※こちらの記事は2020年9月に書いたものです。
「今こそは未来の原因であり、過去の結果である」
中学時代、柔道部の恩師がよく話していた。
いまを大切にして欲しい。そんな思いの中に「昨日の自分に恥ずかしくない生き方をしよう」だとか「自分を変えたいと思うならそれは今だ」だとか、そんなふうに背中を押してもらえているようで、勇気が出る言葉だと僕は感じている。
中学、高校、大学、社会人、またまた大学とそれぞれの場所でまわりの人たちに助けてもらいながら27歳になった僕は、いいかげん勇気を与えられる側に回りたいと思っているのだけれども、それはまだまだ先の話になりそうだ。
勇気を与えてくれる人たちの話が聴きたい。彼ら彼女らの人生や見てる世界を知りたくて、小さな頃からずっと尊敬している先輩に連絡をした。
「時間は気にしないで大丈夫だよ!お願いしまーす!!」
━━ やんわりした雰囲気でオンライン取材に応えてくれたのは、沖縄柔道界初の高校女子インターハイチャンピオンであり、筑波大でも活躍した饒平名知子さん。
━━ 柔道を始めたキッカケは?
饒平名:いとこがやっていて興味を持ったのと、体は小柄だけど力が強かったから「私も柔道をやってみたいなぁ」と思って。
小学2年生のときに地元の「浦添警察署少年柔道クラブ」に見学に行ったんだけど「体が小さいし細いし、もしケガでもしたら大変だ」という理由ではじめは入門を認めてもらえなかったんだよね。
めげずに何度も見学に通って、やっと入れてもらえた。
━━ 柔道を始めた頃の気持ちって覚えていますか?
饒平名:もちろん!!とにかく楽しかったよ。
練習の中に遊びを取り入れたメニューがあったり道場にいる人がみんな優しかったり、厳しいチーム特有の「練習しないならどっか行けば?」とかそういうのとは無縁で、強くなりたいならどうぞって雰囲気。
でもチームの意識も高かったから、すごくいい練習をしていたと思う。
━━ 先輩は途中から道場を「浦添署」から「糸満署(糸満警察署少年柔道クラブ)」に変えたじゃないですか?それはどうして?
饒平名:これは小学5年生のときだね。
実は小4から柔道と並行して小学校のハンドボールクラブに入っていたんだけど、そしたらだんだん柔道が嫌になっちゃって…。浦添署を退部して、1年間だけ柔道から離れました。
━━ え、一度辞めてたんですか?
饒平名:ハンドは団体競技だからいつもまわりに仲間がいて、不安なときや上手くいかないときに声をかけあって励まし合えるのが好きでさ。チームスポーツの楽しさを知ってしまったんだよね。
だけど欲張りなのか、小5でまた柔道をやりたいなと…。
浦添署は退部しちゃったし道場どうしようかと考えていて。ちょうどその頃は糸満署が強くて部員も多くて盛り上がっていたから、じゃあそこにしようかと。
━━ なるほど。僕も糸満署だったんですけど、当時の盛り上がりすごかったですよね。 部員も60名くらいいたんじゃないかな。
小5から柔道とハンドとの両立になりましたが、中学から柔道を選んだ理由は?
饒平名:小6のときにハンドで全国制覇したのね。この競技で日本一は経験したので、中学では柔道を頑張りたいなって。
ハンド部では副キャプテンを務めていたんだけど、誠に勝手ながら誰にも相談せず、練習終わりに監督のところに行って「今日で辞めます」って言った。(笑)
━━ 全国制覇??す、すげえ、、、。
でも、相談なしはマジで誠に勝手ですね(笑)
饒平名:やばいよね?本当に無責任だったと反省してる(笑)
でも、「柔道を頑張りたいなー」と思ったんですよ。
━━ 中学での柔道生活はどうでしたか?
饒平名:糸満署の人は西崎中に行く流れがあるじゃん?それで私も西崎に決めたんだけど、浦添から糸満まで通うのは簡単ではなくて、毎日バス通学だったのは大変だったなぁ。
両親は居酒屋を営んでいて、送迎してもらうのは迷惑になると分かっていながら、たまにわざと寝坊して車で送ってもらったりしてた。
あと中1のとき、絞め技が本当に怖すぎて試合で絞められて全然入ってないのに「参った」して一本負けしたこともあるよ。メンタル弱すぎたな。
━━ 中学3年間で、特に思い出に残っていることは?
饒平名:九州大会で準優勝したこと。
決勝戦で志々目愛ちゃんとあたったんだけど、準決勝を絞め技で勝っていたから「コイツは『絞め技』がすごいやつなんだ」と思って、ビビって背負い投げを1回もかけれずに判定負け。
(※志々目愛選手 2017 世界選手権-52kg級 優勝)
だって、背負いかけたら絞められるじゃん?
━━ 僕の記憶が正しければ、先輩試合後にめちゃめちゃ先生に叱られてましたよね。
饒平名:そう。超怒鳴られた!!(笑)
先生も悔しかったみたいで、「一生忘れられない」って言ってた。
━━ とはいえ九州大会準優勝。やっぱり嬉しかったですか?
饒平名:当時はまだ沖縄が弱かった時代だから、その中で決勝戦まで上がれたことに満足してた。悔しさはなくて「だって締め技怖かったんだもん」みたいなね。
━━ では、話を高校時代に進めたいと思います。
沖縄尚学高校に入学したときから、日本一を目指していたんですか?
饒平名:んー、どうだろ。高校入学前の3月から柔道部寮に入って練習を始めたんだけど、さっそく3部練が始まったのね。
朝練終わって仮眠して起きたら「は?まだ朝9時?」ってなって、午前練終わって仮眠して起きたら「は?まだ昼2時?」みたいな。1日が長いし体はキツいしで「日本一になるぞ!」どころではなく、とにかく「この環境に慣れなきゃ」って気持ちだった。
高校は中学と比べて練習量が桁違いでした……。
━━ 今までの柔道はお遊びだったんだなぁって思いますよね。柔道部あるあるだけど「陸上部かな?」ってくらい走らされますし(笑)。
饒平名:それだけハードな練習をしながらも高1の間はまったく試合に出れなかったんだよね。その頃は試合に出れるのが、各階級各学校1名って決まっていて。
※現在は各学校2名
インターハイには応援で行ったんだけど、選手とは宿舎が違うし、やることと言えば本当に雑用だけ。応援席で試合を見ながら「私はここでなにしてんだ」って腹が立ってきて、そこで火がついた。もう強くなるしかないって気持ちだよね。
━━ それから1年後。高2でインターハイ優勝。日本一は狙っていたんですか?
饒平名:それがね、そうでもないんだ。ベスト8に入れたらいいなくらいの気持ちだった。
インターハイは県で1位になった人しかいないから、弱い人はいないし、結果には拘っていなくて。自分の柔道ができればいいや。ここまでキツい練習をしてきたんだから思いっきりやろう!試合を楽しもう!って。
中学でも全国大会に出ていないから、自分が全国でどの位置にいるのかもわからない。だから「自分のレベルが知れたらいいなー」で出場して優勝したのがインターハイだったわけ。
━━ そうだったんだですか?てっきり優勝を狙っていたのだと思っていました。インターハイの話をもう少し詳しく教えてください。
饒平名:よく覚えてるんだけど、試合当日って他の階級もあるから試合が被ったり近づいたりすると試合会場で1人になるときあるじゃん?私はその時間がけっこう苦手でいつもなら誰か側にいてほしいと思うんだけど、その日は1人でもリラックス出来たし自然と集中してた。
━━ 目標であるベスト8を達成して、準々決勝に臨むわけじゃないですか?どんな心境でしたか?
饒平名:スーッと心と体が入っていったから、特に何も考えていなかったかな。勝ち負けじゃなくて「とにかく全力を出そう」「思いっきりやろう」って気持ちだったよ。
勝ち負けを意識したら「この集中はついていかない」って感覚もあったから、考えるのではなくて体に任せた。優勝とか先のことは考えず、目の前にだけ集中していたんだと思う。
━━ ゾーンかな?準々決勝、準決勝を勝利して、いよいよ決勝戦へ。
饒平名:決勝の相手が埼玉栄高校の有名な選手だったのね。
インターハイ直前の合宿で何度か埼玉栄と練習試合をしてたんだけど、その度に「この人にあててください」って監督にお願いしてたのよ。もちろんインターハイで勝ちたいなんて気持ちはなくて、純粋に同じ階級の強い人と試合をしてみたくて。
誰がどう見たって相手が強いのは一目瞭然だし、案の定ボロボロにされたけど「もう一回やらせて下さい」って、何度も何度もしつこくしがみついた。
━━ そんな背景があったんですね。
饒平名:だから組み手や寝技が強いってことは知ってたんだよね。それなのに決勝戦は気をつけていたはずの寝技で開始早々に抑え込まれた。
けど6秒くらいで逃げて、そこから少しずつ流れがこっちに来てる感触を掴んで、試合時間残り1分「小内巻込」で有効を取って、、、。
普通リードしたら「試合時間あと何秒?」って焦るじゃん?それがまったくなくて落ち着いて淡々と試合運びをしてたら、優勝のブザーが鳴った。全然実感なかったけど、自然と涙が出てきて「やっと日本一だぁ〜」って嬉しかったなぁ。
━━ その日のこと、僕もすごく覚えてます。僕は実家にいたんですけど、先輩がベスト8に入ったあたりからガラケーでずっと速報を見ていました。
ベスト4、決勝進出、優勝と勝ち上がるたびに「母さん!!知子先輩勝った!!」って興奮して台所にいた母親に向かって叫んでいたので(笑)。
━━ 優勝から1年。今度は地元開催のインターハイ。これは2連覇するぞ!って気持ちですよね?
饒平名:うん。でも連覇したいとは思っていたんだけど、それ以上に不安がたくさんあって、、、。
インターハイで優勝したことは自信になったけど、こんなんで優勝していいのか?って気持ちもあった。だから「マグレなんじゃないか?」と縮こまって、高3の頃は思いっきり柔道ができない毎日を過ごしてた。
県予選で負けるんじゃないか?とか、しょっちゅう後ろ向きなことを考えちゃって。まわりからの期待を自分の力に変えられなかったな~。
【※テレビで取り上げられた時の記事】
━━ 2年生の時とは正反対だ…。精神的な苦しさも抱えていたんですね。
饒平名:インターハイ、組み合わせを見たら準々決勝で「この人が上がってきたら嫌だな」って思う人がいて「上がってこないといいな。もしあたったら大丈夫かな?」って弱気なことばかり考えていたら、本当にその人が上がって来ちゃってね。
一応対策はしてたんだけど、先にポイントをリードされて何も出来ないまま試合が進んだ。最後くらい思いっきりいこうと思って攻めたけど、結局取り返せずに、結果はベスト8。
試合が終わったときに感じたのは「2年生でインターハイを優勝してからずっと大きなプレッシャーの中で頑張れたのはいい経験だったけど、もう少し気持ちに余裕を持つことが出来たんじゃないか?」ってことだよね。終わってから気づくんじゃ遅いけど、本当にそう思ったよ。
試合後、ある先輩に「大きいプレッシャーの中でよく頑張ったね」って言われたんだけど、安心感というか「わかってくれる人がいた」って嬉しい気持ちになって、あれは泣いたなぁ。
━━ 実はその試合近くで見てました。先輩、負けたあと礼をして試合場から出た瞬間に崩れ落ちて、歩けなくなっちゃって……。覚えてますか?
饒平名:覚えてるよ。なんなんだろうね。きっと悔しかったんだと思う。うん。プレッシャーも凄かったけど、やるからに勝ちたくて、だけど負けて。
━━ インターハイが終わって「悔しさ」と「プレッシャーからの解放」はどっちが大きかったんですか?
饒平名:悔しさかな。勝つことで証明したかったこともあるから、それが出来なかったのはやっぱりね。
━━ いま高3の自分へ、声をかけられるとすれば何を伝えたい?
饒平名:「力を抜いて。気持ちを楽にして。結果だけに囚われなくていいんだよ。自分のやりたいことを伸び伸びしていいんだよ。柔道を楽しんでね」って伝えたい。
━━ 話を大学に進めます。大学時代、思い出深かったことを話してもらえますか?
饒平名:筑波大学に進学したんだけど、オリンピック選手や日本代表はもちろん大きな大会で活躍している人がそこら中にいる世界だったのね。普通なら「こんなところで学べるんだ」ってキラキラすると思うんだけど、私はそこで縮こまっちゃって。
インターハイ優勝枠で入ったものの「本当に私でよかったのか?」って思いがずっと付きまとって、思いっきり柔道が出来なかった、、、。
例えばものすごい努力をして念願のインターハイで優勝出来たのなら、それは大きな自信になると思うんだけど、ベスト8でいいと思っていたインターハイで優勝しちゃったから、こんなんでいいのかな?って気持ちで最初筑波に来てしまってね……。
それに筑波大は自主性を重んじる大学だから、高校までの「やらされる練習」ではなくて。そこで自分を追い込めなくて結果も右肩下がりに……。
━━ 4年間ズルズルいったんですか?
饒平名:3年生の途中まで。まあそんな状態ではあったけど1、2年の時は関東大会を勝ち抜けて全国大会にも出れてたのね。
だけど、3年からはついに気持ちがついて来なくなって。心と体が不一致過ぎて、親にも「今年の試合は観にこなくていいよ。たぶん1回戦で負けてインカレも出れないと思うから」って電話で伝えたら、本当にそうなってしまった。
その時、大学に行かせてくれて、いつも応援してくれている親のことを考えたら「私はなにをやっているんだろう」って、目が醒めたというか、やっと気がついた。
大学生活は残り1年。4年生で結果を出しても遅いんだけど、遅いとかじゃなくてやることに意味があるんだと決めて、心を入れ替えて練習に励んでね、、、。
1年後、4年生になって出た関東大会で優勝して、もう1度日本一を目指そうと出場した大学最後の全国大会は準決勝まで上がったけど、そこで負けて3位って結果だった。
━━ 高校までの先輩しか知らなかったから、そんなことがあったんだと驚きでいっぱいです。全国大会が終わったあとも試合は続くじゃないですか?どうでしたか?
饒平名:全国大会で気持ちがプツンと切れちゃってね。縮こまって苦しんだ4年間だったから、大学最後の1年は自分の殻を破れた手応えもあって満足しちゃったんだよね。講道館杯も控えていたけど、まったく練習に身が入らなかった。
講道館杯、1回戦で高校生に負けたのに全然悔しくなくて涙も出なかったから「ああ、終わった」って気持ちになってさ。こんなんで現役を続けても意味がない、自分の柔道人生に終止符を打とうって。
悔しさがないってことは「もう自分の柔道人生に満足したのかな」って思えて、素直に現役から離れようと決めました。
***
━━ ここからはいくつか質問をしたいと思います。尊敬してる選手は?
饒平名:福見先輩。
(※ 福見友子選手 ロンドンオリンピック柔道-48kg級 5位)
━━ そう言えば、先輩ってロンドンオリンピックで福見選手の付き人でしたよね?ロンドンに行ったときの話を教えて下さい。
饒平名:ハリーポッターの9と4分の3番線を見に行ったり、散歩や買い物に出かけたりが多かったかな。二十歳の誕生日を向こうで迎えたんだけど、通っていたジェラート屋さんがサプライズでケーキを用意してくれてたの嬉しかったなぁ。
付き人でオリンピックに連れて行ってくれた福見先輩には感謝でいっぱいです。
━━ 柔道でいちばんの思い出は?
饒平名:減量。高校時代の面白い話聞く?
試合前にあと1kg落とさないといけなかったんだけど、サウナに入ってもサラサラで汗が出ない。いくらガムを噛んでも唾液が出ないってことがあったのね。もちろんお腹は空いて、喉はカラカラ。
そのとき、お母さんが新聞を読んでいたんだけど、なにを思ったのか、お母さんの二の腕に思いっきり噛みついちゃってさ。肉に見えたのかな?
相当強く噛んでるのに、お母さん、全然振り払わなくて…。ハッと我に帰って顔を見たら、ボロボロ涙を流して泣いていて「ごめん、お母さんごめん」って慌てて謝って。
次の日、お母さんの二の腕を見たら痛そうに青くなっていて、そんなになるまで強く噛んだのに、気が済むまで噛ませてくれてた……。
━━ すみません。まったく笑えないし、もしかして泣かそうとしてます?。
饒平名:いまとなれば笑い話だよ!!(笑)
━━ いや、本当に泣きそうだからやめて。
━━ 先輩は外国の柔道に興味があると聞いているんですけど、その話もしてもらえますか?
饒平名:筑波大学には外国人選手が時期を問わず合宿に来ていたんだけど、見たかぎり練習は日本人の半分しかしてなかったのね。それなのに、国際大会では日本人に勝つこともある。
簡単な話、オンとオフの使い方が上手いってことなんだろうけど、それが「なんでだろう?」って気になって。ざっとだけど「オンとオフの切り替え」「小さい頃から指導者が変わらないメリットの働き」「オリンピックになると突然結果を出す分析力」「日本の柔道人口は減る一方で外国は増えている理由」なんかには特に興味があって、直接外国に見に行きたいって思いがある。
柔道に対する考え方が日本とはどう違うのだろう?レベルが上がるにつれ、海外選手はどこに力を入れて、趣を置いているのだろう?ってところも気になる。
━━ 柔道から学んだこと、好きな言葉を教えて下さい。
饒平名:いちばん学んだのは「感謝の気持ち」かな。ありふれた言葉だけどここまでの過程をたどれば、やっぱり「感謝」だと思う。支えてくれた人たちがいたから頑張ってこれた訳で、決して自分ひとりの柔道ではなかったから。
好きな言葉は「勇気」。中学の先生がよく話してた「どんなに怖くても立ち向かっていくこと」は私に必要だし、大切なことだから。
━━ 先輩にとって「柔道」とはなんでしょうか?
饒平名:私の未来を明るくさせたもの。です。
━━ これからどんな人間になりたい?
饒平名:現役のときは柔道で勇気を与えられる人になりたいと思っていたのだけど、引退した今の私は何で勇気を与えることができるのか?考えているところなんだよね。
いまの私は学ぶことを惜しまないかな?学び続ける人でありたい。
━━ いま1番やりたいことは?
饒平名:とにかく旅行。いろんな国に行っていろんな人に触れ合って、沢山の体験したい。百聞は一見にしかずということわざもあるように、自分の目でいろんなことを確かめたい!!!!世界は広いからね!!
━━ では、最後に柔道をしているみんなへ一言お願いします。
饒平名:とにかく楽しんでやってほしいなと思う。私は柔道を通していろんな人に支えられてここまで来れたし、一緒に頑張る仲間たちに出会えたことも素敵なことだと思っています。
勝負の世界だから苦しいことはいくつもあるけど、いつか自分自身を大きく成長させてくれて、柔道をやっていて良かったなと思ってくれたら嬉しい。
何度も言うようだけど、柔道を頑張って来たからいろんな仲間に出会うことが出来たし、海外にも友達が出来た。それが今1番自分の財産かなと思っています。
「忘れるな!感謝の気持ち!!」これだけは絶対。
***
取材を終えてから「勇気」とは何なのか、ひとりで考えてみた。
僕が思うに「勇気」とは目の前の自分にちゃんと向き合うことなのではないだろうか?
誰かのために。自分のために。そっと気持ちを震わせて、前へ飛び出してみる。そうして振り絞った勇気が、まわりに伝染して、ジワジワと広がり、次へ次へと連鎖していくのだと思う。
そして、1度ついた火種は簡単には消えない。
苦しいことや辛いことを微塵も感じさせず、自然体でいる饒平名先輩の話を聴いて、ほんの少しでも先輩のような「まわりに勇気を与えられる人」になれたらいいなと思った。
よーし、頑張るぞー!!
Text by 平良賢人 (@taiken0422)