんですか?
原沢:肉。
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—— 足速いで思い出したんですけど先輩って大学の朝練、長距離ズルしてませんでした?5周なのに4周で終わるみたいな。
日大に入って初めて先輩を見た時「おお、原沢だ。すげーな」って憧れていたのに「あれ、めっちゃズルするじゃん」って思いました。
原沢:してたね(笑)
—— してたね(笑)。じゃなくて、ちゃんとやってください!
原沢:それにはちゃんと理由があって、明らかに意味がないと判断したのは「これはやらない方がいい」と思ったんだよ。
—— あぁ、庇うわけではないけど確かに先輩は「これは為になんねえわ」とか言ってましたね、、、。キツいからサボるんじゃなくて、必要か不必要かを考えて選択してた。
原沢:そうそう。だから400Mダッシュとかはちゃんとやってた。
—— 確かに。あれは速かった。
高校で叩き上げられてやれやれ言われてきて、大学でもやれやれ言われるから、普通ならそのノリでとりあえずやるのに、ちゃんと自分の考えを持ってトレーニングすることが大切なんだなって今さらながら思いました。
(あれ、朝練サボってた奴の話なのに、なんかいい感じになったぞ)
—— 当時日大柔道部っていろんな意味で強烈だったじゃないですか?「これはスゴかった」ってエピソードを1つ教えていただけますか。
原沢:大学1年生の時、講道館杯の応援に行って、帰り集合した時に「今から名前を呼ぶメンバーは帰って打ち込みするぞ」って言われて、帰って道場に集合したら「俺たちはまだまだ弱い。だから紙一重の紙一枚を積み重ねる作業をする」って言われて、夜から打ち込み1000本したことかな。
—— やばっ!!(笑)
やばすぎて笑っちゃいました(笑)
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—— 大学で「これがあったから今がある」というような出来事ってありますか?
原沢:大学で自分が強くなれたターニングポイントは2年の団体戦(全日本学生柔道優勝大会)だと思っていて、そこで自信がついたというか、上のレベルでも戦っていける感触を掴めた。決勝の舞台も経験できて自分自身に勢いもついたかな。
それを機に学生チャンピオンにもなって、オリンピックを意識するようになったから。
—— あの団体戦ですね。めちゃめちゃ覚えてますよ。
これは余談ですが、決勝戦で負けた日の夜に杉田先輩(原沢先輩の同期。僕の1学年先輩)と話したんです。
僕が「悔しいですけど、先輩たち本当にかっこよかったですね」みたいなこと言ったら、杉田先輩は「俺も悔しかった。チームの負けは本当に悔しい。だけど、少しホッとしてる自分もいる。
同期たちが活躍していく姿を俺は素直に喜べない。来年は必ずメンバーに入って日本一になる」って真剣な顔で話してて。
まだ日大に入学して3ヶ月とかだったんですけど「これが本気で日本一を狙うチームなんだな」って思いました。
原沢:うんうん。
—— 団体戦が終わったその年は個人でも学生チャンピオンになって、シニアの日本代表レベルが参戦する講道館杯でも優勝。大学3年生で全日本選手権準優勝だなんて飛ぶ鳥落とす勢いというか、物凄い飛躍です。
大学での柔道生活は順風満帆でしたか?
原沢:んー、どうだろう、かなり落ち込んだこともあったから。
大学4年生の講道館杯で1回戦負けをして、それはリオオリンピックに向けても大事な大会だったから、挫折というか本当にガックリしたね。
—— あぁ、、、ありましたね。それはガックリしますよね……。どんな心境だったんですか?
原沢:自分の目標が「もう無理なんだ」と現実味を帯びてきて、いろんな感情が渦巻いてるって感じかな。
でも逆に開き直ってやれたのが結果的にリオには繋がったのかなぁとは思ってる。
—— 会場にいた誰もがまさか1回戦で負けるだなんて思ってもいませんでした。だけど講道館杯で負けた後に驚異の国際大会7連勝。開き直れたキッカケはありますか?
原沢:もうどん底まで落ちたから「ここで勝たないといけない」とか「負けたらどうしよう」ってプレッシャーがなくて、代表とか考えずに「自分のやりたいようにやろう」って気持ちだったかな。
原沢:自分の中でターニングポイントになった出来事がもう一つあって、それが日大を卒業して、社会人1年目の全日本選手権で優勝したこと。
—— 覚えてます覚えてます。七戸龍選手と決勝戦した時ですよね。
原沢:大学2年で講道館杯で優勝したり3年生の時に全日本で準優勝したりしたんだけど、それは自分の実力というよりは勢いで結果が出てた部分もあって、ずっと自分の実力以上のモノで勝っていた。だから4年生の講道館杯と全日本は勝てなかったんだと思う。
けど、その過程を経て社会人になって全日本で優勝出来たことは勢いだけじゃなくて、ちゃんと実力で勝てた手応えがあったから、自信をつけるキッカケになった。
社会人はある程度自分の好きなように練習をやれるから、そこで結果が出るのは嬉しいよね。
—— 全日本選手権で優勝したとき嬉しそうでしたよね。もちろん僕たちも嬉しかったので、先輩がインタビューされてる時に勝手にトロフィー並べて写真撮りました。(笑)
原沢:全日本にはやっぱり特別な思いがあるし、それは自分以上にまわりの人たちの喜びようからも感じたかな。
—— 当時所属していたJRA日本中央競馬会の同期の人たちかな?会社の人たちまで畳におりて来て、みんなで喜んでいたのが印象的でした。
人気者だったんですか?
原沢:ちゃんと仕事してたからね(笑)
—— 人柄かな?先輩も嬉しかったですか?
原沢:嬉しいね。やっぱり応援される選手でありたいと思うし、人としてそうじゃなきゃいけないとも思うから。
—— 愛されてるんだなって思いました。先輩は応援したくなります!
原沢:ありがとう(笑)
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—— どうせならネットに出ていない話もしたいなということで、いくつか質問しますね。
自分を奮い立たせる言葉ってありますか?
原沢:えっーとね、「最高の準備の後に、最高の結果が待っている」かな。
—— 名言ですね。ちなみにこれは誰の言葉ですか?
原沢:これはね、自分で考えた(笑)。
—— じ、自分!!(笑)。
どうしてこの言葉を?
原沢:柔道の話なんだけど、試合に向けて一番いい準備を出来た人が本番では勝つと考えていて、その準備っていうのは日々の練習やトレーニング、私生活の積み重ねなんだよな。
最高の準備が出来た人がきっと勝つし、勝つべきだと思う。
試合の時に「もうこれ以上やることはないな。もう全てやってきた」ってそういう自信とか過程は絶対に結果と繋がっているから、それを信じてやってる。
—— 最高の準備か〜…!確かにこれ以上やることはないと思えたら、それは自信に繋がるだろうし、勝つことでそれまで自分が積み重ねてきた努力を証明出来たらいいなって思います。
最高の準備の後に、最高の結果が待っている。by原沢久喜
ですね!
原沢:おい。
—— 次の質問をしますね。先輩はJRAを退職後、フリーになって現在は百五銀行に所属しています。自炊することも増えたと思うのですが、そのへんはいかがですか?
原沢:毎日毎日する訳じゃなけど、栄養士の先生と相談しながらやってるよ。
—— もともと料理するタイプですか?
原沢:いや、全然しない。
—— なるほど。これを機に何か得意料理はできましたか?よく海外に行くんだから、舌がグルメな感じしますよ。
原沢:得意料理?、、、は別にないんだよな(笑)。必要な栄養素を摂るって感じだから、頑張って作ろうみたいなモチベーションは特にないし。
—— 味よりもタンパク質みたいな?
原沢:そうそう。
—— もしかして、玄米に卵と納豆と豆腐ぶち込んでないですよね?いや、美味しいけども。
原沢:そんなひどくないよ(笑)。シンプルな時短料理で、洗い物も少ない感じのやつ。鍋とか楽でいいじゃん。
—— ああ、洗い物少ないは大事ですね。鍋も美味しいです。
どん底のリオ五輪後(2017年のこと)
2016リオデジャネイロオリンピックで銀メダルを獲得した原沢先輩は翌年2017のシーズンを絶不調で迎えることになる。
2月のグランプリ・デュッセルドルフでは決勝戦で同時出場していた日本代表選手に敗退して2位。4月の全日本選抜体重別選手権でも準決勝で敗れて3位。全日本選手権では準々決勝で締め落とされての一本負け。
当時、原沢先輩は「落ちるところまで落ちたので、来年、必ず強くなって帰ってきたい」とコメントしている。
過去の実績を評価され、同年9月の世界選手権には日本代表として出場するも初戦敗退。
—— 感覚が違うんですか?すぐ疲れるみたいな?
原沢:そうだね。それまでと練習量が変わった訳ではないのに、すぐ息が上がるって感じかな。まあ追い込んだ稽古をしてたから、悪い傾向ではないと思っていたんだけど、なかなか症状が良くならなくて。
—— 原因は体の疲れ何でしょうか?それとも心?
原沢:両方かな。リオが終わってなかなか気持ちが入らない中で、次の戦いは始まっているから練習はしなくちゃいけないし、もちろん東京オリンピックという目標があるから頑張らなくちゃって気持ちもある。自分の中でモチベーションが上がらないって状況に心と体のズレがあった。
—— 休養期間は何をしていたんですか?
原沢:その頃は会社にも行ってたから、出社したり軽く散歩してトレーニングしたりかな。
—— 先輩って2018年4月の全日本選手権後にJRA退社されてますよね?フリーになろうと思った気持ちを聞いていいですか?
原沢:JRAにいる時は仕事もしながら競技ができて、両立するって形でやっていたから、引退してもそのまま会社に残してもらえるんだけど、そこが自分の中で引っ掛かりになった。
柔道でチャンピオンになることを目指しているのに、仕事と半分半分でやって二足のわらじじゃないけど、それはどうなんだろうって。
それよりは100パーセント柔道に向き合って、100パーセント集中してやらないと勝てないのではないか?って気持ちになったし、柔道が終わった後の人生も、自分の結果で切り拓いていきたいという考えもあった。
2度目の全日本選手権優勝
原沢:2018年の全日本を最後に会社を辞めることが決まっていて、恩返しじゃないけど、最後優勝して終わりたいなって思ってた。
その日は調子が良くなくて、延長戦が続いたし、体力を消耗する試合も多くて、決勝戦も内心「ちょっと厳しいかな」なんて思っていて。自分で言うのもあれだけど、気力で戦ったかな。
—— 僕はその試合、テレビで見ていました。王子谷剛志選手との決勝戦ですよね。大外刈の打ち合いから延長戦までもつれる大熱戦。最後は指導を奪う執念のスタミナ勝ち。
記憶ありますか?
原沢:細かいことは途中から覚えてないんだよな。キツすぎて。
—— あの試合、本当に凄かったです。柔道っていうよりは魂と魂のぶつかり合い、気力と気力の戦いでした。
勝ち名乗りを受けて、畳からおりたところで泣いてましたよね?先輩が泣いている姿を初めて見たので胸を打つものがありましたよ。
原沢:勝って泣いたのは初めてで、その日、苦しい試合が多くて、そこで勝てたっていうのは嬉しかったし、自分の決断とか会社を辞めてこれからって時だったから、いろんな感情が重なった……。
まあ3秒で泣き止んだけどね。
—— 最後まで諦めずに頑張れた理由は何でしょうか?
原沢:諦めたくないと思ってやっていたんじゃなくて、心の底で自分が意識していないものが出たというか、、、。普段から勝ちたいと思ってるし、その時、負けたくないから頑張ろうと思ったんじゃなくて、自然とって感じかな。
—— うわぁ、、、めちゃめちゃいい話、、、。それこそ魂というか言葉にならない思いというか。3秒は余計だけど。
オリンピックで金メダルを目指す理由とその先のこと
—— あの、ちょっと変なこと聞くんですけど、そもそも何でオリンピックで金メダル獲りたいんですか?
原沢:自分が人生を懸けて、こだわりを持ってやってきたことだから、その道を極めたいって気持ちがある。その指標はオリンピックで優勝することだと思っているから、その意味ではしっかり金メダルを獲りたい。
そうして、自分のために頑張っていることが、結果的として応援してくれる人や支えてくれている人たちに喜んでもらえたらいいかな。
—— オリンピックが終わったら何をしたいですか?
原沢:ゆっくりしたいかな。
—— まだしばらくは先だと思いますが、引退した後に何かやりたいことはありますか?
原沢:柔道が今後こうなって欲しいというのはあって、柔道にもっといろんな人が興味を持って欲しいし、もっとたくさんの人にやってみて欲しいなと思ってる。柔道って敷居が高いイメージがあるじゃん?やろうと思っても直ぐにはやれない、どこでやればいいかも分からない、まずはその壁を壊したい。
勝利至上主義じゃないけど、現状日本はそういう側面がすごく強いから、それはトップレベルには必要なことだけど、街でやっている道場とか小学生にはしっかり柔道を楽しんでもらって、大人になってやってもやらなくても「柔道をやってきたから今の自分がある」と思える人が増えて欲しい。
だから競技としての柔道だけじゃなくて、人がすごい楽しめたり、誇りを持てるスポーツになって欲しいなという気持ちがある。
—— 実現するには何が必要だと思いますか?
原沢:俺たちはしっかり活躍して柔道って面白いスポーツだよと伝えることが大事なのかな。それは立場的に自分が出来ることでもあるはずだから。
それとやっぱり役割分担かな。指導者、トップ選手、その他などなど。その為には柔道界全体の空気を変える必要もあるね。
—— うんうん。僕はイタリアの少年柔道に行ったことがあるのですが、そこでは子どもと大人が同じ目線で和気あいあいと柔道を楽しんでいました。そのような雰囲気の道場が増えることは素敵だし、必要だと思います。
SNSを見ていると既にそのような取り組みを始めている人をちらほら見かけますので、原沢先輩がそのような考えを持っているのは心強いのではないでしょうか。もちろん簡単な問題ではありませんが。
原沢:子どもたちだって勝ちたいとは思っているだろうから、まあそこだけに目を向かせるんじゃなくてね。
—— そうですね、今後柔道界全体で考えていかなければいけないことだと思います……。またいろいろお話聞かせてください!
取材を終えて、それまでマイペースでどこか摘みどころがないというか、原沢久喜という男に対して抱いていたイメージが、ある言葉に澄んと落ち着いた。
それは「自然体」という言葉だ。
原沢先輩にはいつも自分の軸があって、その軸は根強くどっしりとしながらも、心やわらかなしなやかさも兼ね備えている。だから人を惹きつけるし、沢山の人から応援されるのだろう。
コロナ渦という不安はあるのだけれど、東京オリンピックが開催されるのならば、彼が人生を懸けてやってきた柔道を、変わらない想いを、ちゃんと見届けたいし、みんなにも見て欲しいなと思った。
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Text by 平良賢人 (@taiken0422) )
Interviewer by レイズカヨル(@kyle__reyes)
今回取材させてもらった原沢久喜選手のSNSはこちら。