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taiken blogブログでは、僕が気になっている柔道家やその関係者をインタビュー形式で紹介で紹介します。

「何度でも乗り越える。怪我をしてダメになるのは体じゃなくて心だから」#005 福岡克仁

 

「やれることを全部やって引退するならまだしも、心が折れて柔道から離れることはしたくありませんでした。やるからには何者かになりたいし、このままじゃ終われないって気持ちです」

 

画面越しにさわやかな挨拶が聞こえた。合宿中で疲れているであろう体にムチを打ちながら、記憶のひとつひとつをたどり、朗らかに一生懸命話してくれる。いつも気さくで物腰柔らかい雰囲気は、自信がなくて拙いインタビュアーの肩の荷まで下ろしてくれるようだ。

 

「入院してた病院のベランダで、茜色の空をぼんやり眺めていたら涙が止まらなくて。『こんなに頑張ってるのになんでだろう。なんで俺ばっかりこんな目に合うんだろう』って神様を恨んでいました」

 

道家、福岡克仁。大学1年で学生チャンピオンになり順風万歩に見えた柔道生活も度重なる肘、膝の大怪我で一転。医者には現役復帰でさえ難しいと言われた。しかし、苦しくて何度も挫けそうな日々を乗り越え、昨年12月ついに全日本実業個人選手権で奇跡の復活優勝を成し遂げる。

 

もし、いまあなたが出口の見えない暗闇の中にいたり、上手くいかなくて自信をなくしていたりするのなら、ぜひ福岡という人間を知って欲しい。どうやって彼は挫折を乗り越えてきたのか話を聞いた。(文章:平良賢人 taiken0422 写真:福岡克仁)

 


順風万歩に見えた学生時代、初の日本一

 

高校ではインターハイで2年連続3位入賞。翌年、日本大学に進学した1年目の秋に早くも全日本学生柔道体重別選手権大会、通称インカレで優勝し、自身初の日本一の栄誉をつかみ取る。勢いそのままにそれから直ぐに開催された講道館杯でも3位入賞を果たす。

 

インカレで優勝したのは大学生活にも慣れ始めた頃だったようで、一日一日がとにかく必死でしたと話す彼は「初めての日本一は本当に嬉しかったです。別格ですね」と少し照れたように笑っていた。

 

「1年生で学生チャンピオンになれたことは自信になりました。やってきたことは間違いじゃなかったし、これからもっと強くなれると自分にワクワクしていました」

 

大学2年ではインカレ3位、講道館杯5位。すこし順位を落としたが、裏を返せば1年目はただの勢いだけじゃなかったことの証明でもある。落ち込んでいても仕方がない、さあこれからだと気合いを入れて稽古に励んだ。

 

大学3年になった翌年、インカレの東京都予選でその事故は起こる。

 

「試合中に肘を脱臼して、日本武道館から救急車で運ばれました。結果的に肘の整復が6時間くらい出来ず、その影響から神経が麻痺して指が動かせなくなったんです。麻痺が残っている間はリスクがあって手術できなくて、結局1年近く柔道が出来ませんでした」

 

「ショックといえばショックでしたけど、もともと楽観的な性格なので『まあ、なんとかなるでしょ』って感じでした。余談ですが、僕が小学生の頃に想い描いていた将来の夢はサッカーのワールドカップで優勝して、その後に柔道のオリンピックで優勝するです。そんなタイプの人間です」

 

しばらくの期間、地道にリハビリやトレーニングに励み、1年後ついに神経が回復。競技復帰の目処が立ったのは奇しくも自身が肘の怪我を負ったインカレ東京都予選。とはいえ、もちろん万全の状態ではなかったため、普段右組なのを負担の少ない左組に変えて試合に出ることにした。

 

 

「東京都予選の結果は準優勝でした。下手くそなりに頑張りましたが、その後のインカレ、講道館杯ともにベスト16で敗退。それから直ぐに肘の手術だったので、大学4年は落ち着く間もなくごちゃごちゃでしたね。」

 

柔道をしている人ならよく分かると思うのだが、そもそも組手を変えることは決して簡単なことではない。それに補足しておくと、いくら予選といえど東京都はインターハイチャンピオンやら入賞者があたりまえにごろごろいる、なかなかにハイレベルな大会である。

 

「大学卒業前の3月には肘もだいぶ良くなりました。実業団が決まっていたので、『よし、ここからリスタートだ』ってかなり気合い入ってましたね」

 

 

残酷過ぎる運命、神様なんていない。

 

大学を卒業後、実業団の強豪である京葉ガス株式会社に所属し、社会人生活をスタートさせた福岡。日本大学柔道部で培った”圧倒的な稽古量”を信条にとにかく数をこなし、修行のような日々を送っていた。

 

「量質転化じゃないですけど、やっぱり”量”は絶対だと思っていました。それにどうしても不安な部分があったので量にすがるといいますか、、、」

 

もう一度選手として表舞台で輝くため、死に物狂いで日々の練習やトレーニングに励むこと3ヶ月。福岡は人生最大の挫折となった選手生命を脅かすほどの大怪我を負うことになる。

 

「ボキボキボキって音がして膝が変な方向を向いていました。直ぐに救急車で運ばれたんですけど、僕もあまり記憶がなくて、、、」

 

柔道の稽古中、自分の倍近くある体の大きな選手相手に強引に技をしかけたことが原因だった。

 

救急搬送された病院での診断結果は左膝の外側以外、前十字、内側、後十字のすべての靭帯が断裂し、半月板も損傷。選手生命に関わる大怪我は到底受け入れられるものじゃなかった。

 

「なんで俺なんだろう。なんでこんなに努力してる自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。って気持ちでした。入院してた部屋のベランダから夕焼けが見えるんですけど、綺麗な景色とは真逆で惨めな自分の姿に涙が止まらなかったです」

 

「医者からも『これはもう、、、選手としては、、、』って言われていたので、余命宣告をされたというか、どん底ってああいう時のことを言うんだろうなって」

 

肘の怪我を乗り越えたと思ったら、また直ぐに、それももっとハードな壁が現れる。俗にいう「神様は乗り越えられない試練を与えない」とはなんて残酷な言葉なのだろう、、、。

 

こんなに苦しむくらいなら、いっそこの怪我を理由に現役を諦めてもいいのではないだろうか。誰もあなたを責めやしない。夢を手放すのだって勇気ある選択なのだから。けれども、福岡は諦めなかった。夜眠れない布団の中で、人知れず溢れた涙の数だけ、また強くなって必ず畳に戻ると自分に誓った。

 

「気力はなかなか取り戻すことが出来ませんでしたが、小さな頃からオリンピックで優勝することだけを想って柔道を続けてきたのに、怪我で悩んで引退なんてそんな終わり方すごく悔しいなって」

 

「それこそシンデレラじゃないですけど、このまま終われば悪いストーリーでも、自分次第で良い物語に出来るかも知れない。だからどんなに辛くても、もう一度だけ頑張ってみようと思いました。そうやってギリギリの心をなんとか繋いでましたね」

 

 

それから福岡は以前肘を診てもらっていた担当医が専門的な膝の手術もできることを聞きつけ、病院を変えた。その先生に言われた「必ず現役に復活させてあげるから」という言葉を励みに手術を受け、長いリハビリ生活をスタートさせる。

 

「いつも調子が良いわけではなく、前向きだったり後ろ向きだったりしたので、とにかく焦らないよう、2歩進んで1歩下がるでもいいから着実に前へ進んでいきたいと思いました」

 

「最初は柔道を見るのが怖くて仕方なかったんですけど、それも少しずつ慣れていきましたね」

 

輝きを取り戻す。奇跡の復活優勝へ

 

怪我をしてから現役復帰までの期間、もう一度頑張ろうと自分を奮い立たせるきっかけになったエピソードはあるか福岡に聞いた。

 

京葉ガス柔道部の神谷快さんや野々内悠真先輩、日大柔道部の佐藤和哉先輩に声をかけてもらったこともそうなんですけど、なにより忘れられないのが一つあります」

 

「膝の手術をした年の講道館杯で、僕はスーツ姿に首からプラカードを下げて大会役員をしてたんですよ。決勝戦が終わったら優勝者を誘導する係になっていて、そこで誘導したのがジュニア強化時代から何度も全日本合宿を共にした藤坂泰恒でした。

 

同じ位置にいた仲間がいまや講道館杯チャンピオンになって、かたや僕は大会スタッフ。藤坂がいろんな人に声をかけられたりインタビューを受けたりしている間、こっそり影に隠れて惨めで情けない気持ちを堪えていたら、最後に藤坂が僕の肩をパーンと叩いて『俺たちはまだ若い。まだまだやれるっしょ』って声をかけてくれたんです。そこで『俺はスーツを着てこんなことしてる場合じゃねえ』ってスイッチ入りました」

 

たとえ所属が違くても、本気で柔道をしてるからこその繋がりがある。プロになってもこうして同年代で高めあえることがどれだけ尊いことか。そしてコロナ渦を挟み、ついに復活の全日本実業柔道個人選手権大会へと話は進む。

 

 

大会の結果は記事冒頭でも触れた通り、−73kgで優勝。正直な話をすると福岡自身も優勝はあまり考えておらず、ベスト4に入って講道館杯の出場権が取れればいいなくらいに考えていたそうだ。

 

「最初は『あ、優勝した』って感じでした。少しずつ頭が追い付いてきて、ちゃんと理解した瞬間には涙が溢れてとまらなかったです。ここまでの道のりはどうしても苦しいことばかりだったので、辛かった思い出なんかが一気に込み上げて『ああやっと俺、チャンピオンなれたんだ』って。

 

相手もいたので泣くのは我慢しようとしたんですけど、もう止まらなかったです。監督やコーチも泣いて喜んでくれて、一つ恩返しが出来たことも嬉しかった。それとオンラインの動画配信で応援してくれていた母ちゃんが1回戦から泣いていたらしく、優勝してよけい泣かせたのもよかったと思います(笑)」

 

 

 

「過去の自分に堂々と胸を張れるように生きたい」

 

実業団で優勝してから5ヶ月後。2022年5月に開催された全日本強化選手選考大会でも福岡は準優勝という成績を残し、勢いだけでなく地力があることを証明した。

 

「この大会でやっと強化選手に戻ることが出来ました。まあ次の講道館杯までの短い期間ではあるんですけど、これで堂々と『世界で戦いたい』と言えるようにはなったのかなと思います。がむしゃらに夢を追いかけられるのは嬉しいですね」

 

「膝の怪我は美談になんか出来ないし、自分に必要だったなんてそんな綺麗な話ではないです。ただ怪我をするのにはちゃんと原因があって、それは全部自分のせいなので、そこを防ぐ自己管理や柔道のやり方は常に考えるようになりました」

 

 

「いま10年前の自分に会ったとしても『怪我をして苦労したけど、やっとここまで戻ってきたよ』と胸を張って言えるので、これからも過去の自分に恥ずかしくないよう気を引き締めていきたいなと思います」

 

諦めずに努力し、人の心を動かし続けている福岡は誰よりも一番に感動を与えたい"相手"がいる。

 

「自分です。今まで頑張ってよかったなって、自分を一番感動させたいです」

 

どれだけどん底に落ちても必ず這い上がる強さが福岡にはある。今から目指す世界はさらに険しく、いままで以上に壁や試練が待ち受けているかもしれないが、きっと彼が進む道の先には応援してくれる家族や友人、同志でありライバルでもある仲間たちが光を照らしてくれる。

 

***

 

今回の取材は今年の5月に行ったものです、、、。

 

それと今週末は全日本実業個人選手権ですね、選手のみなさん応援しています!頑張ってください。

 

では最後に貴重な話を聞かせてくれた福岡選手、本当にありがとうございました。益々のご活躍を楽しみにしています!

 

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