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taiken blogブログでは、僕が気になっている柔道家やその関係者をインタビュー形式で紹介で紹介します。

道は諦めないことで切り開かれるのだと知った。 #007 後藤飛名

 

”強豪の方々と様々な背景、環境は違えどその環境を選んだのは自分自身ですし、やるからには柔道という同じ土俵でのみ比べるべきだと思っています。負けて仕方ないなんてことは決してなくて、ひとえに努力が足りませんでした。ご指導いただいた多くの方に結果で恩を返せず申し訳ないです”

 

丁寧な言葉でそう書き綴られた彼女の北大柔道部ブログを読みながら、本当にその通りだと思った。自分が柔道で戦うと決めたのなら、それ以外のところに理由やケチをつけるのはナンセンスだと感じたから。そして上記の文章はこう続く。

 

”ただ、負けて悔しいけれど、それ以前にこのような大きな大会に出られたこと自体が他の誰かにとっては喉から手が出るほど欲しかった舞台で、悔しいと思えることすら本当にありがたいことだとも感じます。人の少ない北海道にいるというだけで、全日本出場に足る実力が伴っていないことを負い目に感じていましたが、今は貴重な経験ができたことを誇りに思えるようになりました”

 

北海道大学女子柔道部主将、後藤飛名。自身の思い出も早々に自分と関わってくれた人たちへ、感謝の言葉でしたためられた後藤さんの文章を読んで感動した僕は、そそくさとインタビューのお願いをした。

 

前半は諸事情によりほとんどの大会に出場することが叶わなくともひたむきに稽古に励んだ高校3年間、後半は大学進学に学生大会と七帝大会の両方を頑張ろうと決めた現在までの柔道生活と七帝柔道記に紐づいたエピソード、最後に選手としての彼女の視点を聞いた。(下記の記事を先に読んでいただけると、より理解が深まるのでお時間ある方はぜひ!)

 

※後藤さんを知るきっかけになった埼玉県春日部工業高校柔道部監督である小池雅彦先生のブログ

※後藤さんが引退の気持ちを綴った北海道大学柔道部のブログ 

 

***

 

━━ 初めまして。ブログを書かせていただくにあたり、恥ずかしがらず、できる範囲で盛大に自分語りをしていただければと思います。よろしくお願いします。

 

後藤:初めまして。私みたいに全然強くない人間がお話させてただくなんておこがましいのですが、本日はよろしくお願いします。

 

━━ では単刀直入にお聞きしますが、高校時代ほとんどの大会に出れなかったのはなぜでしょうか。

 

後藤:結論から申し上げますと、学校に柔道部の設立を認めてもらえなかったことがまず一番の理由です。そうなると登録の関係上、高体連が主催する大会には申し込みが出来なくなるので、もちろん試合にもエントリー出来無くて、、、。

 

━━ え、怪我とかそういったことが理由じゃなくて、そもそも申し込みすら出来なかったということですか……。

 

後藤:当時の学校のルールで”部員がいない状態が3年続いたら廃部”にするという決まりがあって、私の入学がちょうど3年目の年で柔道部に入部しようとしたら『もう廃部にするから入部しないでくれ』と言われてしまいました。

 

高校進学前から部員がいなくて柔道部は活動休止になっていると知ってはいたのですが、私も楽観的だったので、自分が入部すればなんとかなるだろうと思っていて。意外になんとかなりませんでした。

 

━━ なるほど、、、。その後はどのようになったのでしょうか。

 

後藤:学校の部活動ではなく練習は外部で行うから「全日本柔道連盟の登録だけでもしていただけませんか」と何度もお願いしたんですけど、その度学校側に断れてしまって、それで3年間インターハイや高校選手権など通常の大会には出られませんした。

 

まれに地域の道場が主催するような小規模な試合には自分で調べて出ていたのですが。

 

━━ ここ数年、数々のスポーツ大会やイベントを中止へと追いやったコロナ禍で、僕も含めてたくさんの人たちが経験したように、大会に出れない状態でモチベーションを保つことは簡単なことじゃありません。

 

ちなみになんですけど、後藤さんが柔道の試合に出るために動いている中で悔しかった出来事などはありますか。

 

後藤:私と同じように学校に部活がないから個人で新体操をしている子がいたんですけど、結局その子は認められて高体連主催の試合にも出れたんですね。それなのに私は学校側から『柔道は怪我のリスクがあるから』とか『柔道は組み合って技かけて投げて危ないからね』と断られ続けてしまって。。。

 

相談した先生に『君がどれだけ強いのか知らないけど、君一人のために教員は割けないよ。そんなに悩むなら柔道やめたらいいんじゃない?』と言われた時は悔しくて悲しくて涙を流すこともありました。

 

━━ これは酷すぎる、、、。ショックですね、、、。

 

後藤:高1の時は学校のコミュニティに参加したい気持ちもあったので女子バレー部に入部しながら、地元の道場で柔道を続けました。

 

━━ バレーボールを選んだ理由は。

 

後藤:バレー部は男女交代で体育館を使用していて早く帰れる日があったので、その時間で道場に通うために選びました。

 

ただ自分の中では柔道もバレーも両立させようと頑張っていたんですけど、頑張っていれば柔道の試合に出たいって気持ちが強くなってしまって。試合に出れないのも理不尽というか納得出来ない理由でしたので、やっぱりすごく悔しくて。。。

 

ふと「なんで私はバレーをしてるんだろう。ボールが拾えなくて怒られている間にも中学で知り合った柔道の仲間たちはみんな強くなっていっているのにな」って。

 

━━ 葛藤しますよね。

 

後藤:部活から早く帰れた日に柔道をするって考えもバレー部を利用しているようで罪悪感があって。。。このままだとどっちも中途半端になると思って、高2に上がるタイミングでバレー部は退部して柔道一本で頑張ることを決めました。

 

***

 

 

━━ 小池先生と出会ったのはいつ頃ですか。

 

後藤:高2になってからです。道場の後輩が春日部工業に進学したことをきっかけに練習に参加させていただいたことがきっかけです。

 

初めて練習でお会いした時に小池先生が『うちも女子が一人しかいなくて寂しい思いをしているので、ぜひこれからも来てください』と声をかけてくださって、これは行くしかないと図々しくもそれからは毎日放課後電車に乗って練習に参加させていただきました。

 

小池先生や部員のみなさんがあたたかく受け入れてくれて本当に嬉しかったです。

 

━━ 学校は違えど柔道ができる環境は有難いですよね。

 

後藤:春日部工業柔道部の部員になれたような気持ちもあったので、同じ世界を共有できているって喜びもありました。それに大好きな柔道の練習を満足に出来るのは嬉しかったです。試合の時は自分が出れなくても打ち込みの受けするなど、春日部工業生になった気持ちでちゃっかり一緒に動いていました。

 

━━ 小池先生との思い出を教えてください。

 

後藤:うーん、い出がありすぎてどれを話せばいいのか分からないのが本音です。普段の練習から県外の合宿にも連れて行ってもらったこともありますし、本当にいつも気にかけていただいたので。。。

 

いっぱいありますが、印象に残っているのは『後藤さんの背負い投げと巴投げをワンランクアップさせたいんだよね』と話してくれたこと、埼玉栄高校やその他にもいろんなところに連れて行ってくださったこと、春日部工業の生徒でもないのにまるで部員のように指導してくれたことが思い出というか、そういった日常が幸せだったと思います。

 

━━ 素敵ですね。小池先生のしてくださったこともやっぱり簡単なことではないと思うんです。そして先生の情熱や人柄に感動する一方で、後藤さんが途中で柔道を辞めずにいたからこその出会いでもあるので、本当によかったです。

 

後藤:小池先生と出会えていなかったら、私は今こうして柔道を続けられていなかったと思います。

 

それに高校時代は悔しいことばかりで、いいことないなって思うこともあったんですけど、なんていうか、逆に普通の高校柔道部にいたら出来ないような経験をたくさんさせてもらえました。

 

 

***

 

━━ ここからは大学進学後のお話をお伺いしたいと思います。

 

まず北海道大学(※以下、北大)に進学した理由を聴いてもいいでしょうか。

 

後藤:私は大きい動物が好きなので大動物の勉強がしたかったんですけど、それなら環境的に北海道の大学がいいなと考えていて、それとすごく単純な理由ですが、七帝柔道記という北大柔道部が舞台になっている小説を読んで、進路は北大一択でした。

 

━━ 七帝柔道記、最近僕も読みましたよ。壮絶な時代の話ですが、感動する場面が多々あって何度か泣きました。

 

七帝柔道記とは著者である増田俊也さんの自伝的青春小説で、僕らが普段している立技や寝技、組手を駆使してする通称「講道館柔道」とはルールが異なり、寝技の待てがなく、足持ちも認められている寝技重視が特徴の通称「七帝柔道」に、青春の全てを捧げた北大柔道部のお話。https://www.amazon.co.jp/七帝柔道記-増田-俊也/dp/4041103428

 

—— 実際に初めて北大柔道部の練習に参加した時の気持ちどうでしたか。

 

後藤:やっぱり嬉しかったですね。ちゃんと部活があって、当たり前に部員がいる。それだけでワクワクしましたし、憧れていた柔道部生活が始まったんだ!って感じでした。もちろん想像してたのと違うこともありましたけど。

 

—— 想像との違いは多々ありそうですよね。僕は北大柔道部の練習内容が気になっていて、七帝柔道記に書いてあった当時の練習では絞めは参った禁止など、読むだけで吐きそうになる内容でした。

 

後藤:あそこまで絞め落とす(失神させる)とかはないですけど、ずっと寝技してますね。七帝柔道を知らない人が見たら「なんだこれ」って驚くと思います。引くほど畳に背中擦り付けているので、、、。

 

メニューとしては基礎運動、寝技の補強、打ち込み、投げ込み、寝技の反復、乱取り、テーマ別の寝技練習、研究です。乱取りといってもみなさんがイメージしているような立ち技ではなくて、ほとんど寝技です。

 

—— ああ、なるほど。七帝ルールですもんね。そもそも乱取りに立ち技、寝技の区別がないんだ。

 

後藤:そうですそうです、乱取りは全部ごっちゃです。私はもう少し立ち技をやってもいいんじゃないかと思うんですけど。

 

 

***

 

—— 後藤さんは4年生ですので、今秋で学生柔道とは一区切りと聞いておりますが、柔道部で楽しかったことや青春だったと思うことを教えてください。

 

後藤:ゴールデンウィークに新歓合宿があるんですけど、その時に「アホラン」っていう大学から近くの山まで、街中を大声で叫びながら走るメニューがありました。他にも「クイゴク」と呼ばれている食トレや一発芸大会があって、あれは青春だったと思います。

 

—— アホランをもうすこし詳しく教えていただけますか。何を叫んでいたかなんかも。

 

後藤:朝の9時頃からみんなで列になって「札幌市のみなさん!!おはようございます!!おっはよ!!おっはよ!!おっはよ!!」って街中を走りながら全力で叫ぶのがアホランです。

 

—— は?めちゃめちゃヤバい集団ですね笑

 

あと「クイゴク」ってどんな字で書くんですか。

 

後藤:食うを極めると書いて「食い極」です。

 

—— (平良、大爆笑)

 

ここまでしっとり目で来ていたブログのテイスト変わってくるし、僕のパソコンが「食い極」とかいう危険な言葉覚えちゃったじゃないですか。

 

後藤:七帝柔道記でいう「カンノヨウセイ」が、現在は一発芸大会になっています。部員全員集まって、夜中にジンギスカンパーティーをしながらでとっても楽しかったです。施設管理の人にバレたら怒られちゃうかも知れませんが、、、。

 

これは新歓合宿関係ないですけど、小説にも出てくるトレーニングコーチの山内さんが行う通称「山内筋トレ」もたまにありました。山内さんが満足するまで終わらないという古き良きトレーニングで翌日は筋肉痛で生まれたての子鹿状態でしたね。

 

 

あとは先輩に奢ってもらった時は「ごっつぁんです」と大きな声でお礼をいう文化もありました。

 

—— 聞けば聞くほど、北大柔道部って楽しそうですね。小説に出てきたことが今の代にも残っていることは本のファンとしてすごく嬉しいです。

 

そして肝心な柔道の試合は「七帝大会」と「学生大会」の2種目ありましたけど、そちらはどうでしたか。

 

後藤:今年の七帝大会(※全国七大学柔道優勝大会)は男女アベック優勝、学柔連の方も北海道学生優勝大会3人戦で優勝出来ました。

 

—— すごい、おめでとうございます。

 

後藤:七帝女子は3人戦の勝ち抜きだったんですけど、後輩二人が一所懸命繋いでくれたり、みんながそれぞれの役割を果たして戦ったり、まさに団体戦というようなチームプレイが発揮出来たので優勝が決まった瞬間は感動しました。

 

OBOGさんからもたくさんメッセージをいただきましたし、男子の方は長らく低迷していたところからの復活優勝だったので、応援に来てくださった方が『俺たちの冬の時代を無駄にしないでくれてありがとう』と涙を流して喜んでくださいました。

 

—— 自分ごとのように喜んでくれる人たちがいるのは嬉しいですよね。あとチームプレイとは具体的にどんな感じだったんですか。

 

後藤:九州大学さんに神奈川県の桐蔭学園出身の選手がいて、高校時代は神奈川チャンピオンで金鷲旗でも3位になっている物凄く強い子なんですけど、まず先に北大の後輩が試合をして負けはしたものの疲れさせることが出来て、相手が疲れていたところを私が関節を決めて勝つことが出来ました。

 

真っ向勝負なら絶対に勝てないので、みんなで一丸となって戦えたと思います。

 

 


—— 今年、個人でも北海道学生で優勝した後藤さんは全日本学生と講道館杯にも出場されているんですね。

 

ブログ冒頭で紹介させていただいた記事には、自身が大きな大会に出場出来ることに負い目があったと書いていました。

 

後藤:やっぱり実力が伴っていないことが一番気になりました。講道館杯なんて一流選手たちが集まる大会ですし、北海道は人数が少なくてラッキーで出れるにしろ、全日本学生で自分が負けた相手が出れてないのになんでだよって。

 

個人的には勝ちたいと思って努力してきたつもりだったんですけど、他大学の方と自分を比べた時にこの大会に賭ける想いの強さに怯んでしまったというか、考えてしまいました。

 

—— そういうことだったんですね。でもちゃんと糧になったのではないでしょうか。

 

後藤:たくさん勉強になりました。試合は何も出来ずに負けてしまいましたが、この舞台に立ちたかった人ってどれだけいるんだろうと考えたら、申し訳なさを感じているよりも、私が出れたことにありがたいなって思わなきゃなって気持ちになりましたね。

 

—— 後藤さんのお話を聴いていると、何事にもちゃんと自分で向き合って、逆境なんかにも人や環境のせいにしない心の強さというか魂の気高さを感じます。すごいタフですよね。

 

後藤:中学生の時の先生がよく『出来ない言い訳を考えるんじゃなくて、今の環境で出来る努力を考えなさい』と仰っていました。当時はそれがすごく自分に刺さって、今でもその考えは大切にしています。

 

あと私は自己肯定感が低いところがあって、これまでの自分はその時の最適解というかベストを尽くしているとは思うのですが、今振り返ればもっとやれたなとかこういう方法もあったなとか考えてしまうんです。

 

だから自分では頑張ったと思っても、あくまでそれは自己評価でしかないので、自分で自分を頑張ったとは思わないように心がけています。上には上がいるって気持ちですね。

 

—— ストイック過ぎますよ、、、。たまには頑張っている自分をちゃんと認めてあげて下さいね。

 

そうだ、「ありのままの自分を受け入れる」って言葉あるじゃないですか?あれどう思いますか。

 

後藤:すごく素敵な言葉だと思いますし、救われることもあるんですけど、私はそれを自分に都合よく使ってしまいそうで、、、。

 

弱い自分も、弱くなっちゃう自分がいることも分かっているので、だから大体のことは「それ頑張ったらどうにかなるんじゃね」って思うようにしてます。

 

—— 理想の自分、なりたい自分になるために「ありのままの自分でいい」だなんて都合のいい言葉に甘えんじゃねえみたいな?

 

後藤:

 

—— これ僕が好きなマンガに出てきた言葉なんですけど、共感できますか。

 

後藤:出来ますね、刺さりました。

 

 

***

 

—— 後藤さんは大学を卒業したあとも柔道は続けますか。

 

後藤:続けたいと思っています。社会人になってからは全日本実業個人選手権に出てみたいと考えています。

 

—— いいですね。大学柔道を終えて、これまでを振り返って、なにか一言お願いします。

 

後藤:大学での柔道生活は本当に楽しかったです。明確な目標を立てて、それに向かって頑張れるのがすごく嬉しかった。高校の時は心の中で誰かに認めてほしい自分がいて、それが情けなかったですし、自分が嫌いになってしまったりとかもあったので、所属出来るチームがあることは幸せなことでした。

 

そして先ほどもお話しさせていただいた通り、高校の時は小池先生をはじめ、他にもたくさんの先生方や一緒に稽古をしてくれた同年代の柔道仲間など、いろんな人に支えてもらって、今の私があります。まわりに恵まれてばかりでした。言葉では伝えきれないくらいみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

—— 僕が思う理想の柔道選手像は「応援される選手」なんですけど、それは身内だけの話じゃなくて、自分でも知らないようなところで、応援されたり活躍を喜んでもらえたりしてこそだと思うんです。

 

今日初めてお話しさせていただきましたが、多くの人たちが後藤さんを応援する理由がよく分かる気がしました。

 

それでこれからもまわりの人たちに感謝の気持ちを忘れないで、自分が納得のいく柔道生活を営んでほしいし応援しています。

 

後藤:ありがとうございます。図々しいくらい図々しく語らせていただきました。

 

—— 今回はありがとうございました!また機会があれば、ぜひお話しを聴かせて下さい。

 


***

 

みんなに元気を与えられる人を紹介したいと思ってスタートしたこの柔道ブログ。

 

たとえ世界で活躍するような選手じゃなくても、有意義で、尊くて、もっとみんなに知ってほしい素敵な柔道家がまだまだまだまだ沢山いる。

 

後藤さんと話をして、改めてそういう人たちを取り上げられるように、これからもっともっとブログの更新を頑張っていきたいと思った。

 

孤独になっても、不安に晒されても、決して諦めずに戦い続けた彼女の姿に、道は諦めないことで切り開かれるのだと教えられた。

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422