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taiken blogブログでは、僕が気になっている柔道家やその関係者をインタビュー形式で紹介で紹介します。

柔道は人生を豊かにすると信じているから。 #017 下田一輝

こんにちは。ダイエット柔道家の平良です。

 

さっそくですが、昨年は初めて実業団の大会に出場したり、学校や道場などいろんなところで稽古に参加させていただいたり、関わってくださったみなさんのおかげで、充実した毎日を過ごすことが出来ました。

 

ただ一方で、まわりを見渡せば同年代の多くは結婚をして子育てをしていたり、職場でのキャリアを着実にステップアップさせていたり、ふと冷静になればなるほど「今自分は柔道をしている場合ではないのでは?もっと他にやるべきことがあるのではないか?」と不安に思うこともあります。

 

だから自分が余計なことを考えずに柔道をするには意義とか意味が必要で、いや、もちろん柔道をすることに理由なんていらないのだけれど、よくそういうことに心を揺さぶられてしまいました。なので、今年は自分と他者を比べるのはやめて、なるべくポジティブに、自分が好きな柔道を好きなように楽しめたらいいなと思っています。

 

さて、今回のブログは僕がみんなに知ってほしいと思う柔道家の中でも、特別エネルギッシュで、自分が面白いと思ったことは迷わず飛び込んでいく、実業団大森クラブ監督の下田一輝さん(以下、しもかず)に話を聴きました

 

新しい発見や出会いは人生のスパイスになる。大変なこともあるけれど、自分の安全地帯から1歩外に飛び出せば、自分の世界を広げる入口に立てると思う

 

愛知県豊橋市にある株式会社大森鉄工所三代目跡継ぎとして、日夜業務に奮闘している彼のこれまでと、仕事・趣味・柔道を適度な力加減で相乗作用させながら、人生をより面白い方へと展開させていくことについてのお話しです。

 

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下田 一輝(kazuki shimoda)
・1994年2月11日 愛知生まれ 
・浜松商業高校⇨法政大学⇨明治大学大学院⇨朝日木村加工株式会社⇨株式会社大森鉄工所
・2025年にご両親が立ち上げた実業団大森クラブで選手兼監督を務める

 

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━━ 久しぶり。今日はよろしくお願いします。

 

下田:こちらこそお願いします。

 

━━ しもかずとは大学は違うけど、お互い東京に上京して、わりと早い頃からの付き合いだよね。

 

学生の頃はちょくちょく渋谷で飲み歩いたり、平日の真昼間に突然連絡してきて「今からケンタッキーの食べ放題に行こう」と誘ってきたり、その頃からいつも楽しくて面白いことをしているイメージがある。

 

下田:学生の頃は楽しかったね。もうあんまり覚えていないけど、東京という街が自分に合っていた気がするよ。

 

━━ 僕は当時のことをまだ鮮明に覚えているんだけど、忘れられないのが大学の新歓シーズンに、しもかずが新入生のフリをしてテニスサークルの飲み会に潜入してたこと。

 

下田:行ってた行ってた。右も左も分からない新入生感を醸し出して、1年生から3年生まで毎年潜入してた!!笑

 

高校を卒業するまでは柔道しかして来なかったし、大学もスポーツ推薦で柔道中心の生活になることが確定していたから、少しくらい普通のキャンパスライフを経験してみたかったんだよね。

 

━━ あぁ、それはすごい分かる(俺が大学に入学したばかりの時、日大商学部も新歓のビラ配りですごい人だかりだったのに、1枚もビラ貰えなくて泣きそうになったなぁ、、、)。

 

あれ、しもかずなら高校生活エンジョイしてそうだけど、そうでもなかったの?

 

下田:全然楽しくなかったよ。性格も根が真面目だから、それに拍車がかかっちゃって。機械的な人間だったというか、ロボットに近かったというか。あれはもはや柔道兵士だったね。

 

━━ 柔道兵士、、、。真面目な人ほど、そういう環境にどっぷり浸かると、人格おかしくなっちゃう時あるよね。

 

下田:柔道は頑張るとか頑張らないとかそういうことじゃなくて、生きていくためにやらなきゃいけないことって感覚だったなぁ。

 

高校時代はずっと心が張りつめていて、人と上手く接しられるタイプでもないから、団体というよりは個人で動いてた。そんなタイプだったから、もし大人数の大学柔道部に進んでいたらいじめられていたと思う。それにもともと明るいタイプでもないよ。

 

━━ 僕のイメージでは根が明るくて、人と関わるのが好きで、もともとそういうタイプの人だと思っていたからけっこう意外かも。

 

大学生になって、今みたいに明るく変わっていったのはどうやって?

 

下田:同期に恵まれたことが一番の理由かな。柔道強い人って良くも悪くも個性が強い人多いじゃん?

 

でも法政大学には変にオラオラしてる人はいないし、6人の同期がちょうどいい個性の豊かさで、それで人と関わるのが楽しくなっていったんだよね。

 

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***

 

━━ 僕はしもかずと楽しい時間だけ共有していたから、それ以外のところは全然知らなかったと気付いた。せっかくの機会だから大学を卒業してから現在に至るまでの話を聞いてもいい?

 

下田:大丈夫だよ。それなら、就職活動あたりから話そうかね。

 

大学3年の後半から就活を始めたんだけど、第一に考えたのが「もう柔道はしたくない」だったのね。だからと言って他にやりたいことがある訳でもなく、だいたい柔道しかして来なかった人間に「今から仕事を選びなさい」なんて言われてもそんなの無理じゃん?

 

━━ 「柔道はしたくない」が前提だと余計難しいかも知れない、、、。

 

下田:だから適当にフラフラ就活をしていたんだけど、一度両親と話した時に母親に「大学院に行けば?」って言われてさ。

 

それはいずれ家業を継いでほしいから経営について勉強して来いってことだったと思うんだけど、その時は正直あまりピンと来なかったんだよね。

 

━━ うんうん。

 

下田:大学4年になって、いつまでもフラフラしてる訳にもいかず、自分が将来何をしたいのかちゃんと考えてみたら、これまでの人生まともに勉強して来なかったし、1度はちゃんと勉強してみるのもありだなと思って、それで院を受験することに決めた。

 

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━━ 院の受験を決めたのは何月頃?

 

下田:尼崎の団体戦が終わってからだから10月くらいかな?

 

━━ おそっ!!さすがに遅過ぎない??

 

下田:いや〜、だからかなり過酷に勉強したよ。毎日20時間くらいかな。その甲斐あって、なんとか明治大学の専門職大学院に合格出来てさ。

 

━━ 凄い話だな。その大学院ではどんな勉強をしたの?

 

下田:ビジネスの勉強だよ。授業は夜間にあるから、みんな日中働いて、仕事終わりにそのまま勉強しに来るって感じ。人数は授業にもよるけど、5〜20名くらいかな。

 

━━ あのさ、たぶん仕事終わりにそんなところに通うってことは、他の人たちって所謂エリートというか、優秀な人たちじゃん?合格してるとは言え、勉強大丈夫だったの?

 

下田:まさにその通りで、僕も入ってから気付いたんだけど、どう考えても新卒で入るような場所ではなかったよね。経営者や大手企業に在職する将来の幹部候補が人間関係を広げるためだったり、能力を高めるためだったりで来る場所だから、けっこう白い目で見られてた。

 

授業もディスカッションが多くて、なんとか必死に食らいつこうとしても、僕みたいに働いた経験の少ない人間の意見は「お前何言ってんだ」ってなっちゃうよね。

 

━━ 柔道をしていた時とはまた違う苦しさがあるね、、、。

 

下田:まあ場違いだったとしてもレベルの高い環境に2年もいれば、それなりに鍛えられるじゃん?そういう感じだった。キツかったけど、そこで勉強した内容がどうとかいうよりも、そこにいる人たちの感覚とか基準みたいなものを真近で見て聞けたことは大きかったなぁ。

 

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━━ 院の勉強は前向きに取り組めていたの?

 

下田:んー、ぶっちゃけ毎日嫌だった。見返したい気持ちもあったけど、やっぱりキツくてさ。あの頃はずっと泥水を啜っている気分だったから。

 

━━ 院の2年間で思い出深い出来事はある?

 

下田:2年生になってからのラスト1年は、担当の先生とマンツーマンだったんだけど、そこでギチギチのお弁当箱みたいに知識を詰め込まれて、本当年末年始でさえも休む暇がないくらいだったから、あの時のことはなかなか忘れられない。

 

パワハ、、、今となっては、あの時追い込まれながらも教わった実務的な知識が凄く役立ってる。

 

━━ パワハ、、、先生はさ、しもかずに必要な能力を見極めて教えてくれていたのかもね。

 

***

 

━━ ちょうどこの頃だと思うんだけど、海外にもよく行ってなかった?

 

下田:行ってたよ。院に通っている内に海外で働きたいって気持ちも出てきたから、夏休みや冬休みにバイトで貯めたお金を全部使って1人で海外に行って、1週間だったり1ヶ月だったり、現地で生活することを可能な限り繰り返してた。

 

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━━ そういうことを平気で出来ちゃうのが凄いよね。英語の勉強はどうしてたの?

 

下田:中学校の教科書とオンライン英会話で基礎を作って、ある程度出来てきたら海外に行って、現地でひたすら喋るって感じかな。

 

━━ 学生の頃は動物園を「ズー」じゃなくて「アニマルパーク」と答えていたあの、しもかずが、、、。頑張ったんだね、、、。

 

下田:海外はとりあえず、オーストラリラ、韓国、台湾、ベトネムに行ったよ。

 

ただ海外に行くのもお金がかかるら、英語で一通りやり取りが出来るようになってからはインスタやフェイスブックを使って、自分から「私は日本で柔道をしていて、現役を終えたばかりです。無料で柔道の指導をするので、現地での生活費などを面倒見ていただけませんか」と見つけた柔道クラブに片っ端からメッセージ送って、それで了承をもらえた国には柔道指導という形で行かせてもらったね。

 

━━ めちゃめちゃ尊敬する。大学の新歓に潜入してたのは正直どうかと思ったけど、こういう行動力は僕にはないから、語彙力なくてあれだけど、ガチでマジやばい。

 

柔道指導ではどこの国に行ったの?

 

下田:えっとね、ベトナム、タイ、ニューカレドニア、アメリカにも行ったよ。アメリカはEastside dojo っていう、日大だと原沢久喜選手や向翔一郎選手、青木雅道くんも指導しに行ってたところだよ。実は僕もそこに行かせていただきました。

 

━━ 一流選手じゃなくても、やり方次第で海外と繋がれるのは、日本で柔道をしていることの価値というか、いい活かし方だね。

 

しもかずにとっては生活の一部で、生きる上であたりまえに続けてきた柔道だけど、それまでは漠然としていたものがクリアになったというか、こうして柔道が自分の人生を切り開く明確な武器の1つになってよかった。

 

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***

 

その後、大学院を卒業し、そのままマレーシアで3年間働いて、日本に帰って家業を継ぐことを決心するという話があるのですが、省略させていただきます。一応サザエさんの予告風に3エピソード取り上げますと、、、

 

・しもかず、すべてを漏らし狂人と化す。

・マレーシアの悲劇。またみんなに白い目で見られる。

・YouTubeで銀の盾ゲット。最高月収100万円到達。

 

てな感じです。もし気になる方がいらっしゃいましたら、しもかずに直接お願いします。

 

あと、社会人になってから現在まで、海外にはカンボジア、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フランス、イタリア、スペイン、トルコに行ったそうです。行き過ぎじゃね?

 

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***

 

━━ 海外での仕事に一区切りをつけて、日本で家業を継ぐことになった経緯を聞いてもいい?

 

下田:両親が体調を崩したことが一番の理由で、それで日本に戻らなきゃって気持ちが強くなったんだよね。あと自分で仕事もやりたかったから、これを機に家業を上手いこと出来れば、自分のやりたいことも出来るんじゃないか?と思って。

 

━━ 家業である大森鉄工所の仕事内容を教えてもらえる?

 

下田:建築に使う鉄骨を作ったり、施工図の作成から製作まで一貫で対応していて、僕は主に図面の制作や営業、見積もり、発注、スケジュール調整、納品を担当しています。

 

━━ これはまた忙しそうだね、、、。例に漏れず最初はまわりの人に白い目で見られた?

 

下田:見られたね。職人仕事だから若いだけで舐められることもあったし、それに加えて僕には知識がないから下に見られている期間が結構あった。その時は殺意に満ち満ちていたよ。

 

専門用語もかなり飛び交う場所だから、だからこそ職人さんやお客さんと対等に話せた時は嬉しかったなぁ。

 

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━━ 今の仕事で感動したことは何かある?

 

下田:自分が図面を描いた建物が立っていると嬉しいかな。つい見に行っちゃう。笑

 

***

 

━━ ここまで話を聴いて、しもかずは好奇心や勢いだけの人じゃなく、いつも楽しそうに見えていた裏側には想像もしてなかった努力と苦労があったのだと分かった。

 

ちはやふるって漫画にでてくる机くんの名言「やりたいことを思いっきりやるためには、やりたくないことも思いっきりやんなきゃいけないんだ」を思い出したよ。

 

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下田:今年は実業団も立ち上げたしね。やりがいを感じているから決して仕事をやりたくないわけじゃないんだけど、仕事を一生懸命やるからこそ、実業団とかそういうことを始められるようになるよね。

 

━━ 本当にその通りだね。実業団の方は僕も立ち上げ1発目の選手として大森クラブに所属させていただいて、有難い気持ちでいっぱいです。

 

ちなみに今後こうしていきたいみたいな展望はあるの?

 

下田:大森クラブの実業団は社会人になって、久しぶりに柔道をやりたい人が楽しく出来る場所でありたいと思っていて、そういう環境を作っていけたらいいな。それから高卒就職で柔道をしたい子を雇って、働きながら柔道もできる環境を作ってあげたいな。みんなでワイワイ出来れば楽しいだろうしね。

 

━━ チームの方針は競技っていうよりは社会貢献て感じなのかな?

 

下田:メインは仕事だからね。でもやるからには勝ちたくなると思う。まあ、まだ1年目だし、始まったばかりだから、手探りで面白そうなものに合わせて変化していきたい。

 

━━ あ、そうだ、これは決してヨイショじゃないんだけど、大森クラブの少年柔道は素敵だよねって話をすこし僕からさせてください!

 

夏休みに大森クラブの練習に参加させてもらった時に、まずウォーミングアップにダンスが取り入れられていたことに驚いて、あと練習後におもちゃが配られるとか、ちょっと見たことない光景の連続だったんだよね。

 

そんな感じの型にとらわれないチームである一方、子どもたちの礼儀作法や周囲への気遣いがかなりちゃんとしていて、お世辞抜きに沖縄の少年柔道では見たことないレベルだったからあれは本当に驚いた。

 

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下田:ああ、確かに、礼法はしっかり指導してるかも。

 

━━ それになにより、コーチ陣の年齢層が若くて人数も多い。この年代の人たちが関わろうと思える柔道クラブであることが、すべてを物語っていると思う。すごくいいことだね。

 

***

 

━━ では最後に、しもかず個人として今後の目標を教えてください。

 

下田:今日話して改めて思ったんだけど、僕は本当にいろんな人に助けてもらって、受け入れてもらってきた。柔道をしたり、勉強をしたり、海外に行ったり、たくさんの機会をもらってきたから、それを今度は自分が与えられる立場、人間になりたいと強く思っている。

 

家業も頑張りたいし、海外で仕事もしてみたい。実業団もこれからだし、海外で柔道するのもいいかもしれない。ワクワクすること、やっぱり面白いことがしたいよね。

 

━━ しもかずの中では仕事も趣味も柔道も、それぞれが自分とそしてまわりの人たちを幸せにするための手段として繋がっているんだね。

 

それとさ、「自分がもらってきたものを今度は与えられるようになりたい」って話、僕も初心を思い出したというか、かなり刺さりました、、、。

 

下田:ずっと柔道は生活の一部としてあたりまえにあって、子どもの頃は好きとか嫌いとかそういう感情を抱いたことすらなかったんだけど、今の自分は柔道が好きだと自覚しているし、柔道は人生を豊かさにするものだと信じている。

 

━━ 今回しもかずに話を聴こうと思った理由が、自分が柔道をすることに理由を求めて苦しくなったからなんだけど、第一線を目指す訳でもないのに僕がこうして柔道を続けているのは、現役で頑張っている仲間たちに、もらってばかりいる元気や活力を自分からも返していきたいと思ったからで、戦っているステージや目的、レベルは全然違くても、たとえそれがおこがましくても、みんなが少し疲れた時に、僕も柔道を続けているよと寄り添える人間になりたいと思ったからだ。

 

下田:うん、出来る出来ないじゃなくて、自分がそこにワクワクを感じるなら、迷わずに、ブレずに、飛び込んだ方がいいと思う。それはきっと感情が大きく動く出来事になるから。

 

それに新しい発見や出会いは人生のスパイスになるよね。大変なこともあるけれど、自分の安全地帯から1歩外に飛び出せば、自分の世界を広げる入口に立てると思う。

 

そして、最終的にそれを誰かと共有出来たらいいね。人と関わることも凄く大切なことだから。

 

━━ そうだね。人は一人では生きていけないもんね。

 

しもかず、今日は本当にありがとう。自分が柔道をしている理由とか大切なことを思い出せたよ。

 

これから自分がやりたいと思ったことは、たとえ怖くても1歩飛び込む勇気を持てるよう精進するね。

 

下田:こちらこそありがとう。大森クラブ、実業団の試合もよろしくね。

 

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***

 

【SNS・HPなど】

 

・大森柔道クラブホームページ

 

ohmori-judo.jimdofree.com

 

・大森クラブ、インスタグラム

 

www.instagram.com

 

・大森鉄工所ホームページ

www.omofficial.net

 

終わりという名の始まりによせて。#016 神谷快

自分の試合が終わって、会場の外に出て、空気をスッと吸い込んだ時に『うわぁ』っと気持ちが込み上げてきました。清々しいじゃないですけど、もう何一つ未練はないなって

 

最後に負けたのはそりゃ悔しいですけど、それ以上に自分に『お疲れ様、ここまでよくやったよ』って気持ちです

 

令和6年12月14日土曜日。千葉県柔道選手権大会を最後に一人の柔道家が引退を表明した。

 

沖縄県出身。柔道家、神谷快。

 

高校3年のインターハイ準優勝を皮切りに、大学4年の講道館杯では準決勝まで勝ち上がる。実業団、京葉ガス柔道部の所属となってからは、3度の前十字靭帯断裂の大怪我を負うも「家族のために」「両親のために」「大好きな沖縄のために」最後まで畳の上で戦い続けた。

 

愛する人たちのため、無我夢中で走り続けたこの数年間の振り返りと、彼にとっての柔道について話を聴いた。(文章:平良賢人 写真:神谷快

 

***

 

 

━━ 現役生活お疲れ様でした。前回インタビューさせてもらったのが2020年だから、こうして話をするのは4年ぶりだね。今日はよろしく!(前回の記事はこちら

 

神谷:ありがとうございます。お願いします!

 

 ━━ ではさっそくだけど、3度目の前十字靭帯断裂から聞こうかな。1回の断裂でも競技生活を左右するレベルの大怪我なのに、3回目はちょっと言葉に出来ない......。

 

神谷:前十字が切れた瞬間は一発で分かりましたね。やっぱり3回目なので。

 

その時はカツ(※)が稽古一緒で「もう練習いいです。快さんの見て練習できないっす」って車で病院に連れて行ってくれました。車中でも「大丈夫ですよ!」って励まそうとしてくれて......。※福岡克仁選手

 

━━ ああ......。カツも同じ怪我してるから......。

 

神谷:息子も生まれて「かっこいいところ見せてやるぞ!!」と、モチベーション高く練習を追い込んでいる時期でした。

 

年齢も28歳だし、3回目だし、あ、もう無理。そもそも2回目に断裂した時に「もうこれで最後」だと覚悟を決めてやって来たので、さすがにこれ以上は無理だ。余裕で引退だろって思いました。

 

━━ 年齢的なところで考えても引退は別におかしくないもんね。

 

神谷:それで監督に「もう引退して社業に専念します」と自分の考えを伝えたら、監督からは「今気持ちが落ちている状態で決めるんじゃなくて、せめて歩けるようになってから、もう少し時間が経った時に決断してもいいんじゃないか」と話をされました。

 

━━ 引退の決断って簡単じゃないじゃん?快も悩んで出した決断だったと思うから、それでも一呼吸つくじゃないけど、そういう暇を提案してくれたのはすごくよかったと思う。

 

その状態からどうやって現役続行に気持ちを変えていったの?

 

神谷:友人の結婚式があって1週間くらい沖縄に帰ったんです。その時いろんな人に会って「もう引退だな」って話をして、実家で母親にも伝えたんですね。

 

僕が「もう現役は引退する」って話をしたら、母さんは「そうねぇ。いいよいいよ。もうこれ以上あんたが怪我する方が心配さぁ」って言ってて、そう言ってはいるんですけど、本当はもっと試合が見たい、でも言えないもどかしさ、のような寂しそうな顔をしていて。

 

━━ うんうん。

 

神谷:その顔を見た時に、なんだろう変なノリ?カラ元気?じゃないけど、もう失うものなんてないし、やるだけやってみるか。こんなのもう行くしかないっしょ!!って気持ちになりました。

 

 

 

━━ やっぱり誰かのためなんだね。

 

神谷:これまでの経験があるから、怪我との向き合い方やメンタルの作り方はもう分かっていました。

 

やるだけやろうって決めて、手術をしてからリハビリに筋トレ、組み手をとコツコツ柔道を作っていって、打ち込み、投げ込みと段階的に復帰していきました。

 

2022年の11月に手術をして、2023年の10月には試合に出れるようになったって感じですね。

 

━━ 引退までちょうど1年くらいだ。この頃には現役生活の終わりがなんとなく見えていたの?

 

神谷:うーん、そのタイミングではまだ具体的に考えていませんでした。

 

ただ引退を考えるきっかけになった試合はちゃんとあって、今年の3月にあった平和カップがそれです。

 

━━ 平和カップってあの広島でやってる団体戦だよね?え、何があったの?

 

神谷:実力的に勝たなきゃいけないレベルの選手を相手に、僕、担ぎ技で吹き飛ばされて一本負けしたんですよ。そのせいでチームも負けて、みんなに迷惑をかけしまって……。

 

とにかく負け方がよくありませんでした。投げられる瞬間に膝をかばっていて、うん、膝を守ったんですよね。なんていうか相手じゃなくて自分に負けたというか。

 

そうなった瞬間に一気に冷めたんです。ダッサみたいな。自分でやるって決めて戦いの場に戻って来たのに「結局自分守って負けるのかよ」って。

 

ダッサ。恥っず。死ねよ。もう選手としてのお前はもう死んだよ。お前に戦う価値ないよ。って。まわりは「まだまだ大丈夫、これからだよ」と励ましてくれたけど、もう自分の中では限界が見えて、それで悩みましたけど、引退を決めました。

 

━━ この平和カップで終わりにしたんじゃなくて、12月の千葉県選手権を引退試合にした理由を聞いてもいい?

 

神谷:悪あがきじゃないですけど、最後にもう一度全日本に出たかったです。あの畳の上で人を投げた時の地響きというか、後から遅れて聞こえる歓声が忘れられなくて。あれをもう一度味わいたくて、最後は千葉県選手権にしました。

 

━━ いま物凄い話を聞いていると思う。実業団という世界で前十字靭帯断裂の大ケガを3度乗り越えて、いや、乗り越えてって簡単に言ったけど、競技復帰するまでも大変じゃん?復帰するだけでも奇跡的なのに、そこで自分に死ねよって……。

 

そのマインドって自分に言い訳してないからこそ生まれるものだから、あたりまえかもしれないけど、ちゃんと選手だったんだなって思った。全然ダサくないよ。

 

神谷:気力でどうにかするってレベルではなかったのかもしれません。

 

 

━━ 平和カップ、全日本実業団体、実業個人を経て、最後と決めた千葉県選手権に挑戦するのだけど、そこに向けてはどうだった?

 

神谷:終わりを決めてからの方が過ごしやすかったですね。試合に対する恐怖とかそういうのはどんどんなくなっていってたし、これが最後だと思えば力が湧いてくるというか。

 

日々の練習やトレーニングでも弱音を吐かずにやりきろうって。どんなにキツい時でも「お前諦めんな!!最後だろ!!動けよ!!」って、ない体力を振り絞るみたいな感じでした。

 

僕の中に目に見えない予備タンクがあって、今まで培ってきたいろんな想いとか、経験とか、全部を総動員している感覚ですね。

 

━━ ハイになってるじゃないけど、最後に向けて文字通り自分の全部が使われてる。

 

最後の試合、千葉県選手権直前のメンタルはどうだった?

 

神谷:落ち着いていましたね。泣いても笑ってもこれで最後。負けたらどうしようって不安はなくて、どうすれば自分のパフォーマンスを出し切れるかに意識が集中していました。

 

***

 

 

千葉県選手権、これで最後と決めて挑んだ試合の結果は準々決勝敗退。敗者復活戦を勝利し、関東選手権の出場権がかかった決定戦に進出するも、試合中に起きた肉離れのアクシデントに襲われるなど、無念の決定戦敗退に終わった。

 

━━ 最後の試合はどうだった?

 

神谷:6試合やって、4試合は一本勝ち、2試合は負けだったんですけど、僕の中では自分らしい柔道が出来たんじゃないかって思います。うん、思いましたね。

 

僕の柔道は「勝つ柔道」じゃなくて「一本を取りに行く柔道」なんです。そこに美学を感じてやって来たので、それはしっかり出せました。あと怪我をして終わったのも僕らしかったです。(笑)

 

━━ 快らしさでいうとさ、準々決勝で試合開始直後に前に出まくる超攻撃ラッシュを仕掛けていたのが印象的だった。小学生の頃を思い出して込み上げるものがあったよ。

 

決定戦で負けて、これが現役最後の試合になった訳だけど、礼をして畳を下りた時の気持ちって覚えてる?

 

神谷:もう肉離れが痛すぎて「達成感」とか「感謝」とか、気持ちよくありがとうございましたって余裕はなかったですね。ただひたすら痛かったので。(笑)

 

━━ 最後をしんみりと終わらせないのが愛だね。(笑)

 

大会にはお母さんも応援に来てたみたいだけど、何か話は出来た?

 

神谷:母さんには「本当にお疲れ様。本当によく頑張った。快のおかげでいろんな経験をすることが出来たよ」と言葉をもらいました。

 

━━ 快からはなにを伝えたの?

 

神谷:僕も今まで本当にありがとうって伝えました。ありがとう、その一言に尽きると思います。

 

━━ いい話だなぁ……。

 

神谷:父さんが亡くなって、一人で泣いている母さんの姿を見たときに「俺が母さんを、家族を元気にしなくちゃ」って気持ちでここまで頑張って来て、人生の中の柔道部門での恩返しは出来たと思います。

 

だからこれからは柔道で培ったことフル活用で生かして、もっと沢山恩返しをしていきたいです。

 

それは亡くなった父との約束でもありますので。

 

━━ うんうん。

 

 

神谷:大会が終わって、妻や子ども、会社の人たちに「ありがとうございました」と伝えた時に、みんなが立ち上がって拍手をしてくれて、その時に「ああ、終わったんだ」と思いました。それですごい気持ちが楽になりましたね。

 

自分の試合が終わって、会場の外に出て、空気をスッと吸い込んだ時に「うわぁ」っと気持ちが込み上げてきました。清々しいじゃないですけど、もう何一つ未練はないなって。

 

最後に負けたのはそりゃ悔しいですけど、それ以上に自分に「お疲れ様、ここまでよくやったよ」って気持ちです。

 

***

 

 

━━ 現役引退の話ともう1つ大きなトピックとして聞いてみたい話があるんだけど、京葉ガス柔道部のSNS運用について教えてもらえるかな。

 

神谷:僕とユウマ(※)がメインで、監督や最近ではカツにも入ってもらっているのですが、1番の目的は活動を見える化することによって、柔道や僕たち京葉ガス柔道部に興味を持ってもらうことです。 ※野々内悠真選手

 

それで応援してくれる方が増えれば嬉しいですし。

 

━━ ふむふむ。いろんな投稿があったけど、柔道に直結するトレーニング紹介や地域活動で選手のみんなが雪かきしてるの姿がすごくよかった。

 

神谷:大会会場でも知らなかった人に「いつも見てます」や「頑張ってください」と声をかけていただくことも増えました。

 

今までは同じ会社の人にしか応援されなかったのですが、SNSを通して応援してくれる人が増えたのは嬉しかったです。

 

それに自分たちの試合を自分たちで盛り上げるのはあたりまえだと思うんですよね。格闘家って自分の試合のチケットを売ったりとかしてるじゃないですか?

 

━━ ああ、確かに柔道にはそれないね。

 

神谷:試合を盛り上げるために必要なことって沢山あって、自分たちに出来ることは可能な限りしていきたいから、そういう意味でもSNSを上手に使っていけたらと思います。

 

━━ 選手以外に広報する人がいない状態で、快たちが自ら手や頭を動かしているのは凄くいいことだと確信していて、一方で「選手がそんなことしてる暇ないだろ」的な考えもあると思うんだけど、そういうのは本当に消滅してほしいと思う。

 

神谷:どうせやるなら柔道の面白さをもっと広めたいし、それはチームのためにもなるし、目に見えるものだけじゃなくて、目に見えないもっと大きな幸福を掴みにいきたいですよね。

 

***

 

 

━━ これまでの柔道人生を振り返って、結果論だからあれだけど「これはあまりしなくてよかった」とか「これはもっとやればよかった」っていうのはある?

 

神谷:いま思い返してみると、筋肥大を目的としたトレーニングばかりしている時期が長かったので、それも必要ではあるんですけど、瞬発系とか柔道に特化したトレーニングを中、高生の時からやっておけばよかったとは思います。

 

自分が中学生、高校生に戻れるなら「もっと自分から情報を取りにいけ」と伝えたいですね。試合期、鍛錬期みたいに、時期に合わせたトレーニングだったり、朝練が高負荷なら起床してプロテインを1杯飲むとか、バナナを食べるとか、それだけでトレーニングの効果は変わってくるので。

 

━━ 本当にこのブログが中学生、高校生に届くこと願うよ。

 

では最後の質問をさせていただきます。

 

神谷快、あなたにとっての柔道とは?

 

神谷:僕にとっての柔道とは「愛の宝箱」です。

 

━━ 愛の宝箱!!

 

神谷:僕にとっての柔道は、自分のためだけじゃなく、まわりの人もみんなハッピーにするためにずっとそこにありました。

 

スポーツ的な側面や礼儀作法、日本人が大切にしてきた相手を敬う気持ちとか、思いやりとか、生きいてく上で大切なものが「柔道という箱」にたくさん詰まっているんです。

 

それで元々、戦場で人を殺めるために生まれた柔術から、危険なもの取り除いて出来上がったのが柔道なので、そういう背景や柔道を通した人とのつながり、相手を想う気持ちに愛を感じます。

 

━━ うわ……。理由が素敵過ぎて普通に感動した……。

 

神谷:本当にいろんなものが詰め込まれています。(笑)

 

━━ うん、その通りだね。

 

今日はいろんな話をしてくれてありがとう。千葉県選手権が終わって直ぐだというのに、ブログも引き受けてくれて嬉しかった。

 

ケガゆっくり直して、また次のキャリアでも快らしく頑張ってね。

 

神谷:ありがとうございます!!みんなを幸せに出来るよう精進します!!

 

***

 

神谷選手は今後、京葉ガス柔道部のコーチとして柔道部に残るそうです。

 

選手としての柔道生活はこれで一区切りですが、指導者として、また一社会人としてスキルアップに励みますと話してくれました。

 

家族のために、両親のために、沖縄の柔道のために、今後もしばらく挑戦を続けることになるであろう彼の成功を祈って、この記事は終わりにします。

 

***

 

どんな困難に押し潰されそうになっても、何時でも何度でも立ち上がり続けたその足があればきっと大丈夫。

 

快頑張れ!!いや、みんなで頑張ろう!!あなたが幸せにしたいと願った人たちは、きっとみんな快の幸せを想っているから!!

 

 

 

 

Text by 平良賢人 @taiken0422

 

 

今回取材させてもらった神谷選手のSNSはこちら。快、ありがとうございました!

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大切なのは「どうあるべきか」より「どうありたいか」。 #015 糸数麻佑

 

私が学生チャンピオンになれば、それがきっと団体優勝への光になるし、揺れているチームの雰囲気だって立て直せる。不安を感じているチームメイトや自信をなくしているコーチにも『みんなのやっていることは間違いないよ』って私が勝って伝えなきゃって、本当にそればかり考えていて、、、。

 

高校生の頃、手を抜くという言葉を知らず、誰よりもストイックに柔道に打ち込む彼女の正しさが僕は苦手だった。 妥協?なにそれ?とでも言わんばかりに自分の目指す世界へ歩を進めていく姿は、もはや誰か知らない人を見ているような感覚にもなって、、、。

 

大学4年でキャプテンになって、初めていろんな人の気持ちを知れた気がした。負けた選手の気持ち、戦う選手の気持ち、先生やコーチの気持ち、親の気持ち、その1つ1つに有り難みを感じて、それがすごく力になったよ

 

穏やかに話すその口ぶりからは高校生の時に感じた厳しさは皆無で、そんなことよりもあんなに強く映って見えていた人が、こんなにも悩みを抱えながら柔道をしていたことに驚きを隠せなかった。

 

そして僕が苦手だと感じた彼女の正しさは、ただ強くなりたいという選手の真っ当な努力の姿であって、同じような努力が出来ない自分を正当化するための言い訳だったのだと、この機会で気付くことが出来た。

 

ああ、この人は変わったんじゃなくて、自分で変えたんだ。

 

当時の出来事や心の葛藤を噛み締めるように話してくれたのは、現在パーソナルトレーナーとして活動中の糸数麻佑(旧姓、赤嶺)さん。帝京大学柔道部4年生の時には団体個人で日本一に輝き、主将としてもチームを引っ張った彼女の学生時代について、話を聞いた。

 

***

 

 

━━ 少年柔道からの仲だけど、こうやって真面目に話すのは初めてだね。

 

今日はよろしくお願いします。

 

糸数:こちらこそお願いします。

 

━━ さっそくだけど、帝京大学に進学した時から日本一は意識してたの?

 

糸数:大学生になったばかりの頃は、まわりがとにかく強過ぎて「あ、これは私、無理だな」って毎日自信喪失してたかな。だから自分が活躍したいというよりは、試合に出れなくても、チームの応援団として大会会場にいるだけで満足だった。

 

━━ 以外だね。てっきり最初から「大学では必ず日本一なるぞ」ってモチベーションだと思ってた。自分の中で意識が変わり始めたきっかけはある?

 

糸数:東京学生の部内予選があったんだけど、そこで私が4年生の先輩に勝って、私は試合に出れることになったんだけど、負けた先輩は学生最後の個人戦なのに出れなくて、、、。

 

なのにその先輩は「赤嶺頑張れよ」って声をかけてくれて、中学、高校までは、部員全員が試合に出れてあたりまえだったから、自分が出る代わりに出れない人がいる責任感というか、チームの応援団で満足してるようじゃ駄目だって気持ちに凄くなった。

 

━━ 沖縄では試合に出るのがあたりまえだったから、こういう環境になって初めて、試合に出れない人の気持ちが分かるよね。

 

 

糸数:それと自分の意識が変わったきっかけがもう1つあって、その年の体重別団体のメンバーに入れてもらって、人生初の団体日本一を経験させてもらったことはかなり刺激になった。私の出番は1試合だけだったけど、あの感動を畳の上で味わえたことは、やっぱり特別だったと思う。

 

同期のみんなとも「私たちが4年生になったら必ず団体戦優勝しようね!」って、かなり気持ちが高まったから。

 

━━ その雰囲気すごく分かる。チームの一体感というか、熱量というか、本気で日本一を目指す集団って、明確に「やれる」って空気がある。

 

チームの応援団で満足していた頃と比べたら、この1年で大きく変わったね。

 

そういった経験を経て、大学柔道にのめり込んでいったの?

 

糸数:それがそうでもなくてさ。私が2年生の時は監督やコーチが入れ替わり立ち替わりでチーム内がごたついてて、学生の私たちには何も出来なくて、、、。

 

1年生の時に優勝した体重別団体は翌年まさかの2回戦敗退。たった1年で頂点からどん底まで落ちたって感じだった。。

 

━━ ああ、確かに帝京がごたごたしてるって噂は聞こえていたかも。本当に天と地だね。

 

糸数:体重別団体で負けて、私たちの1期上が幹部に代変わりしたタイミングで、OGの穴井さやか先生がコーチとして帝京に入ってくれたんだけど、もうホント挨拶から身なり、掃除と徹底的に鍛え直されて、、、。

 

━━ おお、、、。チームを立て直す上で避けては通れないやつだ。

 

糸数:さやか先生は、ただ私たちに押し付けるだけではなく、自分も学生と同じように規律やルールを守ってくれて、だから素直に話を聞くことが出来た。

 

あと実はコーチになる前から稽古をつけてもらっていて、個人的にすごく憧れてたんだよね。

 

━━ 強いチームの条件は、なによりも部の規律がしっかりしていることだと思っていて、特に掃除はそのチームの意識が如実に表れるというか。当事者の学生からしたらめんどくさいこともそりゃあるだろうけど、穴井先生がされている指導は本当に大切なことだと思う。

 

 

糸数:うん、本当にそれを痛感したよ。私たちの生活面や人間性がしっかりすると、だんだんチームの雰囲気も良くなってきて、前年2回戦負けだった体重別団体では、1年後に決勝戦まで上がることが出来たから。

 

私たちの1つ上は、高校から一緒の玉木聖子先輩がキャプテンで、その代は人数が少なかったんだけど、みんな努力家で仲が良くて、そういう先輩たちが率先して引っ張ってくれたから、チームは立ち直ることが出来たんだと思う。

 

━━ 素直な先輩たちが最上級生だったから、こうしてチームを立て直すことが出来たんだろうね。いい人たちだったのがすごく伝わった。

 

糸数:先輩たちの分まで、来年は絶対優勝したいなって気持ちになったよ。

 

 

━━ うんうん。じゃあ、ここまでけっこう駆け足で来たから、大学4年生の1年間は長めに振り返っていこうか。

 

糸数:聖子先輩たちが引退して私たちが最上級生になってから、キャプテンは投票制で選ぶことになったんだけど、それで私が選ばれてしまって、、、。

 

光栄なことだけど、でも内心「私に務まるのか?」って不安もすごくあった。

 

━━ 不安だったの?もうやるしかないって覚悟を決めてるイメージだった。

 

糸数:選んでもらったからには「しっかりキャプテンを頑張らなくちゃ」と思ってはいたんだけど、練習の雰囲気がわるい時なんかに、自分の思ったことを伝えたり、本音をぶつけたりが全然出来なくて、、、。

 

せめて柔道への姿勢で引っ張ろうと思っても、3月の東京都選手権は1回戦負け、6月の無差別団体では校内予選で負けて、主将なのに補欠にすら入れなかった。

 

なんかずっと心ここに在らずで、ただ号令をかけるだけのもぬけの殻、みんなから見ても、いざという時に頼りにならないキャプテンだったと思う。

 

━━ 自分の本音を晒すのは、それが厳しい言葉であればあるほど勇気がいるよね。

 

糸数:自分を変えたくても変われない。変われないくせに、チームを引っ張るにはこのままじゃ駄目だと悩んでる。

 

でも、たぶん本当はキツイことを言って嫌われないか、それが一番怖かったんだと思う。私は悩んでいることを盾に、ずっと自分を守っていた。

 

━━ うんうん。

 

 

糸数:夏に東京学生の部内予選があって、そこで同期が3人負けて、その子たちは最上級生だけど試合に出れないことが決まってしまった。

 

普通ならそこで気持ちが切れてもおかしくないのに、その3人はそこで腐らず自分たちの存在意義を探すように「私たちは戦えないけど、チームを絶対勝たせるんだ」って献身的に動いてくれて。

 

そんな同期の姿を見て「私も頑張らなきゃ、しっかりやらなきゃ」って。それでちょうどそのタイミングでさやか先生に呼び出されて、1対1で話をすることになった。

 

━━ 勝負の世界だからね。そういうの思い出すと心臓がキュッとするよ。

 

穴井先生とは何を話をしたの?

 

糸数:自分の殻を破れって話だったんだけど、さやか先生が私の目を真っ直ぐ見て「キャプテンを決めた投票、満場一致でみんながあんたをキャプテンにしてくれたのに、何を恐れる必要があるの?あんたなら何をやってもみんな信じてついてくるって!!あんたがチームを信じてないんだよ!!」って。

 

 ━━ うわ、すごい話だ、、、。

 

糸数:さやか先生と話をして、私は自分のことしか考えてなかったなって気づいた。それからかな、チームを信じてみようというか、引退までの時間は短いけど、やり残したことがないようにしようって。ちゃんと決めた。

 

━━ いま泣けって言われたら泣けるよ、、、。

 

糸数:嫌われるのは怖いし、本当はそれまで通り円滑にやりたいけど、これからは自分のためじゃなく、チームのためにって考えれば、思ったことはちゃんと言葉にして伝えなきゃって駄目なんだなって。私の中だけで終わらせるんじゃなくて、みんなにちゃんと伝えることを心がけた。

 

もうそういうことから逃げちゃいけない、4年生が自分たちがバラバラじゃ団体戦はきっと勝てない。今は嫌われてもいいから、最後に団体日本一になって、みんなの頑張りが報われたらいいなって。

 

━━ そこが自分を大きく変える瞬間だったんだね。

 

 

━━ 時系列としては、最後の団体戦の前に全日本学生(個人)があって、それで優勝してるんだよね?

 

糸数:うん、優勝したよ。団体戦の1ヶ月前かな。

 

━━ 個人戦はどういう心境だったの?

 

糸数:東京学生が9月にあって、その後少しチームの和がバラバラになっちゃって、監督、コーチ、選手、それぞれの心が不一致というか、、、。

 

それで私はさやか先生と話さなきゃと思って、主務だった同期の真子(天眼真子、旧姓謝名堂)も含めて3人で話をして、そこでさやか先生の本音とか、のしかかっているプレッシャーっていうのかな、そういうものが凄く大きかったことに気付いて「私が全部背負って戦おう、この人がやってきたことは間違ってないんだって、私が勝って証明しなきゃ」って気持ちになった。

 

それに全日本学生で私が優勝すれば、それはそのまま団体日本一への光になる。チームのために、さやか先生のために、この状況を打破するにはもうそれしかないと本気で思ってた。 

 

━━ こんな状況なんとかする以外の選択肢ないね!!めちゃめちゃ頼りになるキャプテンだよ!!

 

 個人戦当日は穴井先生とのやりとりで印象に残っていることはある?

 

糸数:2回戦をギリギリで勝って、その後めちゃめちゃキレられた(笑)。

 

━━ え?

 

糸数:私が馬鹿みたいに内股をかけまくってたから、それで「丁寧に組み手をしなさい!!もう内股かけるなっ!!」って。

 

━━ 内股かけるな(笑)。

 

糸数:危なっかしい試合をしてたから心配してたんだと思う。もう本当すごい目で「あんたは優勝したいのか、自分の美学を通すのかどっちなんだ?貪欲にいけよ!!」って言われて、確かにそれで地に足がついた気がした。

 

━━ 優勝しなきゃって気持ちが空回りしてたんだね。

 

でもその後は順調に勝ち進み、決勝戦では山梨学院大の西田香穂選手から内股で有効を取って優勢勝ち。有言実行で学生チャンピオンに。

 

 

糸数:結局最後は内股だったんだけどね(笑)。

 

━━ 確かに!!(笑)。

 

優勝はちゃんと喜べた?

 

糸数:まわりの人や家族が喜んでくれてたから、優勝は嬉しかったけど、それはそれ、これはこれで、また直ぐ団体戦の準備に入ったって感じかな。気が緩むとかは一切なくて、緊張感はずっと維持してたよ。

 

あと東京学生後に淀んでいたチームの雰囲気も、全日本学生が終わって、体重別団体の1週間前くらいには良くなってた!

 

━━ おお、よかった!!常にみんな仲良くみたいなのは別になくてもいいと思うんだけど、試合になってもまとまらないのはたぶん違くて、そこは目に見えない絆というか、最後は団体優勝という目標で繋がっていたのかな。

 

そしていよいよ体重別団体だね。本当は1回戦から詳しく話を聞いていきたいところだけど、もうさっそく山梨学院大との決勝戦をを振り返ってもらえる?

 

 

糸数:私は試合前にトイレで祈るルーティンがあるんだけど、その時は「もう一生結婚出来なくていいから今日だけは勝たせてください」ってお願いしたことを覚えてるよ。

 

いざ試合が始める直前は「やり残したことはない。こんなにチームでぶつかりあって、こんなに苦労したキャプテンは私以外いない。絶対に勝てる」って心境だったかな。

 

━━ リアルトイレの神様だね。

 

糸数:勝戦、私の順番は前から2番目で、相手は全日本学生の決勝でも対戦した西田香穂ちゃん。もう組んだ瞬間の殺気が凄くて凄くて。

 

それですごく不思議なんだけど、偶然が重なったように香穂ちゃんが転んだ?倒れた?みたいになって、それをそのまま抑え込んで勝った。

 

━━ 個人戦のリベンジもでもあるし、西田選手も死に物狂いだよね。自分の試合が終わった後はホッとした?

 

糸数:んー、全然落ち着かなくて、まだ2人目が終わっただけで試合は続くし、けっこう深刻な顔しちゃってたかも。とにかく余裕がなかった。

 

※試合は3-2の帝京大1点リードで大将戦へ。一本負け以外で優勝が決まる場面、惜しくも残り時間わずかで大将が一本負けを喫し、3-3の同点に。勝敗の行方は引き分け再試合による代表戦へ。

 

糸数:私たちは大将の渡部(渡部紫織)をすごく信頼していて、変な話、渡部が負けてチームが負けるならそれでいいってくらいだったのね。試合は優位に進めてたんだけど、終盤でタイミングがあっちゃって。

 

代表戦は唯一引き分けだった後輩の佐俣(佐俣優衣)が出ることになって、そしたら団体メンバーに入れなくて観客席にいた4年生たちが「楽しめ!!」って大きな声で言ってくれて。

 

━━ うわ、超いいチームじゃん、、、。

 

糸数:最後は佐俣が技ありを取って優勝が決まった。

 

 

 

━━ 優勝の瞬間はどうだった?

 

糸数:感情が爆発するとかではなくて、みんな泣いていたと思う。試合前にさやか先生とチームのみんなと決めていたことがあって、私たちは自分たちが勝ったとしても相手をたたえるチームであろう。優勝しても叫んだり、声を出して喜ぶのはやめよう。最後まで帝京らしくあろうって。

 

━━ 俺だったら泣き叫んじゃうよ、、、。

 

最後にさ、帝京大学に来て、自分が団体個人ともに日本一になれた理由は何だと思う?

 

糸数:みんなが私を信じてくれたから。その気持ちを私が信じて受け取れた時に、自分の持っている100パーセント以上の力が出せた。みんなの思いを力に換えられたことが一番だと思う。

 

━━ 自分でも話していたように最初は不安だらけなキャプテンだったけど、本当別人てくらい変わったよね。

 

あとあとみんなが信じてついてきてくれたのも、柔道だけじゃなくて、人柄とか、日々の積み重ねだと思うよ。

 

糸数:だとしたら、すごくありがたいな。

 

私は帝京大学に来て、同期や先輩後輩、先生方みんなのおかげですごく成長することが出来たと思ってる。本当に感謝の気持ちでいっぱいです!

 

 

***

 

今回の柔道ブログ、実際に話を聞く前は学生柔道の話より、現在の仕事や生き方の話をメインにするつもりでした。だけど、インタビューが終わって、話を思い出せば思い出すほど僕の心が動いたのは大学生の頃の話で、もう思い切って予定変更。学生柔道の話でブログ1本分書くことにしました。

 

記事には出来なかったけど、大学卒業後は警察官となり、現在はフリーパーソナルトレーナーとして働いている糸数さん。人生観もかなりユニークなので、興味がある人はぜひ聞いてみてください。

 

ちなみにこの記事のタイトルは、ブログの内容ではなく、僕が糸数さんと話していて感じた今の彼女の心持ちを言葉にしてみました。

 

では、このへんで。

 

最後まで読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422

痛みは強さに昇華する。自分で決めた柔道との向き合い方#014 迎里卓

2ヶ月ぶりの更新はこの人。迎里卓さんと話しました。

 

もともとこのブログはコロナ禍で行動が制限されていた時に「沖縄柔道界のために自分が出来ることは何か?」と考えたのがスタートしたきっかけなのだけど、今回はそんな初心に帰って「沖縄にはこんな柔道家がいるよ」と伝えられたら嬉しいです。

 

前半は迎里さんの高校、大学時代。

後半は松山東雲女子大学柔道部で監督を務めていた時のことと、今の心境です。

 

 

迎里卓(ムカエザト スグル / suguru mukaezato)

1992年7月20日 沖縄生まれ

経歴 白保中学校→那覇西高校日本体育大学松山東雲女子大学監督→高校教員

 

***

 

━━ 先輩とは同じ沖縄県出身の同郷なのですが、初めて話したのは大学生になってからでした。高校時代は同じ沖縄県勢であったものの、僕の母校である沖縄尚学高校と先輩がいた那覇西高校はガチガチのライバル関係で、あまり仲良くするって間柄ではなかったですよね。

 

迎里:そうだね。お互い別に嫌いではないし、なんなら気のいい奴らだと知っていたのに、なかなか関わる機会がなかった。

 

━━ 当時、毎年GWは合同練習が恒例だったじゃないですか?確か午前中に練習試合をするんですけど、高校に入学したばかりでイキってた僕は、先輩と試合をして脳天から畳に突き刺さるくらい豪快な大腰で投げられました(笑)。

 

迎里:懐かしいね(笑)。

 

━━ 先輩って沖縄尚学からも声かかってたと思うんですけど、那覇西高校に進学を決めた理由はなんだったんですか?

 

迎里:えっとね、那覇西高校柔道部監督の横田三四郎先生が「父親のつもりで面倒を見るからぜひ来てほしい。沖縄インターハイを一緒に戦おう」って物凄く熱く話してくれて、俺は中学生ながらにこの人の言葉は本物だなと感じたのが一番のきっかけかな。

 

あと生活の全てを柔道に捧げるというよりは、県立高校で普通にやりたいってマインドも正直あって。まあ入学したら全然普通じゃなかったんだけど、、、。

 

柔道の厳しさや上下関係は全部高校で学びました(笑)。

 

 

━━ 高校時代で印象に残っているエピソードってありますか?

 

迎里:1個上の先輩たちと出た団体戦全部かな。毎回沖尚と決勝戦をしてたんだけど、新人戦もインターハイ予選も俺が取られて、そのせいでチームを負けさせてしまったから。

 

当時の団体戦はお互いに勝ったり負けたりの接戦だったじゃん?結果論だけど、俺が負けてなければチームが勝てた状況だったから罪悪感と申し訳なさがいっぱいで、、、。

 

━━ いつも団体戦は1点差か内容差でしたね。

 

インターハイ予選は僕も団体メンバーだったので、すごい近くで試合見てたんですけど、チームの勝敗が決まったあと先輩が歩けなくなっていた姿を覚えています。

 

迎里:そうそう。それで先輩たち、誰も俺のことを責めないわけよ。なんなら励ましてくれてね。すごく優しかった。うん。なんかみんなで励まそうとしてくれているのがすごく伝わってきて、、、。

 

━━ いい話ですね。

 

迎里:インターハイ予選が終わってから、俺しばらく落ち込んじゃったんだけど、そしたら先輩たちが遊びに連れ出してくれてさ。

 

━━ うんうん。

 

迎里:癒しを求めてペットショップに行ったら、そこで俺がぶち投げられてる新聞が再利用されてて、またメンタルえぐられた(笑)。

 

━━ 傷口に塩塗られた!!(笑)。

 

迎里:すごく悔しくて苦しかったけど、先輩たちの優しさで「また頑張ろう、頑張らなくちゃいけない」って思えた出来事だったよ。

 

***

 

迎里:あと俺、石垣島出身だから那覇西高校に進学するには沖縄本島で一人暮らしをしないといけなくて、入学してからその生活に慣れるまでが本当に大変だった。

 

それまでは親があたりまえにしてくれていた掃除、洗濯、炊事なんかを全部自分でして、柔道の練習はついていくのに精一杯で、疲れてボロボロになって、家に帰っても話す人がいない。

 

━━ うわぁ、、、きついですね。15歳でこれはしんどいな。

 

迎里:親戚のおばさんが沖縄の田舎の方に住んでいたから、週末は世話をやきに来てくれていたんだけど、やっぱりきつかったね。高校では柔道も人間力もかなり鍛えられたと思う。

 

━━ 親元を離れるにしても寮じゃなくて、一人暮らしっていうのがね。

 

高校卒業後の進路は日本体育大学に進学されていますが、この経緯は?

 

迎里:三四郎先生に「お前は絶対に東京の名門でやった方がいい」って話をしてもらって、九州にある大学に行くかも迷ったけど、最終的に日体に決めたって感じかな。もう腹括ってやるしかないと思って、高校のうちに両肩の手術をして大学に備えた。

 

 

━━ 入学してからはどうでしたか?

 

迎里:大学の道場に行ったら、志々目徹さんとか木戸慎二さんとかテレビで見てた人たちがいて「うわ、すげえな」って思ったね。

 

俺は2軍スタートだったんだけど、とにかくワクワクしてて、柔道がすごく楽しかった。強い選手、名のある選手、日の丸背負ってる選手と練習してもけっこう戦えるじゃん?そういうのが面白くてさ。最初は1軍に上がることを目標にやってた。

 

━━ いつ1軍に上がったんですか?

 

迎里:大学1年の冬だったと思う。エリート街頭歩んでる選手からしたら全然遅いんだけど、俺みたいに少しずつ実力をつけて上がっていく下剋上タイプの中では順調な方だったかな。

 

あの時はハングリー精神マックスだったから、毎日が充実してたよ。

 

━━ 大学で東京に出てくる人たちって、みんなここで成り上がるぞって目ギラギラしてますもんね。

 

そういえば、先輩って日体の番付みたいなので1位になってましたよね。

 

迎里:なったなった。俺以外のランキング1位はみんな有名選手なのに、そこに並ぶ迎里卓って誰だよみたいな(笑)。

 

試合ではなかなか結果を出せなかったけど、大学柔道が一番楽しかったと思うな。

 

━━ 本当にすごいと思います。ああ、この人は奮闘してたんだなって感じました。

 

 

***

 

━━ 先輩ってコマツ(※)にも行ってたんですよね?

 

※女子柔道の強豪実業団チーム

 

迎里:うん、練習相手として行ってたよ。国内主要大会やグランドスラム、世界選手権にも付き人として同行させてもらって、そこでの経験は自分の柔道人生の大きな糧になってるね。

 

あの人たちの意識の高さは本当にすごくて、めちゃくちゃ刺激もらってたよ。

 

━━ どんな感じなのか、もうちょっと具体的に聞いていいですか?

 

迎里:監督のきめ細かい指導がまずあって、選手たちは泣くくらいバチバチに練習して、質も量もこなして、でもそれは義務ではなく柔道が強くなりたいからで、居残り練習とか研究もすごくしてた。

 

人柄も素敵な人が多くて、俺コマツの選手みんな好きだったな。

 

なんかね、俺の柔道の指導はコマツでの経験が軸になってる。技術もだし、言葉もだし、試合展開とか組み立てとか。

 

━━ 柔道IQが高まっていくのを感じます。僕も柔道の指導をするときは大学の恩師である金野先生の影響をすごく受けてるなって自覚しているので。

 

大学は行ってよかったですか?

 

迎里:よかった。ありふれた言葉だけど、いろんな経験ができたことは本当に大きかった。

 

***

 

 

━━ では、今回のメインテーマである松山東雲大学の話をしましょう。

 

迎里:大学4年の12月だったかな。もう柔道部は引退してのんびり寮で寝ていたら、監督にとつぜん呼び出されて「愛媛に松山東雲大学っていうのがあるんだけど、女子柔道部の監督としてお前のこと欲しがってるからさ。お前、卒業したら愛媛な」って言われて。

 

━━ は?(笑)。

 

なんて返事したんですか?

 

迎里:「愛媛ですか?あー、はい分かりました」って返事をしたかな。でも愛媛と日体は柔道の繋がりがあって、大学の先輩たちも愛媛で就職してる人いたから、嫌なイメージはなかったよ。

 

監督からは「松山東雲は前の監督さんがお辞めになってからも柔道部はあって、基板は出来てるし、なにより監督として話をいただいているから、お前のやりたいように出来る。こんないい話ないよ」って背中を押されて。

 

━━ 確かに、大学の監督はいい話過ぎます。

 

迎里:そうだよね。詳しいことはまたあとで話すけど、本当は家の事情で大学卒業後は沖縄に帰らないといけなくて、でもせっかくもらったチャンスにに飛び込んでみたい気持ちもあったから家族と相談してね。

 

山東雲に行くと返事をしたその次の日には、愛媛から大学事務局の方々が東京に来てくださって、柔道部発足から現在の状況まで説明してもらって。

 

━━ おお、、、。卒業したら、お前愛媛になってる、、、。

 

なんの話をしたんですか?

 

迎里:当時の大学女子柔道界は強いチームが関東に集中していたから、これは狙い目なので?と睨んだ松山東雲が大学をあげて柔道部を創部したものの、同じタイミングで同地方にある環太平洋大学の柔道部強化が始まったり、前監督が辞めてから約2年正式な指導者が不在だったり、でも大学が期待して作った柔道部だからなんとか強化したいという話をされた。

 

━━ なるほど。

 

迎里:まあ自分のチームを作っていくのは面白そうだし、松山東雲も「柔道部は強化クラブだから強くしてほしい」って話をしてくれたから楽しそうだなと思って。やるからには本気で全国上位を目指そうと引き受けることにした。

 

だけどさ、日本体育大学を卒業していざ松山東雲に行くと、想像してた柔道部のイメージよりも現状がかなり酷かったんだよね。

 

━━ どんな状態だったんですか?

 

迎里:まず部員のモチベーションがかなり低くて、練習も乱取り3分×5本とか。俺が監督になって初めての練習も2人くらい平気で遅刻してきたし。

 

━━ 練習メニュー、衝撃ですね。小学生じゃん。

 

迎里:ここの学生も高校時代はインターハイに出てるレベルの子たちだから、決して弱くはないんだけど、意識のレベルがね。ぶっちゃけ最初の1年は柔道どころじゃなかったよ。学生の意識を変えるところから始めたから。

 

練習内容も日に日に変えていったんだけど、そしたらある学生に「松山東雲はそんなところじゃないんです!!こんなガッツリやるチームじゃなくて、、、違うんです、、、」って泣きながら言われたこともあったなぁ。

 

━━ あらま。

 

迎里:俺だって「君たちスポーツ推薦で大学に来たんでしょ?特待生なんだからちゃんとしろよ」みたいなことはなるべく言いたくないじゃん?でもこっちの考えがまったく伝わってないのが分かったから、理解してもらおうと思って、もうはっきり言った。

 

「申し訳ないけど、そういうところじゃないっていうのは誰が決めたの?大学は柔道部を強化クラブとして、君たちを特待生で招いているわけ。で、俺は監督としてこの大学を強化するために呼ばれてるから、こんなところじゃないって決めるのは俺であって、あなた方が決めることではないよね?」

 

って。

 

━━ おお、何が何でもその場にいたくないことだけは分かる、、、。

 

監督不在の2年間でその状態が出来上がったと思うと、まあ学生も可哀想な気がするけど、一番大変なのは先輩ですよね。ちなみに大きく変えると書いて大変と読みます。

 

迎里:一生懸命頑張る人が浮くみたいな雰囲気もあったから、まずはそういう風潮を全部なくしたくて。

 

やっぱりきれいごとだけじゃやっていけないこともあるからさ。胸がチクっとするようなことは数えきれないほどあったけど、俺に求められているのは強化だったから、そこはブレずにできた。

 

 

━━ チームの目標はどうしてたんですか?

 

迎里:中四国の地方大会で団体戦はずっと最下位が続いていたから、環太平洋大学以外には勝って2位にはなろう、全国大会ではまず1勝しようっていうのは常に話してた。もちろん俺の中のプランでは環太平洋も食えない相手ではないと思ってたよ。

 

━━ 結果は?

 

迎里:1年目は最下位で、2年目は6チーム中の4位。

 

━━ 2年目はちょっと上がってますね。

 

迎里:1年目にスカウトして、2年目に入学してきた子たちは大学の練習が終わったあと、そのまま県内の高校まで練習に行くような努力家でさ。すごく素直だし、その子たちのおかげでまわりも少しずつ変わっていった。

 

恥ずかしい話、俺がスカウトに行っても高校の先生方からは適当にあしらわれたり、無視されたりっていうのがしょっちゅうで、特待生は5枠あるのに、3人しか選手を集められなかったんだよね。

 

でも、この出会いが大きな分岐点だったと思う。確実に流れは変わったから。まだ何の実績もないチームだけど、こうして一生懸命頑張る子たちが入部してくれるのは本当に有り難かった。

 

━━ 頑張りに成果が見えてきて嬉しいです。

 

迎里:3年目の団体戦中四国で3位になって、個人でも一人皇后杯に出たんだよ。

 

━━ 皇后杯って女子の全日本ですよね?すごくない?

 

迎里:でっかいでっかい建物でさ。入場の時に一人ずつ名前呼ばれるんだけど、名前の後に松山東雲大学ってアナウンスされたのは嬉しかったなぁ。あんな舞台に立たせてもらって、本当にいい経験だった。

 

 

━━ 着実に成長してるんですね。

 

迎里:そうだね。学生の意識も高くなってきてたから、もう俺がいなくても自分達でガンガン練習するようになってたし。

 

3、4年目は進学希望者も枠から余るくらいいたし、個人戦で環太平洋大の選手に勝つ学生も出てきていたから。

 

━━ 本当にすごいじゃん。僕、先輩のこと舐めてました。

 

迎里:女子って信頼してくれたら本当に着いてきてくれるから、そこは男子との違いなんだろうけど、俺みたいな人間の話でもちゃんと聞いてくれて。

 

4年目の団体戦中四国で2位になって、全国大会は初戦で桐蔭横浜大に2−2の内容負け。

 

負けはしたけど、関東の強豪とも戦えるレベルには成長してて、うちに学生を送ってくれた高校の先生たちにも「強くしてくれてありがとう」って言ってもらえて嬉しかったな。

 

━━ うんうん。

 

迎里:もう、ここまでやればこれだけ強くなるっていうのは分かるじゃん?

 

本当の意味で基盤は出来たから、これからはどう戦っていくか次のフェーズだよね。

 

スカウトの軌道、部員の高い意識、流れが出来たから、あとはうまく回っていくんだろなって思った。

 

 

そしてその年に俺は監督を辞めた。

 

 

***

 

迎里:夏に母親が脳梗塞で倒れちゃって。

 

正確には俺の大叔母にあたる人なんだけど、高校生の時に養子縁組してて、戸籍上の母はその大叔母になっててさ。あの高校時代に世話焼きに来てくれたおばさんね。産んでくれた母親もちゃんといるよ。

 

高校で一人暮らししてる時も、大学生の時もすごく支えてもらった人で、この人がいなかったら俺は柔道を続けてこれなかったような恩人だから、本当は大学を卒業したらすぐ沖縄に帰るって約束してて。

 

おばさん、ハンセン病患者だから施設に入ってて、医療と介護はそこで足りてるんだけど、なるべく近くに居てあげなきゃって。

 

━━ そうだったんですね。ここまで作り上げてきた柔道部を手放すのは、本当に厳しい選択をしたのではないかと思います。

 

迎里:まわりの人たちには「愛媛に骨を埋める気持ちで頑張りなさい」と言ってもらっていたんだけど、心の中ではいつか帰らなくちゃって思いはずっとあってさ。

 

でも柔道部の学生たちは大切だし、この仕事もやりがいがあるし、ずっとどうしようって先伸ばしにしてた現実がいきなり目の前に表れたって感じだった。

 

自分の心に余裕がなくて、今までなら練習の雰囲気が良くない時もなんとか学生を奮い立たせようと試行錯誤してたけど、そいうのもなんだかバカバカしく思えてきて「あ、そんな練習するなら俺見ないよ」って練習に行かない日が増えてね。

 

━━ 限界過ぎる。心に余裕がないとかそういう段階を軽く超えてますよ、、、。バカバカしいから練習に行かないって、そんなタイプじゃないでしょ。

 

ちょっと笑えない精神状態、、、。

 

迎里:いつも応援してくれていた同僚の先輩に「最近どうしたの?あんな熱心に練習行ってたのに」って声をかけられて、もう気持ちも限界だったから「実は、、、」って話を全部聞いてもらって。

 

そしたらその先輩が裏で手回ししてくれて、トントン拍子に退職する方向に進んでいった、俺も変なマインドだったから、もう早く沖縄に帰りたいってなっちゃってさ。

 

━━ そういう時って、もうそれしか考えられなくなりますよね。

 

迎里:大学の理事長がすごい引き留めてくれて「柔道部、こんなによくなってるじゃないか?よし、わかった。とりあえず1年は介護に戻って、籍はこっちに置いておきなさい」って言ってくれたんだけど、中途半端なことはしたくなかったから、自分の中ではやるかやらないかでしか選択できなかった。

 

揉めたりもしたけど、結果的に退職することが決まって、日体の監督や学生を送ってくれた高校の先生方全員に「すみません」って挨拶まわりに行ったよ。

 

勿体無いって声をかけてくれる人がたくさんいたんだけど、もう抜け殻だったなぁ。

 

━━ (トゥクン!!理事長いい人、、、!!)

 

 

迎里:今当時を振り返ると、やっぱり普通の精神状態ではなかったと思う。酒の量とかもすごく増えて生活も狂い始めてから。

 

━━ 今の落ち着いた状態でもう一度選択出来るなら、どっちを選んでますか?

 

迎里:それでも沖縄に帰ってたかな。

 

ずっとそれらしい理由を話してるけど、毎日毎日24時間柔道部のことを考えて、週末はスカウトに出かけて、その日勝負みたいな日々を一生懸命生きてきて、4年間走り続けて「もう限界だよ」っていうのは常に頭の片隅はあったから。

 

この生活を続けて行く未来は見えなかった。

 

━━ 地獄みたいな日々で学生の存在に元気づけられたり、使命感を感じたり、なんていうか命の前借りをしているような生活ですね。

 

はっきり言いますけど、先輩のその状態って鬱ど真ん中じゃないですか、、、。

 

迎里:夜中にいきなり鼻血が出たり、血尿出たりはしょっちゅうだったね。

 

━━ それ聞いたら先輩が沖縄に帰ってきてよかったと思いますよ。

 

柔道部の学生にはいつ伝えたんですか?

 

迎里:退職は12月だったんだけど、それが決まったのが10月だからそのへんかな。

 

みんな号泣してて、膝からガクンってなってる子もいて、部員への罪悪感、申し訳なさ、俺はこの子たちを裏切った。もう柔道界には2度と携われないって思った。

 

***

 

 

迎里:沖縄に帰ってきてからは柔道に距離を置いてのんびりしてたんだけど、県内にいる日体大柔道部OBの先生から「とりあえず履歴書を教育庁に出せ」って電話がかかって来てさ。

 

本当は嫌だったけど、まあ軽い気持ちで出したら、年度末の2ヶ月間限定で高校教員として学校現場で働くことになっちゃって。

 

でも、そこで出会ったのが具志堅博也先生(沖縄県高体連柔道専門部委員長)だったんよ。

 

━━ うわ、ここで具志堅先生出てくるんだ!!すっげぇー!!

 

迎里:これさ、もうなんか神様が俺と柔道をつなげようとしてるのかなって。赴任した学校に柔道部があって、部員がすごくお利口で、何より沖縄にこんな素敵な柔道の先生がいるんだって具志堅先生を見て感銘を受けて、、、。

 

都合いいけど、こういう教育の現場っていいなってすごく元気をもらった。

 

━━ 僕も具志堅先生のことすごく尊敬してます!!

 

迎里:具志堅先生に4月からは別の会社で働きますって話をしたら「僕は迎里先生は沖縄の教育現場にも、柔道界にも絶対必要な人材だと思う。迷惑でなければこのまま教員を続けてほしい」って言ってくれて、それがきっかけで俺の教員生活は始まったんだよね。

 

なんか巡り合わせ?出会うべきタイミングで出会うべく人と出会ってみたいな。

 

━━ 糸かな?

 

迎里:いや本当にそうだなって。巡り合わせで、俺は生かされてるなって。

 

━━ よかったじゃないですか。心はちょっとくらい軽くなりましたか?

 

迎里:それは変わらなかったかな。松山東雲の学生たちへの罪の意識は簡単には消えないよ。

 

だから「もうこれしかなかった。俺の選択は間違いじゃなかったんだ。家族のためなんだ、柔道より大事なものがあるんだ」って自分を正当化するしかなかったから。

 

━━ 結果的に自分を苦しめる選択でも、それはその時の自分が悩んで悩んで辿り着いたベストじゃないですか。だから時間が経って、あの時ちょっとあれだったなって思う一方で、その時の決断は肯定してあげたいって僕は思います。

 

迎里:うん、否定したくないよね。

 

おばさん、脳梗塞で倒れたから最初は大変だったんだけど、少しずつ良くなってきたよ。今はかなり元気になった

 

━━ ええ、、、それはよかった、、、!!

 

迎里:俺は愛媛での後悔とか罪の気持ちをたぶん一生払拭できないから、死ぬまで背負う覚悟でいる。そんな気持ちを抱えたまま一生懸命柔道と向き合っていきたい。

 

━━ 今の松山東雲大学柔道部ってどうなってるんですか?

 

迎里:昨年かな?柔道部の強化は終わるって決まったみたい。

 

━━ そっか、なんか罪滅ぼしじゃないけど、もっと前向きな気持ちで進んで行けたらいいですね。

 

迎里:そうだよね。なんかそこも分かんなくなっちゃっててさ。本当はもっと発信とかアクティブな感じで柔道と携わっていきたいんだけど、愛媛でのことがブレーキをかけてて、、、。

 

正直、この記事を出すことや今自分が柔道に携わっていることを松山東雲の学生がどう思うか考えると、不安だとか怖さだとかもある、、、。

 

━━ 分からないですけど、そこを気にして何もしないのだけは違うと思います。

 

あと、どうしたって自分の人生は自分でなんとかしないといけません。松山東雲の学生さんたちだって、先輩がいなくなった後も自分たちで頑張ったはずです。そういうチームを作ってきたのはあなたじゃないですか。

 

きっと大丈夫!!なんでもいいから、もっと矢面に立て、迎里卓!!って僕は思いますよ。

 

迎里:なんだろう、許しが必要なのかな。どこかで許しをこう自分がいるかもしれない。

 

あの時の学生たちが「私たちいま幸せだよ。先生も頑張ってよ」って思ってくれていたらいいなぁ。

 

 

***

 

━━ では最後に今後の目標を教えてください。

 

迎里:やっぱり沖縄の柔道発展に貢献したいな。人口を増やすもの、競技力向上も、今よりもっともっと盛り上げていきたい。

 

そのためには自分のスキルアップはもちろん、同世代の人たちを巻き込んでさ。みんなで楽しくわちゃわちゃしながら、いろんな人が気軽に携われる組織を作れたらいいなって思う。

 

━━ 先輩が求心力になるのなら、それはきっと実現出来ると思います。

 

大変なことはいっぱいあるけど、一人で頑張り過ぎず、みんなで頑張っていきましょう。

 

今日はありがとうございました。

 

***

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422

 

今回取材させてもらった迎里卓さんのSNSはこちら。

SNS

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真心を込めて考える競技だけじゃない柔道の価値。#013 佐々木千鶴

こんにちは。ダイエット柔道家の平良です。二兎追うものは一兎も得ずだけど、二兎追わなきゃいけない時があるなって思います。

 

さて、全国各地でインターハイや全日本実業個人など、青春全開で高校生や社会人アスリートが輝いた8月が終わりを迎えようとしています。それぞれの夢に向かって、一生懸命戦う選手たちを見ていると、勝ち負けに関わらず「ああ、スポーツっていいな」と心が動かされてばかりいる今日この頃。

 

今回の柔道ブログは、試合などの「競技性」より、その少し先にある「柔道の価値」や「柔道を通して学んだこと」に重きを置いて、佐々木千鶴さん(筑波大学筑波大学大学院→全日本柔道連盟ニューカレドニア中学校日本語アシスタント)に話を聴きました。

 

「大切なのは、どう在るべきかよりどう在りたいか。いつも自分らしく生きたい」と話す彼女の熱をぜひ感じてください。

 

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***

 

佐々木 千鶴(chizuru sasaki)
1994年 10月10日 岩手県出身
花巻北高校→筑波大学筑波大学大学院→全日本柔道連盟ニューカレドニア中学校日本語アシスタント)

主な実績
2011 インターハイ岩手県予選優勝

2011 全国高等学校柔道選手権大会岩手県予選優勝

2022 全日本実業個人柔道選手権大会出場

 

━━ 佐々木さんは筑波大学に進学されていますが、推薦ではなく一般入試で受験して、合格されているんですね。

 

大学の志望動機を教えてください。

 

佐々木:私、高2の冬に前十字靭帯を断裂しちゃって、高校の柔道生活を消化不良で終えてしまったんです。だから大学では思う存分柔道がしたかったので、柔道が強くて、学問としても柔道を深められるところを基準に筑波を志望しました。

 

━━ 実際に入ってからはどうでしたか?

 

佐々木:実は絶対ここで日本一になるぞ!4年間頑張るぞ!と気合を入れて来たものの、筑波にどんな選手がいるか知らなかったんです。それで、まわりを見渡せば日本一、世界一の選手が普通にいて凄く怖かったです。

 

あと中学高校は岩手の田舎で柔道部員が少なくて、練習はトレーニング中心。乱取りもやって2分の5本とかだったので、初めての練習で増地先生が「じゃあ乱取り6分の10本」って言ったときは、まさか本当のことだとは思わなかったです(笑)。

 

━━ 環境と練習量の変化がえげつないです。乱取りの時間とか6倍になってますし(笑)。

 

生活環境が一気に変わる中で大変だったことも多いと思うんですけど、まわりにはレベルの高い選手たちがいて、改めて「私はここで頑張るんだ!」と強豪チームに入れた喜びみたいなものはありましたか?

 

佐々木:正直に言うと、すごく現実を見知らされた思いでした。私は岩手にいたから全国大会に出れたけど、ここに来たらジュニアも一回戦で負けるし、校内予選でも負ける。そもそもあまり試合に出れなくて、部員の中でも一番弱かったので「日本一になりたい」なんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど言えなくて、、、。

 

でも柔道はずっと大好きで、、、。

 

━━ 僕の主観ですが、筑波は天才集団というイメージがあります。それに関東には山梨学院大淑徳大学桐蔭横浜大がいて、地区のレベルも高い。

 

ちょっといじわるになってしまうのですが、日本一を目指して大学にやってきて、理想と現実とのギャップ、自分への劣等感を感じる中でも、日本一という目標は胸の中に抱き続けていたのでしょうか?

 

佐々木:それはもう大学に入ってすぐに、正直無理だろうなって気持ちに変わっていました。

 

試合で全然勝てなくて、でも強くなりたいと思って練習はしてて。どうなんだろう?強くなりたいってことは諦めてなかったってことなのかな?

 

でも具体的に自分が日本一になるイメージは持てませんでした。

 

━━ 僕も学生時代に日本一を目指して柔道をしていましたが、これっぽっちも結果を出せませんでした。

 

結果にこだわる競技の世界は厳しいけれど、やりがいも絶対にあると思います。もちろんその一方で自信をなくすことだってありますが、、、。

 

佐々木:私、大学でも怪我が多くて、また前十字断裂しちゃったんです。リハビリも多かったので、その分トレーニングもしてて、スクワットのマックスは100キロを超えてました。

 

ラントレも女子の中では1、2番に速かったけど、それでも柔道で強くなれなくて、、、うん、やっぱり悔しかったです。

 

━━ 悔しいですね。自分の可能性に賭けてここまできたけど、いつまでも可能性という言葉にすがりついている訳にはいかないですし。

 

佐々木:そうですね。だから少しずつ自分なりに柔道を楽しもうというか、競技は上手くいかないんですけど、やっぱり柔道が好きなので。

 

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━━ 佐々木さんは柔道のどういうところに楽しみを見出していたんですか?

 

佐々木:私は中学生の頃から英語を話すのが好きなんですけど、筑波には毎日のように外国人選手が合宿に来ていて、大学時代は怪我が多くて打ち込みパートナーがいない時期も多かったので、よく打ち込み相手がいない海外の選手に声をかけて、一緒に練習していたんです。

 

その時に「ねえねえ、1、2、3ってあなたの国の言葉でなんて数えるの?」って聞いてみたり、合宿に一人で来る選手には不慣れな土地で寂しいだろうなと思って「一緒にランチ行かない?」って声をかけてみたり、そうやっていろんな国の柔道家と話をするのが楽しくて。

 

柔道部で外国人受け入れ担当もしていて、柔道を通して海外に友達ができるのは、これは面白いなと、国際的なことへの関心も高まりました。

 

━━ 海外の選手と友達になれるの凄く羨ましいです。あと実際の稽古やボディランゲージでのコミュニケーションも楽しいですけど、ちゃんと言語で話せるのがめちゃめちゃいいですよね。

 

佐々木:ブルー柔道衣を洗濯したら緑色になっちゃったと泣きべそをかいていた選手と一緒に脱色方法を調べたり、練習中に怪我をして凄く痛がっていた選手を病院に連れて行ったらただの打撲だったり(笑)。

 

━━ 痛みに敏感すぎる(笑)。

 

佐々木:当時筑波に来ていた外国人選手が今ではナショナルに上がっていたり、コーチになっていたり、学生時代にお互い助け合ったというか、いろんな時期を乗り越えた選手とまた会えるとすごく嬉しいですよね。ああ、柔道いいなって思います。柔道があったから出会えたんだなって。

 

仲良くなった選手たちとは今でも連絡を取り合っていて、たまに人生相談とかしてますよ。

 

━━ 柔道は競技だけじゃないですね。

 

佐々木:私も最初は強くなりたいって勝ち負けの柔道しか見えてなくて、大学に入ってからもメインは競技でしたけど、国際的なものとか、人と繋がるきっかけになるとか、知らなかったことを知るツールになると学びました。

 

━━ うんうん、僕は恥ずかしながら「柔道は競技だけじゃない」と気付いたのは最近で、今になってやっと嘉納治五郎先生の教えって面白いなと思いました。

 

佐々木:ただ、もしかするとなんですけど、今の日本の柔道って、競技面ばかりが重要視されてて、、。

 

━━ ああ、だと思います。

 

佐々木:話が前後しちゃうんですけど、海外で経済的にあまり状況が整っていないだとか、社会的に差別があるだとか、そういうところに行けば行くほど、現地の人たちは柔道の価値やスポーツの価値を信じているんです。

 

私は筑波大で、日本で、柔道に打ち込んでいたので、なんだかすごく過信というか、驕りみたいなものがありました。指導のために海外に行ったときも「柔道って知ってる?」みたいな気持ちでいて、まさに「教える」って感覚だったんですけど、そうじゃなくて、私は彼らに柔道を教えてもらいました。

 

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***

 

━━ 佐々木さんは筑波大学の大学院にも行かれているんですね。

 

院ではどのようなことを学んだのでしょうか?

 

佐々木:基本的に柔道部から院に進んだ人は柔道研究室に行くんでんすけど、私は興味のあったスポーツ開発学を学ぶことにしました。

 

タイミング的にちょうどリオオリンピックが開催された頃で、女子の−57kg級で優勝したブラジル代表のラファエラ・シルバ選手のインタビューを見たことが、興味を持った一番のきっかけです。彼女は「柔道が私の人生を変えた。貧しいところに生まれたけれど、柔道をしたから目標が出来た。柔道を通していろんなことを学んだ」と話していたんです。

 

個人的にもシルバ選手のことを調べてみたら、本当にファベーラというブラジルの貧困街出身だということが分かって、それで彼女の姿を見て、今ファベーラにいる子どもたちも「私もシルバみたいになりたい」と目を輝かせながら話していて、ああ柔道すごいな、こんな力があるんだなって感動して、、、。

 

━━ うんうん。

 

佐々木:それまでは競技としてしか見てこなかった柔道だけど、柔道を今度は手段として、人を繋げたり、困っている人を助けたり、そういう勉強がしたいなって。

 

あと日本もですけど、世界のいろんなところに目を向けると、貧困や男女格差など、いろんな社会課題があって、そんなところで今までやってきた自分の強みでもある柔道を生かして、誰かのために、何かできないかなと。私も競技だけじゃない柔道の価値を信じてみたいなと思いました。

 

ちょうどシルバ選手の例があったので、ブラジルにソーシャルプロジェクトという活動があることを知って、そのプロジェクトはスポーツを通じて貧困地域に安全な場所を作ったり、無料で子どもたちに食事の提供をしたりって内容なんですけど、そういったことを学べるのがスポーツ国際開発学だったという感じです。

 

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━━ 日本とブラジルではもちろん地域にもよりますが、柔道の価値という視点がかなり違うと思いました。それにファベーラは、別の言い方をすれば「スラム街」ですよね。治安や衛生状態がかなり悪くて、殺人、薬物の密売、観光客を狙った誘拐など、多くの問題を抱える地域だとテレビで見たことがあります。

 

もうすこし、ファベーラについて教えてください。

 

佐々木:まず南米の大きな都市には必ずと言っていいほど貧しい方たちが住んでいるエリア(ファベーラ)があるんですね。

 

大きな都市を作るには労働力が必要だから、奴隷というか黒人やアフリカの人たちを連れてきて働かせたんですけど、作り終わった時にその人たちを送り返すのもお金がかかるから、勝手にどこかへ行けみたいな感じになって、とは言っても彼らは住むところがないので、山なんかに不法に住んで、自分達で勝手に電気を引っ張ってくるなどしたのが始まりみたいです。

 

ボロボロな家に大勢の人が密集して暮らしていて、そこで生まれると、学校に行く機会があまりなかったり、行けても教育の質が悪くて何も学ばずに帰ってきたり、将来的にいい職業に就けなくて、そうなると貧困もループしてしまって、、、。

 

━━ 負の連鎖ですね、、、。

 

佐々木:富裕層が住んでいるところと貧困層が住んでいるところに物理的な壁はないんですけど、何故だか見えない壁があって、本当に人が行き来しないんです。

 

━━ ああ、危ないとかそういう理由ですよね、、、。同じ国ですぐ隣なのに、、、。

 

それにしても佐々木さん、勉強していたのはそうですが、すごく詳しいですね。

 

佐々木:私、大学院の時に半年間ブラジルの現地でソーシャルプロジェクトに参加させていただいていて。

 

━━ なるほど、納得しました。ちなみにどこから繋がったんですか?

 

佐々木:筑波にブラジルの方が柔道研修に来ていて、話す機会があったのでソーシャルプロジェクトのことを聞いたら「それ僕もコーディネーターとして参加してるよ。ファベーラの子どもたちに柔道を教えて何かのきっかけを与えているんだ」と言ってて、それだけでも驚いたのに、その場で「来る?」と声をかけてもらって、翌年から参加させてもらうことになりました。

 

━━ す、すごい、、、。実際に現地で活動してどうでしたか?

 

佐々木:私が実際に活動して、一番感じたソーシャルプロジェクトの意義は、子どもたちの将来の選択肢を広げる、未来を後押しすることでした。

 

たとえば貧困だから学校に行けない、スポーツができないというような状況の中で、お金がなくても、それが出来る環境やきっかけを作る。その中で、子どもたちが柔道で世界を目指すのもありだし、奨学金をもらって大学を目指すのもありだし、厳しい現実の中で、自分の生きる目的というか、希望の光みたいなものを見せてあげたいんだと思います。

 

━━ 安全な場所作りや食事の提供というだけでも、居場所として十分にソーシャルプロジェクトは機能してると思いました。

 

ただ、やはりそれだけでは根本的な解決にはなっていなくて、未来を変えたいのであれば、本人が自分の力でなんとか出来ること、這い上がれることを教えてあげたい。そこで、こんな世界があるんだよ、自分次第で明るい人生は作れるんだよって、その入り口というかきっかけを作るっていうのはちゃんと未来を見てるんだなって感じます。

 

その一方で、これはあくまで現状の話であって、本来国がもっとこの状況をなんとかしないといけないと思います。ファベーラの人たちの努力不足とかじゃなくて、システムの問題が大きい気がしました。

 

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佐々木:あとすごく印象に残っている出来事があるんですけど、ブラジルに来て2週間が経った頃、現地の先生に「柔道ってなんだと思う?」って聞かれたんです。

 

私が「釣り手と引き手を持って、相手を崩して、投げるのが柔道」って答えたら、先生に真顔で「違うよ、そんなの柔道じゃないよ」と言われました。

 

━━ んー、なんだろう?心の成長的なやつでしょうか?

 

佐々木:私も「え?」と思って、今までこんなに死にそうになりながら柔道をしてきて、大学でも学問として柔道を学んで、柔道発祥の地である日本からこうして来て、「じゃあ何が柔道なの?」ってそのまま逆に質問したんですよ。

 

すると先生が「あれを見てごらん」って。そこは柔道をすると言ってもまだ畳も柔道衣も準備出来ていないところだったんですけど、子どもたちが笑顔で鬼ごっごをして走り回っていて、「これが柔道なんだ」って。

 

ここファベーラは元々暴力や麻薬ばかりだったけど、こうやって安全な場所を作る、ここに来たら愛してくれる人がいる、正しいことを教えてくれる人がいる、先生、友達、そして第二の家族がいる。

 

正しい事をしたら褒めてくれて、間違った事をしたら正してくれて、ここに来るといろんな機会に繋がる。例えば奨学金をもらって学校に行けたりとか、ここに来ることで人生の可能性が広がる。それが柔道なんだ。

 

どこを持ってどう投げるかなんて、子供たちが将来大きくなってから学ぶ事であって、そんなのは二の次なんだ。ブラジルにおける柔道というのは単に技術的な事じゃなく、もっとこう根幹の部分にあるんだよ

 

━━ (すごい話だ、、、絶対ブログに書かなければ、、、!!)

 

佐々木:というのを教えてもらって、柔道にはこんな力があるんだとすごく心が震えました。

 

子どもたちにも話を聞くと6歳くらいの小さな子が「柔道が僕の人生を変えてくれた。柔道が僕の人生の扉を開いてくれた」と言ってて、「柔道をする前は何もすることがなかった。学校が終わって帰って来てもお金もないし、何もすることがなくて、路上で石を蹴ってた。でも柔道を始めてから今は第二の家族がいて、夢もある」と話していましたね。

 

本当に柔道よりも子どもたちがメインで、その子たちの可能性を開くために柔道がきっかけになってる。もちろんだからといって柔道をやっていないわけではなくて、柔道を通じて、子どもたちが人の話を聞くとか、助け合うとか、自分をコントールするとか、いろんなことを学んでいて「自分の中で柔道とかいろんな価値観が変わった」時期だったなって。

 

━━ 価値観変わりますね。今パッと言語化できないんですけど、新しい視点というか。

 

佐々木:そうですね。ブラジルでの経験は自分の人生の視点というか考え方をすごく変えてくれたと思います。

 

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━━ 他にもどこかの国に行かれてるんですか?

 

佐々木:行ったことのある国は、エジプト、アメリカ、ハンガリー、ペルー、カザフスタン、中国、インドですかね。それぞれ目的は別なので派遣してもらったり、個人で呼んでもらったり、一応毎回柔道衣は持っていってますね。

 

━━ 多い、多い!!めっちゃ行ってる(笑)。

 

佐々木:もちろん旅行で行くこともあるんですけど、柔道関連もありがたく行かせていただいてます(笑)。

 

そういえばエジプトも思い出深くて、呼んでくれたのが物凄くお金持ちの柔道クラブだったんですよ。ただ国の社会課題として男女の社会進出に差が大きくて、だから現地の女性柔道家を激励してほしいって真剣に話されてました。

 

━━ 派遣はあるとして、呼んでもらうのがすごいですよね。やっぱり安心感というか、いくら日本の柔道家とはいえ、それなりに信頼されてないと呼ばないじゃないですか。

 

佐々木:そこは本当にいろんな機会、タイミングに恵まれたと思っています。

 

大学柔道の競技で私が結果を出せなかったことは、見方によっては失敗とか上手くいかなかったって感じだと思うんですよ。でもまた別の見方によっては、自分から海外の選手に声をかけて、一緒に打ち込みをして、それをきっかけに話しが出来て、繋がれて、柔道を通じていまも関係が続いている。

 

私が向こうに行くこともあれば、向こうから来ることもあるし、築けた関係は絶対に失敗じゃないので、そういうところは私らしいのかなって思います。

 

━━ 判断基準は成功か失敗ではありませんが、そこでいうと大成功ですよね。

 

佐々木:ありがとうございます。筑波にいた時は、大学という教育機関ではありながらも、やっぱり強さを目指す場所と言いますか、強い人が偉いみたいな雰囲気もあったりして、怪我もして、上手くいかなくて、悩む時期もあったんですけど、今思うといろんなことって繋がってるんだなって思います。

 

高校の時の英語が今活きたり、怪我したことがこう繋がったりとか。いろんなことが繋がってるなって。

 

━━ あの、僕すこし気になっていることがあって、さっきから佐々木さんは普通に話しているんですけど、筑波大学に受かる学力があって、英語も話せて、柔道ではインターハイにも出てるってかなりスペック高いと思うんですよ。

 

でも話を聞いている限る、いわゆる天才ではなくて、かなりの努力を積み重ねて来た人なんだって印象があって、簡単でいいのでこれは頑張ってたと思うご自身のエピソードを教えていただけますか。

 

佐々木:やっていたことで思いつくのは、高校時代にトレーニングも兼ねて毎日片道40分を自転車で通っていました。それで7時に学校に着いて階段を走って、道場で寝技の補強をして登校です。

 

━━ (いきなりストイック!)

 

佐々木:部活が終わってからも自主練をして、また自転車で帰るんですけど、たまにお腹減りすぎて、でも田舎で周りには田んぼしかなくて、なので田んぼで少し寝て帰ったりもしてました(笑)。

 

あと学校が進学校で予習復習の量がすごくて、でも勉強も頑張りたかったので、どんなに疲れていても家で欠かさずやってました。どうしても夜眠い時は朝4時に起きて勉強したりもしてました。

 

━━ テストの順位とか聞いていいですか?

 

佐々木:なんとかですが、毎回学年3位には入っていました。勉強も分かるまで、出来るまでやらないと気がすまなかったので(笑)。

 

あとは大学で海外の選手と話すためにロシア語を覚えたかったので、授業の合間に他学群の授業を履修して、2年かけて勉強しました。

 

━━ すごい、、、すごすぎる、、、。いろいろヤバすぎて、田んぼで寝てた話スルーしちゃってたんですけど、マジで尊敬です、、、。(語彙力)

 

※インタビュー後に分かったのですが、朝練は個人的に行っていたものらしく、朝もうちょい寝ようと思えば寝れていたそうです、、、。

 

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***

 

話は少し進んで、佐々木さんは大学院を卒業するタイミングでもう一度ブラジルに渡り、ソーシャルプロジェクトに携わりたいと考えていたそうです。

 

しかし、ブラジル以外にも貧困の差や社会的格差は様々な国で起きていて、じゃあ日本にいる私には何が出来るのか自問自答すると、ブラジルに行くのも選択肢だけど、全柔連に入って、日本からソーシャルプロジェクトのような価値を発信するのも選択肢で、他にも何かしたい日本人が海外に行けるような土台を作りたいと考えるようになりました。

 

そうして大学院を卒業すると同時に、佐々木さんは全日本柔道連盟、国際課(現、普及振興課国際係)に就職が決まりました。全柔連で勤務する日々は柔道の普及や振興に携われるのがやりがいで、筋道の通っている理由さえあれば、自分の意見を話してそれを採用してもらえる。日本や国際関係の物事を決定する場面に立ち会えたのはとても貴重な経験になったとのこと。

 

ただ一方で、就職した時は「100着の柔道衣を海外に送れて喜びを共有できないのと、1着だけ送って喜びを共有できるのはどっちがいいか」自分に質問すると、答えは即答で前者だったのに、いつしかその答えが後者に変わっていった。

 

コロナ禍で自分の内面と対話する時間が増えていく中で「また現場で人とコミュニケーションをとりながら、喜怒哀楽の感情を共有したい」という思いが大きくなっていることに気づき、悩んだ末に3年7ヶ月務めた全柔連の退職を決意します。

 

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━━ これから思い絵描いている人生を教えてください。

 

佐々木:今はいろんなところに行って、いろんな人に会いたいですね。ある程度の方向性は持ちながら、その時の出会いや流れに身を任せていきたいです。

 

チャンスとか出会いとかその時生まれる感情を大切にしたいので、それくらいの入る隙間は自分で作っておこうって気持ちですね。

 

あと何をしたいというよりも、どういう自分でありたいかを大切にしたいです。

 

━━ 素敵だと思います。自分を大切にするからまわりも大切にできる。それこそ隙間というかやっぱり余裕を持つことは大事ですね。

 

これからまとめに入っていきたいのですが、佐々木さんが考える柔道の価値とはなんでしょうか?

 

佐々木:私は一番は友達ができることだと思います。外国にも友達つくることもできます。国際柔道連盟の加盟国が204カ国なんですけど、国連加盟国の193カ国より多いんですよ。柔道はすごく国際性もあるし、他の文化圏に友人ができれば、新しい世界を知るきっかけにもなると思いますので。

 

あと、柔道を通して人の痛みが理解できるようになる。優しくなれるっていうのもあると思います。暴力じゃなくて、柔道が教育的だと言われているのは、投げる時に相手が怪我しないようにするっていうのはあるし、逆に自分が投げられて痛みが分かることもある。人を傷つける可能性がある技術、体力を持つからこそ、そのコントロール方法を学ばなきゃいけない。

 

━━ いままで友達に柔道って痛いんでしょ?と言われてもそこで話が終わってて、でもだからこそ痛みがわかる、優しくできるっていうのは、分かっていたつもりで見落としていたところでした。

 

佐々木痛い思いはしたくないけど、人生って体の痛みだけじゃなくて、心の痛みもあるので、柔道で自分や相手に向き合っていけば、人の痛みに寄り添えるようになる気がします。

 

━━ 心の痛み、柔道って恥を晒す場面も多いですもんね。試合3秒で負けた時とか顔から火が出るほど恥ずかしい、、、。

 

それでいうと、みつをの「柔道は一番最初に受け身で恥を晒すことことから覚える」的な詩だってありますもんね。

 

佐々木:受け身で思い出したんですけど、ブラジルの先生がなぜ柔道がファベーラの子どもたちに役立つかというと「こういう貧しいところで暮らすという困難を子どもたちはいま味わっているのだけど、貧困は親世代もしくはそれより前の世代から連鎖していて、自分たちも同じように貧困の中で生きていかなければいけないと考えるから、困難から立ちあがろうとする経験や自分だって立ち上がれるのだと信じれるようになるきっかけ自体は少なくて、受け身を通じて投げられても立ち上がることを学べば、それを人生に適応させられる、困難の中でも、立ち上がる強さを柔道から学ぶことができるんだよ」と話していました。

 

━━ いい話です、、、受け身っていいですね、、、。

 

佐々木:色々詰まってますよね、柔道は技だけじゃないなぁって、改めて考えさせられます。

 

━━ 受け身、あんなに面白くない練習なんですけどね。

 

佐々木:投げることじゃなくて、投げられること、ちゃんと受け身を取ること、そして立ち上がること、それが一番大事なんだって言ってました。

 

━━ 柔道家の強さって、立ち振る舞いや礼儀作法、フィジカルもあるんですけど、何万回と受け身で倒れても、同じ数立ち上がってきた経験が力になっているような気がします。

 

今日はすごく勉強になった一日でした。

 

佐々木:いえいえ、私も自分の考えていたことを振り返るいいきっかけになりました。

 

━━ では、今回はこのへんで終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

佐々木:こちらこそ、ありがとうございました。

 

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***

 

ということで、今回の記事は佐々木千鶴さんに話を聞きました。

 

余談ですが話を聞いたのは、なんと昨年の12月でした、、、。(土下座)

 

ちょくちょく「遅れてすみません」と連絡をしていたのですが、その度に「全然大丈夫なのでストレスに感じないでください」と優しく待っていただいておりまして、この場を借りて千鶴さん本当にありがとうございます。そして遅くなってすみません、、、。

 

あと書きたいことが多すぎて、けど全部書くとあまりに情報過多になってしまうので、内容かなり抜粋した本記事ですが、最後に読んでくださったみなさんへ、本文には残せなかった佐々木さんのエピソードを紹介して終わりにします。

 

①2022全日本実業個人選手権大会に挑戦

 

現役を終えてからも、もう一度試合に出たいと考えていたそうで、現在ビーガンとして食生活を送る中、動物性ではない植物性タンパク質で作った身体でどこまで出来るのか、自分を使った実験込みで、出場されています。

 

結果は初戦敗退だったものの、自分にできることに誠実に取り組んだこのチャレンジは、宝物のような時間になったとのこと。とはいえ、ちゃんと悔しかったので、また機会があれば出場を考えているそうです。

 

全柔連で働きながら社会福祉を学ぶため大学に編入

 

今までは柔道を通じて助けが必要な人にリーチしてきたけど、そもそも根本的な解決にはなっていなくて、だから一度柔道を取っ払って、社会の中で困っている人たちに寄り添うにはどうすればいいか、その人が抱えている課題を解決する手助けは何ができるのか、勉強するために大学に編入して無事卒業までされたそうです。

 

海外にばかり目を向けてきたけど、その前にいま目の前にだって困っている人がいる。場所というよりも、困っている人がいたら何かできないかな?と思うようになって、一人では難しいけど、願わくば仕組み化なんかも、いったん柔道から離れて考えてみたいと話していました。

 

素敵!!

 

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***

 

では、これで本当に今回の記事を終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422

 

今回取材させてもらった佐々木千鶴さんのSNSはこちら。

SNS

Instagram

 

絆を感じる、とは。柔道と出会えて、本当に、良かった。高田輝一さんとのはなし #012 高田輝一

※こちらの記事は2020年12月に書いたものです。

 

第12回はこの人。高田輝一先輩(飲食店自営業)のお話を聞いてきました。

 

みなさん、輝一先輩を知っている人も知らない人も騙されたと思って最後まで読んでください!きっと心が動く瞬間がありますので!

 

ちなみに僕はインタビューをした時と1人でこの記事を書いている時に「絆」って素敵だなぁと5回くらい泣きました。

 

前半は中学から始めた柔道のこと。中盤は生死を彷徨った交通事故とパニック障害。後半は現在先輩が営まれているBARについてです!

 

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高田輝一(タカダキイチ/kiiti takada)

1991年4月18日 沖縄生まれ

学歴 西崎中→豊見城南高校

職歴 飲食店自営業

 

━━ 柔道を始めたのはいつですか?

 

高田:小学校6年生の終わりかな。それまではミニバスをしていたんだけど、いとこが柔道をしていたこともあって親父に「中学からは柔道をしたら?」と勧められたのがキッカケで。

 

━━ 初めての柔道はどうでした?

 

高田:めちゃめちゃ怖かった。いざ自分がやるとなるとさ、目の前で人がバンバン投げられてるし、先輩とかみんなデカくて威圧感あるし……。

 

しかもさ、中学生になって直ぐに先輩たちの大会があって応援に行ったんだけど、そこで人の腕が骨折する現場を見ちゃって。

 

中学生になったばかりの俺にはちょっと衝撃的で「嘘でしょ?いやいや冗談でしょ?……マジかよ。終わった」って感じだった。

 

━━ それは怖い、、、。辞めようとは思わなかったんですか?

 

高田:本当はすぐにでも辞めたかったけど、小心者だったから言い出せなくて(笑)

 

━━ とんでもないところに来てしまったという感じですね(笑)

 

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先輩が作ってくれたノンアルモヒート

 

━━ 中1の柔道生活で印象に残っている出来事ってなにかありますか?

 

高田:ん〜、ちょっと待ってね。俺、事故にあってから記憶が飛び飛びなんだよな。(事故の話は後半)

 

そうだ、思い出した。柔道を始めてから1つだけ自分に誓ったことがあってさ。

 

━━ おお、なんですか!?隠れて自主練とかですか?

 

高田:んーん、もっと大切なこと。

 

そう、耳を潰さないこと!!(どーん!)

 

━━ 「」

 

高田:なんだろうな。俺の中で「耳が潰れたらモテない」ってイメージがあってさ。先輩たちに寝技で狙われても「耳だけは耳だけは」って頑なに死守してた。

 

 ━━ モテるために?

 

高田:うん、モテるために。

 

━━ 中2はどうでしたか?

 

高田:実はさ、俺1度柔道部を辞めてるんだよね。たしか中2の夏前かな?

 

━━ 初耳です!

 

高田:みんなには「バスケがやりたいから、柔道部を辞めてバスケ部に入ります」って話していたんだけど、本当は人間関係でごちゃごちゃしちゃって。そういうのが面倒くさくて柔道から逃げたんだよね。バスケはそのための理由づけ。

 

だけどさ、中途半端な気持ちでバスケ部に移動したところでやっぱりどこか気持ちがついていかない。

 

結局その年の冬には柔道部に戻ることになったんだけど、そのときは「ああ、やっぱ柔道だよな」って思った。

 

━━ 柔道部にはどうやって戻ったんですか?

 

高田:柔道部の同級生が「輝一、戻ってきたらー?」って声をかけてくれて。

 

恥ずかしかったし「本当に戻っていいの?」って不安だったんだけど、みんながまた快く受け入れてくれてね。

 

そのとき外部コーチだった先生が「お前は柔道がいいよ。お前の居場所はここだよ」って言ってくれて、一言二言なんだけど中学生ながらにすごく嬉しかった。

 

━━ そういう何気ない一言って嬉しいですよね。柔道部に戻れてよかったです。

 

高田:中2は柔道部を離れたり戻ったり、いろいろ悩んでたって記憶だね。

 

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インタビューの場所は先輩が営まれている ダイニングバー リンク

 

━━ では最高学年になった中3の思い出を聞かせてください。

 

高田:パッと思い出すのは大会に出るために1週間で10キロ減量したこと!!

 

━━ 1週間で10キロ!!??

 

高田:うん。その大会には各階級各学校2名ずつしか出られなくて、俺の階級は部内に3名いたから1人出られなくなる訳なんだけど、大会前監督に呼ばれて「出場枠の関係上、お前は補欠にするから」って言われたのね。

 

自分の中では2人に差があるなんて思えないし、部内予選だってしていない。一方的に決められたことが納得できなくてさ。

 

ただ、普段絶対に減量をさせない監督が「まあ1つ下の階級なら枠が空いてるけどね」って一言だけボソッと言って。それが聞こえたから「なら減量でもなんでもして、俺は絶対に大会に出てやる」って意地になって体重を落とした。

 

━━ ヤバすぎます……。

 

高田:1週間飲まず食わずで練習して、走って走ってなんとか体重は落とせたけど、そこまででいっぱいいっぱいだった。結局試合は1回戦で負けちゃったから。

 

━━ そんなの試合どころじゃないです、、、。死にますよ、、、。

 

高田:ね、俺も死ぬと思った(笑)

 

━━ (笑えねー!ストイック減量の話って全然笑えないんだよな)

 

輝一先輩が3年生のとき僕は同じ西崎中学校の1年生でした。先輩の代は「とにかく強かった」ってイメージなんですけど、部内にライバルとかいたんですか?

 

高田:減量をして階級を落としてからは兼人(※)をずっとライバル視してたよ。

※伊良波兼人先輩

 

柔道は強くてなかなか勝てないんだけど、なんか気に食わなくて「こいつにはだけは負けたくない」って本気で思ってた。俺は「こいつに勝てれば2回戦負けでもいい」をモチベーションに練習してたから。

 

結局試合では地区大会2位、県大会3位。全部兼人に負けた。悔しかったなぁ〜。

 

━━ 兼人先輩って小学生のときからずっと強いじゃないですか?

 

ほとんど中学生から始めた先輩とはそもそもスタートから違うのに、そんなふうに頑張れることがかっこいいです。あと県3位も立派ですよ!

 

先輩たちって普段は仲良かったんですか?

 

高田:3年生のとき同じクラスだったんだけど、しょっちゅう喧嘩してたよ。

 

兼人っていつも制服を真面目にきっちり着てたのね。俺は着崩すタイプだったから、それが無性にイライラしてその場でボタン全部引きちぎったこともある。まあ同じようにやり返されたんだけど(笑)

 

━━ 理不尽すぎる(笑)

 

高田:だけど、今ではめちゃめちゃ仲良いよ。東京から帰ってきたら毎日店に来てくれるし。

 

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大人になった先輩方

 

━━ 柔道を始めてよかったですか?

 

高田:よかった。それは本当に。もししてなかったら今みたいに兼人や壮四(※1)、祐(※2)、柔道で知り合えたみんなともこんなふうに仲良くなれていないから。

※1 岩切壮四先輩 ※2 伊禮祐先輩

 

比べるもんじゃないけどさ、西崎中の柔道部で一緒に「苦しい思い」や「悔しい思い」をした友達と、高校で楽しいことばかりをワーっと遊んできた友達とでは、なんていうか重みが違うんだよな。

 

俺はさ、勝手にだけど「こいつらとは絆が強いな」って思っちゃってんだよね。

 

だからそういう友達が得られたことは本当に嬉しいことだから、柔道をしてよかったと思ってるよ。

 

━━ 素敵、、、。

 

高田:苦楽を共にするというかね、兼人、壮四、祐は幼稚園から一緒でさ、その輪の中に入れてもらえるのが嬉しいよ。

 

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※ここから高田先輩が大学1年生の冬に経験した「交通事故」と「パニック障害」のお話をします。事故について詳しい症状まで載せているので、苦手な人はとばしてください。

 

※高校時代の話は割愛しますが、簡単に説明すると「俺達が送りたかった青春第一位」って内容でした。高校にゼロから柔道部を作ったり、でも辞めてヤンチャしたり、と思ったら卒業式では送辞読んでるし、ぜひ本人に聞いてみてください!!

 

高田:大学1年の冬なんだけど、テスト期間だったからバイクで学校まで向かってて。小学校の前を通りかかったから「スピード落とさなきゃな」と思って、30キロまで減速したところから記憶がない。

 

ここからは重い話だよ。

 

━━ はい。お願いします。

 

 高田:病院に運ばれたあとは体の感覚がなくて、自分が何をしたかもどんな状況かも全くわからない。そのままぐったりしていたら「輝一!!輝一!!」って聞き覚えのある声がして、目を開けたらそこには今までに一度も見たことのない顔をしたおかんが泣きながら立ってた。

 

そんなおかんの顔を見たときに、自分が事故ったことすらわかってないんだけど「俺は人生で一番やってはいけないことをしてしまったんだ」と思って。

 

真っ先に出た言葉は「ごめんなさい」だった。

 

俺はずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝ってて、おかんは「大丈夫だよ」ってずっと言ってて。そのへんでまた記憶がなくなった。

 

━━ 事故後の症状を聞いても良いですか?

 

高田:うん、大丈夫だよ。

 

【左半身の強打】

・頭蓋骨骨折

・鼓膜が破れる

・肋骨1本骨折

・脊髄3箇所骨折

内臓破裂

・肺に1500ml 血がたまる

 

後々聞いた話だけど「俺はその日で死ぬ」って言われてたみたい。

 

━━ すみません、ちょっと言葉が出ないです……。

 

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高田:ずっとICUに入ってて、親は俺に何があってもいいようにずっと病院で寝泊り。まだ小さかった妹には会えなかったけど、弟には会えてさ。「兄貴にもし何かあったら俺は生きていけない」ってぐちゃぐちゃに泣いてた。本当に悪いことをしたなって思ったよ。

 

ICUには4日間入っていたんだけど、覚えているのは本当それくらい。

 

4日後目を覚ましたら目の前に病院の先生がいて、まあいろんな説明をされたんだけど最後に言われたのが「これから言うことを受け止めてください。高田さんは一生車椅子です」って話だった。

 

━━ はい。

 

高田:ショックを受けながら「あー、わかりました」って返事をしたら、先生が「あ、顔も麻痺してますね」って思い出したように付け足してきてさ。さすがに笑えなかったよね。

 

━━ (先生、軽くね?)

 

高田:それから段階的に準ICU→二人部屋と移動したんだけど、そのときなんか歩ける気がしたんだよな。

 

さっそくナースさんを呼んで歩行器持ってきてもらった。

 

そしたらさ、歩けたんだよ。「やった!!歩けるじゃん!!」って。本当に嬉しくて、歩く練習をしたらトイレも風呂も自分で行けるようになってね。

 

━━ すげえ、、、奇跡だ、、、。

 

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高田:友達もよくお見舞いに来てくれてたんだけどさ、俺を元気付けようとみんなすっごい明るく入って来るのね。

 

「輝一!!久しぶりー!!」みたいな感じで。だけど、俺の顔を見たらめっちゃ引くわけよ。顔面麻痺で顔歪んでるし、水飲んだら口からダラーって溢れるし。

 

正直(みんな顔に出過ぎだよ)って思ったけど、「大丈夫、大丈夫!みんな気にすんな!!」って明るく振る舞うようにしてたなぁ。

 

━━ 僕だったらたぶん誰とも会いたくないし、そんなふうに友達を気遣うなんて出来ないと思います。

 

高田:あとさ、壮四がお見舞いに毎日来てくれてたんだよね。

 

高校からは学校が別々でだんだん疎遠になるというか、中学生の頃みたいにはいかなかったりするじゃん?実際中学を卒業してからはそんなに会ってなかったんだけど、本当に毎日来てくれた。それで俺の状態とかをみんなに連絡してくれてさ。

 

━━ 壮四先輩、、、。

 

高田:壮四さ、お見舞いに牛乳とか買ってくるんだよ。「骨折れてるんだろ?カルシウム飲めばくっつくから飲め」とか言ってさ。全然意味わかんないし、くっつくわけないじゃん?それで俺が飲まないでいたら「飲め」ってめちゃめちゃ怒るんだよあいつ。そんなんでよく喧嘩してた。

 

祐は壮四から俺の話を聞いても「ふざけんな、俺は信じない」って物凄く怒ってた。それが祐なりの願掛けだったみたい。

 

━━ 泣きそうです……。壮四先輩いい奴すぎるし、祐先輩のその感じも想像できます……。

 

高田:だいぶ歩けるようになってからは6人部屋に移されたんだけど、それがまあしんどくてしんどくてね。もう我慢できなくなって先生に「今日退院させてください」ってお願いしたら「ふざけないでください」って怒られた。

 

そのあとも「僕は本気です」って粘ってたら病院のトップたちが部屋に集まってきて「最低でも半年は入院してもらわないと困ります。いま生きていることだってあり得ないのに、歩いているなんてもっとあり得ないんですよ。それにまだ今後なにがあるかだってわからないんですから」って説得されてさ。

 

そこまで言うなら「わかりました。退院は明日にします」って言って、通うことを約束に翌日退院した。

 

━━ は?

 

いやいやいや、医者の言うこと聞いてくださいよ!!

 

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高田:まあ特に大きな手術もなく、いまに至ってるから本当に「ミラクルボーイ」だったよ(笑)

 

━━ いや、そういうのいいんで。本当にいいんで。

 

高田:親父といまこの話をしたら、親父も当時いっぱいいっぱいであんまり記憶がないみたいなんだけど、それでも「お前は戻ってきてくれただけで親孝行だよって」って言ってくれたんだよね。

 

さっきも話したけど、事故後のおかんの顔とかさ。

 

やっぱり両親にはもう迷惑かけたくないし、ちゃんと親孝行していきたいなって思った。まあ迷惑はまだかけちゃっているんだけどね。

 

━━ (最後いい感じにまとめた、、、!!)

 

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━━ 実は先輩がパニック障害だったことを今日初めて知りました。その話も聞いていいですか?

 

高田:もちろん。身内にしか言ってなかったんだけど、いまでは笑い話だから。

  

22歳のときになったんだけど、パニック障害を簡単に説明するとまず血の気が引いていくんだよね。骨の芯から冷たくなる感じ。力が入らなくなって、呼吸も浅くなる。それで心拍数がすっごく上がって、本当に死ぬんじゃないか?って怖くて仕方なくなる。

 

━━ テレビで見ることはありますが、実際に話を聞くのは初めてです。

 

高田:事故があってから大学を休学して県外に働きへ出かけてみたり、実家の居酒屋で働きながら大学に戻ってみたり。結局大学は辞めたんだけど、自分の将来とか目の前の現実とか、そんなことをずっと考えていたらどんどん不安になっていった。

 

そしたらある日、心臓がバクバクして息ができなくなっちゃって、体が震えて怖くて怖くて。

 

もしかして「事故の後遺症かな?」とか考えながら、おかんに病院まで連れてってもらったんだけど、診断結果は異常なし。

 

━━ ああ、、、。そうですよね、、、。

 

高田:病院帰りにそのまま外食したんだけど、まわりにいる人たちが怖くてうるさくて、目は回るしで一口も食べれなかった。パニック障害って発作が起きたらもうそのあとはなんにもできなくなるのね。

 

例えば車の運転中って急に止めて外に出ることってできないじゃん?他にも大学の授業中って外に出にくいし、美容室で髪を切ってる時は動けない。そういう状態のことを「心理的閉鎖」って言うんだけど、それに陥ると発作が起こる。

 

発作が起きるととにかく苦しくてさ。夜眠る時とか本当に不安だった。寝たらそのまま起きれなくて死ぬんじゃないかなとかマイナスなことばかり考えちゃって。

 

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━━ パニック障害は調子の良いときは良いから、そこの高低差が大きくてまわりの人に仮病だと勘違いされてしまいやすいと聞きました。それは本当に辛いことですよね。

 

高田:うん。良いときは良いから「今日は大丈夫」だと思って車の運転したら、発作が起こっちゃって車を捨てて帰ったことは何度もあるよ。

 

━━ 克服?改善?するにはなにが効果的なんでしょうか?

 

高田:開き直るとか、パニック障害のメカニズムを知るってことはもちろん大切なんだけど、俺が調べていく中でいちばん良いとされていたのは「運動」。体が健康になれば気分も晴れるしね。

 

━━ ふむふむ。先輩はどんな運動をしてたんですか?

 

高田:逆になんだと思う?

 

━━ やっぱり手軽に始められるイメージのランニングとかウォーキングですかね。

 

高田:うんうん。たしかにランニングはしてたんだけど、いちばんやったのは柔道なんだよね。

 

━━ 柔道!?柔道ですか?

 

高田:なにか運動したいなって考えていたときにタイミングよく兼人から「柔道の職域大会に出ないか?」って誘われてさ。

 

事故の影響は問題なかったし、久しぶりに柔道もしたかったから出ることにした。それからは糸満署(※)に行ったり、みんなで遠くまで出稽古に行ったり。

糸満警察署少年柔道クラブ

 

出稽古に行ったときはどうしても発作が起こるから、トイレに隠れて落ち着かせてどうにか頑張ってたよ。

 

━━ 正直ここで柔道につながるとは思ってもいなかったので驚きです、、、。

 

高田:試合に出ると決まってからは、朝起きたらランニング、それから1人で田舎家の掃除をして、午後は妹が通っていたミニバスで一緒に運動、そのまま柔道に行って、また夜からランニング。

 

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高田:常に動いているから自然と体が丈夫になって、調子も良くなっていった。

 

本当は「もし大会会場で発作が出てしまったら」なんて考えちゃって、職域大会に出るのはとっても怖かったんだ。だけど「この試合に出れたら俺のパニック障害は治る」って。

 

根拠はなにもないけど、でもどうにかパニック障害を治したくてさ。

 

━━ すがるような気持ちでしょうか、、、?

 

僕の中で職域大会は「お祭り」のような勝ち負けよりもみんなで楽しくやりましょうってイメージがあります。

 

高田:そうそう。職域大会ってみんなはお祭り感覚なんだけど、俺だけ全然違くて「これはパニック障害を克服するための大会なんだ」って気持ちが強かった。

 

そのために柔道とトレーニングを一生懸命頑張ったし、発作が起こったときも「自分の体なんだから、自分でコントロールできるよ」って声に出してさ。

 

そうしていたら、職域大会の前にはほとんど発作も出なくなった。

 

━━ 発作おさまっていったんですね、、、!!

 

運動をしたりパニック障害に向き合ったり、話を聞いていると「気持ちが前向き」だったことも要因として大きい気がします。(気持ちで治るような単純なものでもちろんありませんが)

 

試合はどうでした?

 

高田:結果から話すと1回戦負けだったよ。めちゃめちゃ悔しくてトイレで泣いた(笑)

 

「柔道もトレーニングもあんなに頑張ったのに」って思うと悔しくて。それにみんなにとっては楽しくてお祭りみたいな職域大会だけど、俺にとっては「パニック障害を克服する」ための職域大会。

 

━━ それは悔しいですよね。

 

高田:だけどね、泣きやんでトイレから出たらすっごくスッキリしたんだよな。

 

「ああ、もう俺は大丈夫だ」って思ってさ。

 

それからは1度も発作は出てないよ。

 

━━ おお!!すごい!!

 

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━━ パニック障害はどのくらいの期間続いていたんですか?

 

高田:1年くらいかな。いまでは笑い話だよ(笑)

 

そういえばさ、パニック障害の期間はお酒が飲めなくて友達との飲み会もこっそりノンアルにして誤魔化してたのね。

 

みんな若いからだんだん一気飲みとかそんなノリになるんだけど、兼人と壮四が飲んでくれていつも守ってくれてさ。

 

俺が家で引きこもっているときも夜中に連れ出されて「ドライブ行くよ!」「飲み行くよ!お酒だめならノンアルでいいじゃん!ジュースでも良いじゃん!」って。ずっと支えられてた。

 

━━  僕、泣きそうです。と言うか泣いてます。

 

祐先輩は大学が東京だったけど、もし沖縄にいたらそこにいたんでしょうね。

 

高田:うん、そうだと思う。本当にあいつらには頭上がらないよ。兼人が職域に誘ってくれたからパニック障害は克服できたしさ。本当まわりに助けられてばかりの人生です。

 

パニック障害を克服して、ここから俺の第二の人生がスタートしたって感じかな。

 

━━ 先輩たちは中学校の柔道部で苦楽を共にしただけの関係じゃないですよね。

 

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━━ では、ここからはいま先輩が営んでいるリンクのお話を教えてください。

 

高田パニック障害が落ち着いてからは実家が居酒屋(田舎家)をしていたこともあって、俺も料理に励むようになってさ。料理人として親父にはかなり厳しく育てられてまして「お前のやってきたことは全て無駄だよ」とか「今まで何をしてきたんだ?」って何度も叱られたね。

 

きっとお客さんからお金をとって食べてもらう料理だということを教えたかったんだろうな。

 

まあでもそのおかげで料理を学ぶことが出来た訳だからありがたいよね。

 

━━ お父さんめちゃスパルタ!!

 

あんなに優しいお父さんからは想像できない……。でも輝一先輩が本気だったからこそ、そんな相手に対して優しくなれないのはわかる気もします。(最近こんな感じのマンガを読んだ)

 

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高田先輩のお父さんが営んでいる居酒屋「田舎家」

 

 

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お父さん、とっても丁寧で物腰柔らかくて素敵な方です!

 

tabelog.com

 

高田:しばらくは田舎家から那覇にある居酒屋に移動して働いていたんだけど、その頃から独立したいなぁと思って、那覇で物件探してたんだよね。

 

なかなか見つからなくて、頭抱えてたら親父から「糸満の物件に空きが出るらしいけどお前やるか?」って連絡が来てさ。お察しのとおり、それがいまのリンクです。

 

━━ リンク誕生ですね!!

 

高田:契約とか諸々を済ませて、オープンするまでは半年くらい寝る間も惜しんで準備しててさ。出来る範囲の改装工事は自分でやったから、朝6時まで1人でガチャガチャやっててね。キツいってよりは、どんどんお店がきれいになっていくのが嬉しくて仕方なかった。

 

※2019年2月10日 dining bar link リンク OPEN!!

 

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r.goope.jp

 

━━ リンクのコンセプトを教えてください。

 

高田コンセプトは「最後の一杯を飲みに来るお店」。

 

これからは料理も出す予定だから料理を持っている間にちょこっと飲んだり、料理に合ったお酒を「これでどうですか?」ってお勧めしたり、そういうことも出来たらいいなと思ってる。

 

━━ これには気をつけてる!ってことはありますか?

 

高田同級生の溜まり場にしないってことは特に気をつけてるかな。いろんなお客さんに来て欲しいし、新しいお客さんと友達が初めましてで楽しそうに飲んでいる姿を観れたら、俺も嬉しいからね。

 

品のあるお店にしたいとは常々思ってる。あっちに行けば楽しくお酒飲めるよみたいな。

 

━━ めちゃめちゃ素敵です!!僕みたいな一人飲みが好きな人でも入りやすそうなの嬉しいです!

 

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━━ 飲食業界のお話を聞かせて頂いているので、個人的な質問なんですけどコロナの影響はどうでしょうか?

 

高田:正直かなりあるよ。俺も含めてだけど自営業や飲食業の人って、みんなそれぞれ頑張ってるんだよな。それなのにどうしようもないところから大打撃を受けてまたそれに悩んで。やるせないし、そんなことでスタミナを奪われるのはナンセンスだよね。

 

だけど、現状は現状だからコロナに負けずに頑張らないとなって思ってる。この期間もし何も出来ていないのであれば、成長もしていないわけじゃん?

 

こんな状況でもリンクだって、次へ次へと成長していかなきゃいけないから。

 

━━ 僕が話せるようなことではないのですが、本当に厳しくて大変な世の中になりました。経営が困難で閉店しているお店だってよく見かけますし、現状維持すらままならないお店もかなりあると聞いています、、、。

 

高田:親父がいつも言うんだけど「なにをすればいいかわからなくなったときは”目の前のことを一生懸命やれ”」って。

 

俺の目の前にはなにがあるんだろう?って考えたら、それはリンクだった。

 

リンクでなにが出来るのだろう?料理をしてみよう。じゃあ料理の次は?みたいに考えていくとまた次が出てくる。その繰り返しの中で目標が生まれて、気づけば自分が成長してて。

 

「コロナに負けるな」ではないけど、自分の武器を増やしたりお店をより良くしたり、試行錯誤の中でいまは手足を動かし続けてるよ。

 

━━ いまリンクで考えていることはなんでしょうか?

 

高田:やっぱり料理かな!バーの雰囲気にそぐわない面もたしかにあるんだけど、みんなに楽しんでもらいたいから。

 

そのときはオシャレなお皿に盛り付けないといけないから、いま店にある器は全部割らないとね(笑)

 

━━ ガラス踏まないように気をつけてください(笑)

 

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━━ では最後に一言と高田先輩の個人的な目標などあれば教えてください。

 

高田:リンクには若い人もご年配の方も本当にいろんな年代のお客さんが来てくれていて、そんなみなさんが”リンク”(つながる)する場になったら嬉しいなと!

 

個人的にはもともと考えていた「30歳までに何かする」という夢がリンクで叶ったので、その先へいきたい。次は35歳までにまた新しい何かを始められたらいいなと思ってます!

 

***

 

「絆」とか「繋がり」なんていうのは目に見えるものじゃない。

 

けれども。だけれども確かにそこにあって、それらを強く感じ続けていたからこそ、お店の名前は「リンク」になったのかなぁと。

 

人は一人では生きていけない。

 

そんなあたりまえのことを、つい僕は疎かにしてしまいがちなので、自分を支えてくれている人たちへ改めて感謝していきたいなと思った。

 

うん、自分が思ってる以上に気にかけてくれている人がたくさんいるぞ、、、。しっかりしなければ!

 

では、今回このへんで。

 

輝一先輩、今日はありがとうございました!!

 

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Text by 平良賢人 @taiken0422

 

今回取材させてもらった高田輝一先輩のSNSはこちら。

 

輝一先輩 Instagram

 

bar link Instagram  

未来を明るくさせた「柔道」と「勇気」の話。#011 𩜙平名知子

※こちらの記事は2020年9月に書いたものです。

 

「今こそは未来の原因であり、過去の結果である」

 

中学時代、柔道部の恩師がよく話していた。

 

いまを大切にして欲しい。そんな思いの中に「昨日の自分に恥ずかしくない生き方をしよう」だとか「自分を変えたいと思うならそれは今だ」だとか、そんなふうに背中を押してもらえているようで、勇気が出る言葉だと僕は感じている。

 

中学、高校、大学、社会人、またまた大学とそれぞれの場所でまわりの人たちに助けてもらいながら27歳になった僕は、いいかげん勇気を与えられる側に回りたいと思っているのだけれども、それはまだまだ先の話になりそうだ。

 

勇気を与えてくれる人たちの話が聴きたい。彼ら彼女らの人生や見てる世界を知りたくて、小さな頃からずっと尊敬している先輩に連絡をした。

 

画像11

 

「時間は気にしないで大丈夫だよ!お願いしまーす!!」

 

━━ やんわりした雰囲気でオンライン取材に応えてくれたのは、沖縄柔道界初の高校女子インターハイチャンピオンであり、筑波大でも活躍した饒平名知子さん。

 

饒平名知子(ヨヘナトモコ/tomoko yohena)
1992年7月27日 沖縄生まれ 三人姉妹の三女
学歴 西崎中→沖縄尚学高校→筑波大学
職業 教員

主な実績
・2009 インターハイ -48kg級 優勝
・2010 ベルギー国際柔道大会 -48kg級 優勝
・2014 関東学生柔道体重別選手権大会 -48kg級 優勝
・2014 全日本学生柔道体重別選手権大会 -48kg級 3位

 

━━ 柔道を始めたキッカケは?

 

饒平名:いとこがやっていて興味を持ったのと、体は小柄だけど力が強かったから「私も柔道をやってみたいなぁ」と思って。

小学2年生のときに地元の「浦添警察署少年柔道クラブ」に見学に行ったんだけど「体が小さいし細いし、もしケガでもしたら大変だ」という理由ではじめは入門を認めてもらえなかったんだよね。

めげずに何度も見学に通って、やっと入れてもらえた。

━━ 柔道を始めた頃の気持ちって覚えていますか?

饒平名:もちろん!!とにかく楽しかったよ。

練習の中に遊びを取り入れたメニューがあったり道場にいる人がみんな優しかったり、厳しいチーム特有の「練習しないならどっか行けば?」とかそういうのとは無縁で、強くなりたいならどうぞって雰囲気。

 

でもチームの意識も高かったから、すごくいい練習をしていたと思う。

━━ 先輩は途中から道場を「浦添署」から「糸満署(糸満警察署少年柔道クラブ)」に変えたじゃないですか?それはどうして?

 

饒平名:これは小学5年生のときだね。

 

実は小4から柔道と並行して小学校のハンドボールクラブに入っていたんだけど、そしたらだんだん柔道が嫌になっちゃって…。浦添署を退部して、1年間だけ柔道から離れました。

 

━━ え、一度辞めてたんですか?

 

饒平名:ハンドは団体競技だからいつもまわりに仲間がいて、不安なときや上手くいかないときに声をかけあって励まし合えるのが好きでさ。チームスポーツの楽しさを知ってしまったんだよね。

 

だけど欲張りなのか、小5でまた柔道をやりたいなと…。

 

浦添署は退部しちゃったし道場どうしようかと考えていて。ちょうどその頃は糸満署が強くて部員も多くて盛り上がっていたから、じゃあそこにしようかと。

 

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━━ なるほど。僕も糸満署だったんですけど、当時の盛り上がりすごかったですよね。 部員も60名くらいいたんじゃないかな。

 

小5から柔道とハンドとの両立になりましたが、中学から柔道を選んだ理由は?

 

饒平名:小6のときにハンドで全国制覇したのね。この競技で日本一は経験したので、中学では柔道を頑張りたいなって。

 

ハンド部では副キャプテンを務めていたんだけど、誠に勝手ながら誰にも相談せず、練習終わりに監督のところに行って「今日で辞めます」って言った。(笑)

 

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━━ 全国制覇??す、すげえ、、、。

 

でも、相談なしはマジで誠に勝手ですね(笑)

 

饒平名:やばいよね?本当に無責任だったと反省してる(笑)

 

でも、「柔道を頑張りたいなー」と思ったんですよ。

 

━━ 中学での柔道生活はどうでしたか?

 

饒平名:糸満署の人は西崎中に行く流れがあるじゃん?それで私も西崎に決めたんだけど、浦添から糸満まで通うのは簡単ではなくて、毎日バス通学だったのは大変だったなぁ。

 

両親は居酒屋を営んでいて、送迎してもらうのは迷惑になると分かっていながら、たまにわざと寝坊して車で送ってもらったりしてた。

 

あと中1のとき、絞め技が本当に怖すぎて試合で絞められて全然入ってないのに「参った」して一本負けしたこともあるよ。メンタル弱すぎたな。 

 

━━ 中学3年間で、特に思い出に残っていることは?

 

饒平名:九州大会で準優勝したこと。

 

勝戦で志々目愛ちゃんとあたったんだけど、準決勝を絞め技で勝っていたから「コイツは『絞め技』がすごいやつなんだ」と思って、ビビって背負い投げを1回もかけれずに判定負け。

(※志々目愛選手 2017 世界選手権-52kg級 優勝)

 

 

だって、背負いかけたら絞められるじゃん?

 

━━ 僕の記憶が正しければ、先輩試合後にめちゃめちゃ先生に叱られてましたよね。

 

饒平名:そう。超怒鳴られた!!(笑)

 

先生も悔しかったみたいで、「一生忘れられない」って言ってた。

 

━━ とはいえ九州大会準優勝。やっぱり嬉しかったですか?

 

饒平名:当時はまだ沖縄が弱かった時代だから、その中で決勝戦まで上がれたことに満足してた。悔しさはなくて「だって締め技怖かったんだもん」みたいなね。

 

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━━ では、話を高校時代に進めたいと思います。

 

沖縄尚学高校に入学したときから、日本一を目指していたんですか?

 

饒平名:んー、どうだろ。高校入学前の3月から柔道部寮に入って練習を始めたんだけど、さっそく3部練が始まったのね。

 

朝練終わって仮眠して起きたら「は?まだ朝9時?」ってなって、午前練終わって仮眠して起きたら「は?まだ昼2時?」みたいな。1日が長いし体はキツいしで「日本一になるぞ!」どころではなく、とにかく「この環境に慣れなきゃ」って気持ちだった。

 

高校は中学と比べて練習量が桁違いでした……。

 

━━ 今までの柔道はお遊びだったんだなぁって思いますよね。柔道部あるあるだけど「陸上部かな?」ってくらい走らされますし(笑)。

 

饒平名:それだけハードな練習をしながらも高1の間はまったく試合に出れなかったんだよね。その頃は試合に出れるのが、各階級各学校1名って決まっていて。

※現在は各学校2名

 

インターハイには応援で行ったんだけど、選手とは宿舎が違うし、やることと言えば本当に雑用だけ。応援席で試合を見ながら「私はここでなにしてんだ」って腹が立ってきて、そこで火がついた。もう強くなるしかないって気持ちだよね。

 

━━ それから1年後。高2でインターハイ優勝。日本一は狙っていたんですか?

 

饒平名:それがね、そうでもないんだ。ベスト8に入れたらいいなくらいの気持ちだった。

 

インターハイは県で1位になった人しかいないから、弱い人はいないし、結果には拘っていなくて。自分の柔道ができればいいや。ここまでキツい練習をしてきたんだから思いっきりやろう!試合を楽しもう!って。

 

中学でも全国大会に出ていないから、自分が全国でどの位置にいるのかもわからない。だから「自分のレベルが知れたらいいなー」で出場して優勝したのがインターハイだったわけ。

 

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━━ そうだったんだですか?てっきり優勝を狙っていたのだと思っていました。インターハイの話をもう少し詳しく教えてください。

 

饒平名:よく覚えてるんだけど、試合当日って他の階級もあるから試合が被ったり近づいたりすると試合会場で1人になるときあるじゃん?私はその時間がけっこう苦手でいつもなら誰か側にいてほしいと思うんだけど、その日は1人でもリラックス出来たし自然と集中してた。

 

━━ 目標であるベスト8を達成して、準々決勝に臨むわけじゃないですか?どんな心境でしたか?

 

饒平名:スーッと心と体が入っていったから、特に何も考えていなかったかな。勝ち負けじゃなくて「とにかく全力を出そう」「思いっきりやろう」って気持ちだったよ。

 

勝ち負けを意識したら「この集中はついていかない」って感覚もあったから、考えるのではなくて体に任せた。優勝とか先のことは考えず、目の前にだけ集中していたんだと思う。

 

━━ ゾーンかな?準々決勝、準決勝を勝利して、いよいよ決勝戦へ。

 

饒平名:決勝の相手が埼玉栄高校の有名な選手だったのね。

 

インターハイ直前の合宿で何度か埼玉栄と練習試合をしてたんだけど、その度に「この人にあててください」って監督にお願いしてたのよ。もちろんインターハイで勝ちたいなんて気持ちはなくて、純粋に同じ階級の強い人と試合をしてみたくて。

 

誰がどう見たって相手が強いのは一目瞭然だし、案の定ボロボロにされたけど「もう一回やらせて下さい」って、何度も何度もしつこくしがみついた。

 

━━ そんな背景があったんですね。

 

饒平名:だから組み手や寝技が強いってことは知ってたんだよね。それなのに決勝戦は気をつけていたはずの寝技で開始早々に抑え込まれた。

 

けど6秒くらいで逃げて、そこから少しずつ流れがこっちに来てる感触を掴んで、試合時間残り1分「小内巻込」で有効を取って、、、。

 

普通リードしたら「試合時間あと何秒?」って焦るじゃん?それがまったくなくて落ち着いて淡々と試合運びをしてたら、優勝のブザーが鳴った。全然実感なかったけど、自然と涙が出てきて「やっと日本一だぁ〜」って嬉しかったなぁ。

 

━━ その日のこと、僕もすごく覚えてます。僕は実家にいたんですけど、先輩がベスト8に入ったあたりからガラケーでずっと速報を見ていました。

 

ベスト4、決勝進出、優勝と勝ち上がるたびに「母さん!!知子先輩勝った!!」って興奮して台所にいた母親に向かって叫んでいたので(笑)。

 

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━━ 優勝から1年。今度は地元開催のインターハイ。これは2連覇するぞ!って気持ちですよね?

 

饒平名:うん。でも連覇したいとは思っていたんだけど、それ以上に不安がたくさんあって、、、。

 

インターハイで優勝したことは自信になったけど、こんなんで優勝していいのか?って気持ちもあった。だから「マグレなんじゃないか?」と縮こまって、高3の頃は思いっきり柔道ができない毎日を過ごしてた。

 

県予選で負けるんじゃないか?とか、しょっちゅう後ろ向きなことを考えちゃって。まわりからの期待を自分の力に変えられなかったな~。

 

【※テレビで取り上げられた時の記事】

www.qab.co.jp

━━ 2年生の時とは正反対だ…。精神的な苦しさも抱えていたんですね。

 

饒平名:インターハイ、組み合わせを見たら準々決勝で「この人が上がってきたら嫌だな」って思う人がいて「上がってこないといいな。もしあたったら大丈夫かな?」って弱気なことばかり考えていたら、本当にその人が上がって来ちゃってね。

 

一応対策はしてたんだけど、先にポイントをリードされて何も出来ないまま試合が進んだ。最後くらい思いっきりいこうと思って攻めたけど、結局取り返せずに、結果はベスト8。

 

試合が終わったときに感じたのは「2年生でインターハイを優勝してからずっと大きなプレッシャーの中で頑張れたのはいい経験だったけど、もう少し気持ちに余裕を持つことが出来たんじゃないか?」ってことだよね。終わってから気づくんじゃ遅いけど、本当にそう思ったよ。

 

試合後、ある先輩に「大きいプレッシャーの中でよく頑張ったね」って言われたんだけど、安心感というか「わかってくれる人がいた」って嬉しい気持ちになって、あれは泣いたなぁ。

 

━━ 実はその試合近くで見てました。先輩、負けたあと礼をして試合場から出た瞬間に崩れ落ちて、歩けなくなっちゃって……。覚えてますか?

 

饒平名:覚えてるよ。なんなんだろうね。きっと悔しかったんだと思う。うん。プレッシャーも凄かったけど、やるからに勝ちたくて、だけど負けて。

 

━━ インターハイが終わって「悔しさ」と「プレッシャーからの解放」はどっちが大きかったんですか?

 

饒平名:悔しさかな。勝つことで証明したかったこともあるから、それが出来なかったのはやっぱりね。

 

━━ いま高3の自分へ、声をかけられるとすれば何を伝えたい?

 

饒平名:「力を抜いて。気持ちを楽にして。結果だけに囚われなくていいんだよ。自分のやりたいことを伸び伸びしていいんだよ。柔道を楽しんでね」って伝えたい。

 

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━━ 話を大学に進めます。大学時代、思い出深かったことを話してもらえますか?

 

饒平名:筑波大学に進学したんだけど、オリンピック選手や日本代表はもちろん大きな大会で活躍している人がそこら中にいる世界だったのね。普通なら「こんなところで学べるんだ」ってキラキラすると思うんだけど、私はそこで縮こまっちゃって。

 

インターハイ優勝枠で入ったものの「本当に私でよかったのか?」って思いがずっと付きまとって、思いっきり柔道が出来なかった、、、。

 

例えばものすごい努力をして念願のインターハイで優勝出来たのなら、それは大きな自信になると思うんだけど、ベスト8でいいと思っていたインターハイで優勝しちゃったから、こんなんでいいのかな?って気持ちで最初筑波に来てしまってね……。

 

それに筑波大は自主性を重んじる大学だから、高校までの「やらされる練習」ではなくて。そこで自分を追い込めなくて結果も右肩下がりに……。

 

━━ 4年間ズルズルいったんですか?

 

饒平名:3年生の途中まで。まあそんな状態ではあったけど1、2年の時は関東大会を勝ち抜けて全国大会にも出れてたのね。

 

だけど、3年からはついに気持ちがついて来なくなって。心と体が不一致過ぎて、親にも「今年の試合は観にこなくていいよ。たぶん1回戦で負けてインカレも出れないと思うから」って電話で伝えたら、本当にそうなってしまった。

 

その時、大学に行かせてくれて、いつも応援してくれている親のことを考えたら「私はなにをやっているんだろう」って、目が醒めたというか、やっと気がついた。

 

大学生活は残り1年。4年生で結果を出しても遅いんだけど、遅いとかじゃなくてやることに意味があるんだと決めて、心を入れ替えて練習に励んでね、、、。

 

1年後、4年生になって出た関東大会で優勝して、もう1度日本一を目指そうと出場した大学最後の全国大会は準決勝まで上がったけど、そこで負けて3位って結果だった。

 

━━ 高校までの先輩しか知らなかったから、そんなことがあったんだと驚きでいっぱいです。全国大会が終わったあとも試合は続くじゃないですか?どうでしたか?

 

饒平名:全国大会で気持ちがプツンと切れちゃってね。縮こまって苦しんだ4年間だったから、大学最後の1年は自分の殻を破れた手応えもあって満足しちゃったんだよね。講道館杯も控えていたけど、まったく練習に身が入らなかった。

 

講道館杯、1回戦で高校生に負けたのに全然悔しくなくて涙も出なかったから「ああ、終わった」って気持ちになってさ。こんなんで現役を続けても意味がない、自分の柔道人生に終止符を打とうって。

 

悔しさがないってことは「もう自分の柔道人生に満足したのかな」って思えて、素直に現役から離れようと決めました。

 

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━━ ここからはいくつか質問をしたいと思います。尊敬してる選手は?

 

饒平名:福見先輩。

(※ 福見友子選手 ロンドンオリンピック柔道-48kg級 5位)

 

━━ そう言えば、先輩ってロンドンオリンピックで福見選手の付き人でしたよね?ロンドンに行ったときの話を教えて下さい。

 

饒平名:ハリーポッターの9と4分の3番線を見に行ったり、散歩や買い物に出かけたりが多かったかな。二十歳の誕生日を向こうで迎えたんだけど、通っていたジェラート屋さんがサプライズでケーキを用意してくれてたの嬉しかったなぁ。

 

付き人でオリンピックに連れて行ってくれた福見先輩には感謝でいっぱいです。

 

━━ 柔道でいちばんの思い出は?

 

饒平名:減量。高校時代の面白い話聞く?

 

試合前にあと1kg落とさないといけなかったんだけど、サウナに入ってもサラサラで汗が出ない。いくらガムを噛んでも唾液が出ないってことがあったのね。もちろんお腹は空いて、喉はカラカラ。

 

そのとき、お母さんが新聞を読んでいたんだけど、なにを思ったのか、お母さんの二の腕に思いっきり噛みついちゃってさ。肉に見えたのかな?

 

相当強く噛んでるのに、お母さん、全然振り払わなくて…。ハッと我に帰って顔を見たら、ボロボロ涙を流して泣いていて「ごめん、お母さんごめん」って慌てて謝って。

 

次の日、お母さんの二の腕を見たら痛そうに青くなっていて、そんなになるまで強く噛んだのに、気が済むまで噛ませてくれてた……。

 

━━ すみません。まったく笑えないし、もしかして泣かそうとしてます?。

 

饒平名:いまとなれば笑い話だよ!!(笑)

 

━━ いや、本当に泣きそうだからやめて。

 

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━━ 先輩は外国の柔道に興味があると聞いているんですけど、その話もしてもらえますか?

 

饒平名:筑波大学には外国人選手が時期を問わず合宿に来ていたんだけど、見たかぎり練習は日本人の半分しかしてなかったのね。それなのに、国際大会では日本人に勝つこともある。

 

簡単な話、オンとオフの使い方が上手いってことなんだろうけど、それが「なんでだろう?」って気になって。ざっとだけど「オンとオフの切り替え」「小さい頃から指導者が変わらないメリットの働き」「オリンピックになると突然結果を出す分析力」「日本の柔道人口は減る一方で外国は増えている理由」なんかには特に興味があって、直接外国に見に行きたいって思いがある。

 

柔道に対する考え方が日本とはどう違うのだろう?レベルが上がるにつれ、海外選手はどこに力を入れて、趣を置いているのだろう?ってところも気になる。

 

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━━ 柔道から学んだこと、好きな言葉を教えて下さい。

 

饒平名:いちばん学んだのは「感謝の気持ち」かな。ありふれた言葉だけどここまでの過程をたどれば、やっぱり「感謝」だと思う。支えてくれた人たちがいたから頑張ってこれた訳で、決して自分ひとりの柔道ではなかったから。

 

好きな言葉は「勇気」。中学の先生がよく話してた「どんなに怖くても立ち向かっていくこと」は私に必要だし、大切なことだから。

 

━━ 先輩にとって「柔道」とはなんでしょうか?

 

饒平名:私の未来を明るくさせたもの。です。

 

━━ これからどんな人間になりたい?

 

饒平名:現役のときは柔道で勇気を与えられる人になりたいと思っていたのだけど、引退した今の私は何で勇気を与えることができるのか?考えているところなんだよね。

 

いまの私は学ぶことを惜しまないかな?学び続ける人でありたい。

 

━━ いま1番やりたいことは?

饒平名:とにかく旅行。いろんな国に行っていろんな人に触れ合って、沢山の体験したい。百聞は一見にしかずということわざもあるように、自分の目でいろんなことを確かめたい!!!!世界は広いからね!!

 

━━ では、最後に柔道をしているみんなへ一言お願いします。

 

饒平名:とにかく楽しんでやってほしいなと思う。私は柔道を通していろんな人に支えられてここまで来れたし、一緒に頑張る仲間たちに出会えたことも素敵なことだと思っています。

 

勝負の世界だから苦しいことはいくつもあるけど、いつか自分自身を大きく成長させてくれて、柔道をやっていて良かったなと思ってくれたら嬉しい。

 

何度も言うようだけど、柔道を頑張って来たからいろんな仲間に出会うことが出来たし、海外にも友達が出来た。それが今1番自分の財産かなと思っています。

 

「忘れるな!感謝の気持ち!!」これだけは絶対。

 

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取材を終えてから「勇気」とは何なのか、ひとりで考えてみた。

 

僕が思うに「勇気」とは目の前の自分にちゃんと向き合うことなのではないだろうか?

 

誰かのために。自分のために。そっと気持ちを震わせて、前へ飛び出してみる。そうして振り絞った勇気が、まわりに伝染して、ジワジワと広がり、次へ次へと連鎖していくのだと思う。

 

そして、1度ついた火種は簡単には消えない。

 

苦しいことや辛いことを微塵も感じさせず、自然体でいる饒平名先輩の話を聴いて、ほんの少しでも先輩のような「まわりに勇気を与えられる人」になれたらいいなと思った。

 

よーし、頑張るぞー!!

Text by 平良賢人 (@taiken0422