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平良の柔道ブログでは、僕が気になっている柔道家やその関係者をインタビュー形式で紹介で紹介します。

痛みは強さに昇華する。自分で決めた柔道との向き合い方#014 迎里卓

2ヶ月ぶりの更新はこの人。迎里卓さんと話しました。

 

もともとこのブログはコロナ禍で行動が制限されていた時に「沖縄柔道界のために自分が出来ることは何か?」と考えたのがスタートしたきっかけなのだけど、今回はそんな初心に帰って「沖縄にはこんな柔道家がいるよ」と伝えられたら嬉しいです。

 

前半は迎里さんの高校、大学時代。

後半は松山東雲女子大学柔道部で監督を務めていた時のことと、今の心境です。

 

 

迎里卓(ムカエザト スグル / suguru mukaezato)

1992年7月20日 沖縄生まれ

経歴 白保中学校→那覇西高校日本体育大学松山東雲女子大学監督→高校教員

 

***

 

━━ 先輩とは同じ沖縄県出身の同郷なのですが、初めて話したのは大学生になってからでした。高校時代は同じ沖縄県勢であったものの、僕の母校である沖縄尚学高校と先輩がいた那覇西高校はガチガチのライバル関係で、あまり仲良くするって間柄ではなかったですよね。

 

迎里:そうだね。お互い別に嫌いではないし、なんなら気のいい奴らだと知っていたのに、なかなか関わる機会がなかった。

 

━━ 当時、毎年GWは合同練習が恒例だったじゃないですか?確か午前中に練習試合をするんですけど、高校に入学したばかりでイキってた僕は、先輩と試合をして脳天から畳に突き刺さるくらい豪快な大腰で投げられました(笑)。

 

迎里:懐かしいね(笑)。

 

━━ 先輩って沖縄尚学からも声かかってたと思うんですけど、那覇西高校に進学を決めた理由はなんだったんですか?

 

迎里:えっとね、那覇西高校柔道部監督の横田三四郎先生が「父親のつもりで面倒を見るからぜひ来てほしい。沖縄インターハイを一緒に戦おう」って物凄く熱く話してくれて、俺は中学生ながらにこの人の言葉は本物だなと感じたのが一番のきっかけかな。

 

あと生活の全てを柔道に捧げるというよりは、県立高校で普通にやりたいってマインドも正直あって。まあ入学したら全然普通じゃなかったんだけど、、、。

 

柔道の厳しさや上下関係は全部高校で学びました(笑)。

 

 

━━ 高校時代で印象に残っているエピソードってありますか?

 

迎里:1個上の先輩たちと出た団体戦全部かな。毎回沖尚と決勝戦をしてたんだけど、新人戦もインターハイ予選も俺が取られて、そのせいでチームを負けさせてしまったから。

 

当時の団体戦はお互いに勝ったり負けたりの接戦だったじゃん?結果論だけど、俺が負けてなければチームが勝てた状況だったから罪悪感と申し訳なさがいっぱいで、、、。

 

━━ いつも団体戦は1点差か内容差でしたね。

 

インターハイ予選は僕も団体メンバーだったので、すごい近くで試合見てたんですけど、チームの勝敗が決まったあと先輩が歩けなくなっていた姿を覚えています。

 

迎里:そうそう。それで先輩たち、誰も俺のことを責めないわけよ。なんなら励ましてくれてね。すごく優しかった。うん。なんかみんなで励まそうとしてくれているのがすごく伝わってきて、、、。

 

━━ いい話ですね。

 

迎里:インターハイ予選が終わってから、俺しばらく落ち込んじゃったんだけど、そしたら先輩たちが遊びに連れ出してくれてさ。

 

━━ うんうん。

 

迎里:癒しを求めてペットショップに行ったら、そこで俺がぶち投げられてる新聞が再利用されてて、またメンタルえぐられた(笑)。

 

━━ 傷口に塩塗られた!!(笑)。

 

迎里:すごく悔しくて苦しかったけど、先輩たちの優しさで「また頑張ろう、頑張らなくちゃいけない」って思えた出来事だったよ。

 

***

 

迎里:あと俺、石垣島出身だから那覇西高校に進学するには沖縄本島で一人暮らしをしないといけなくて、入学してからその生活に慣れるまでが本当に大変だった。

 

それまでは親があたりまえにしてくれていた掃除、洗濯、炊事なんかを全部自分でして、柔道の練習はついていくのに精一杯で、疲れてボロボロになって、家に帰っても話す人がいない。

 

━━ うわぁ、、、きついですね。15歳でこれはしんどいな。

 

迎里:親戚のおばさんが沖縄の田舎の方に住んでいたから、週末は世話をやきに来てくれていたんだけど、やっぱりきつかったね。高校では柔道も人間力もかなり鍛えられたと思う。

 

━━ 親元を離れるにしても寮じゃなくて、一人暮らしっていうのがね。

 

高校卒業後の進路は日本体育大学に進学されていますが、この経緯は?

 

迎里:三四郎先生に「お前は絶対に東京の名門でやった方がいい」って話をしてもらって、九州にある大学に行くかも迷ったけど、最終的に日体に決めたって感じかな。もう腹括ってやるしかないと思って、高校のうちに両肩の手術をして大学に備えた。

 

 

━━ 入学してからはどうでしたか?

 

迎里:大学の道場に行ったら、志々目徹さんとか木戸慎二さんとかテレビで見てた人たちがいて「うわ、すげえな」って思ったね。

 

俺は2軍スタートだったんだけど、とにかくワクワクしてて、柔道がすごく楽しかった。強い選手、名のある選手、日の丸背負ってる選手と練習してもけっこう戦えるじゃん?そういうのが面白くてさ。最初は1軍に上がることを目標にやってた。

 

━━ いつ1軍に上がったんですか?

 

迎里:大学1年の冬だったと思う。エリート街頭歩んでる選手からしたら全然遅いんだけど、俺みたいに少しずつ実力をつけて上がっていく下剋上タイプの中では順調な方だったかな。

 

あの時はハングリー精神マックスだったから、毎日が充実してたよ。

 

━━ 大学で東京に出てくる人たちって、みんなここで成り上がるぞって目ギラギラしてますもんね。

 

そういえば、先輩って日体の番付みたいなので1位になってましたよね。

 

迎里:なったなった。俺以外のランキング1位はみんな有名選手なのに、そこに並ぶ迎里卓って誰だよみたいな(笑)。

 

試合ではなかなか結果を出せなかったけど、大学柔道が一番楽しかったと思うな。

 

━━ 本当にすごいと思います。ああ、この人は奮闘してたんだなって感じました。

 

 

***

 

━━ 先輩ってコマツ(※)にも行ってたんですよね?

 

※女子柔道の強豪実業団チーム

 

迎里:うん、練習相手として行ってたよ。国内主要大会やグランドスラム、世界選手権にも付き人として同行させてもらって、そこでの経験は自分の柔道人生の大きな糧になってるね。

 

あの人たちの意識の高さは本当にすごくて、めちゃくちゃ刺激もらってたよ。

 

━━ どんな感じなのか、もうちょっと具体的に聞いていいですか?

 

迎里:監督のきめ細かい指導がまずあって、選手たちは泣くくらいバチバチに練習して、質も量もこなして、でもそれは義務ではなく柔道が強くなりたいからで、居残り練習とか研究もすごくしてた。

 

人柄も素敵な人が多くて、俺コマツの選手みんな好きだったな。

 

なんかね、俺の柔道の指導はコマツでの経験が軸になってる。技術もだし、言葉もだし、試合展開とか組み立てとか。

 

━━ 柔道IQが高まっていくのを感じます。僕も柔道の指導をするときは大学の恩師である金野先生の影響をすごく受けてるなって自覚しているので。

 

大学は行ってよかったですか?

 

迎里:よかった。ありふれた言葉だけど、いろんな経験ができたことは本当に大きかった。

 

***

 

 

━━ では、今回のメインテーマである松山東雲大学の話をしましょう。

 

迎里:大学4年の12月だったかな。もう柔道部は引退してのんびり寮で寝ていたら、監督にとつぜん呼び出されて「愛媛に松山東雲大学っていうのがあるんだけど、女子柔道部の監督としてお前のこと欲しがってるからさ。お前、卒業したら愛媛な」って言われて。

 

━━ は?(笑)。

 

なんて返事したんですか?

 

迎里:「愛媛ですか?あー、はい分かりました」って返事をしたかな。でも愛媛と日体は柔道の繋がりがあって、大学の先輩たちも愛媛で就職してる人いたから、嫌なイメージはなかったよ。

 

監督からは「松山東雲は前の監督さんがお辞めになってからも柔道部はあって、基板は出来てるし、なにより監督として話をいただいているから、お前のやりたいように出来る。こんないい話ないよ」って背中を押されて。

 

━━ 確かに、大学の監督はいい話過ぎます。

 

迎里:そうだよね。詳しいことはまたあとで話すけど、本当は家の事情で大学卒業後は沖縄に帰らないといけなくて、でもせっかくもらったチャンスにに飛び込んでみたい気持ちもあったから家族と相談してね。

 

山東雲に行くと返事をしたその次の日には、愛媛から大学事務局の方々が東京に来てくださって、柔道部発足から現在の状況まで説明してもらって。

 

━━ おお、、、。卒業したら、お前愛媛になってる、、、。

 

なんの話をしたんですか?

 

迎里:当時の大学女子柔道界は強いチームが関東に集中していたから、これは狙い目なので?と睨んだ松山東雲が大学をあげて柔道部を創部したものの、同じタイミングで同地方にある環太平洋大学の柔道部強化が始まったり、前監督が辞めてから約2年正式な指導者が不在だったり、でも大学が期待して作った柔道部だからなんとか強化したいという話をされた。

 

━━ なるほど。

 

迎里:まあ自分のチームを作っていくのは面白そうだし、松山東雲も「柔道部は強化クラブだから強くしてほしい」って話をしてくれたから楽しそうだなと思って。やるからには本気で全国上位を目指そうと引き受けることにした。

 

だけどさ、日本体育大学を卒業していざ松山東雲に行くと、想像してた柔道部のイメージよりも現状がかなり酷かったんだよね。

 

━━ どんな状態だったんですか?

 

迎里:まず部員のモチベーションがかなり低くて、練習も乱取り3分×5本とか。俺が監督になって初めての練習も2人くらい平気で遅刻してきたし。

 

━━ 練習メニュー、衝撃ですね。小学生じゃん。

 

迎里:ここの学生も高校時代はインターハイに出てるレベルの子たちだから、決して弱くはないんだけど、意識のレベルがね。ぶっちゃけ最初の1年は柔道どころじゃなかったよ。学生の意識を変えるところから始めたから。

 

練習内容も日に日に変えていったんだけど、そしたらある学生に「松山東雲はそんなところじゃないんです!!こんなガッツリやるチームじゃなくて、、、違うんです、、、」って泣きながら言われたこともあったなぁ。

 

━━ あらま。

 

迎里:俺だって「君たちスポーツ推薦で大学に来たんでしょ?特待生なんだからちゃんとしろよ」みたいなことはなるべく言いたくないじゃん?でもこっちの考えがまったく伝わってないのが分かったから、理解してもらおうと思って、もうはっきり言った。

 

「申し訳ないけど、そういうところじゃないっていうのは誰が決めたの?大学は柔道部を強化クラブとして、君たちを特待生で招いているわけ。で、俺は監督としてこの大学を強化するために呼ばれてるから、こんなところじゃないって決めるのは俺であって、あなた方が決めることではないよね?」

 

って。

 

━━ おお、何が何でもその場にいたくないことだけは分かる、、、。

 

監督不在の2年間でその状態が出来上がったと思うと、まあ学生も可哀想な気がするけど、一番大変なのは先輩ですよね。ちなみに大きく変えると書いて大変と読みます。

 

迎里:一生懸命頑張る人が浮くみたいな雰囲気もあったから、まずはそういう風潮を全部なくしたくて。

 

やっぱりきれいごとだけじゃやっていけないこともあるからさ。胸がチクっとするようなことは数えきれないほどあったけど、俺に求められているのは強化だったから、そこはブレずにできた。

 

 

━━ チームの目標はどうしてたんですか?

 

迎里:中四国の地方大会で団体戦はずっと最下位が続いていたから、環太平洋大学以外には勝って2位にはなろう、全国大会ではまず1勝しようっていうのは常に話してた。もちろん俺の中のプランでは環太平洋も食えない相手ではないと思ってたよ。

 

━━ 結果は?

 

迎里:1年目は最下位で、2年目は6チーム中の4位。

 

━━ 2年目はちょっと上がってますね。

 

迎里:1年目にスカウトして、2年目に入学してきた子たちは大学の練習が終わったあと、そのまま県内の高校まで練習に行くような努力家でさ。すごく素直だし、その子たちのおかげでまわりも少しずつ変わっていった。

 

恥ずかしい話、俺がスカウトに行っても高校の先生方からは適当にあしらわれたり、無視されたりっていうのがしょっちゅうで、特待生は5枠あるのに、3人しか選手を集められなかったんだよね。

 

でも、この出会いが大きな分岐点だったと思う。確実に流れは変わったから。まだ何の実績もないチームだけど、こうして一生懸命頑張る子たちが入部してくれるのは本当に有り難かった。

 

━━ 頑張りに成果が見えてきて嬉しいです。

 

迎里:3年目の団体戦中四国で3位になって、個人でも一人皇后杯に出たんだよ。

 

━━ 皇后杯って女子の全日本ですよね?すごくない?

 

迎里:でっかいでっかい建物でさ。入場の時に一人ずつ名前呼ばれるんだけど、名前の後に松山東雲大学ってアナウンスされたのは嬉しかったなぁ。あんな舞台に立たせてもらって、本当にいい経験だった。

 

 

━━ 着実に成長してるんですね。

 

迎里:そうだね。学生の意識も高くなってきてたから、もう俺がいなくても自分達でガンガン練習するようになってたし。

 

3、4年目は進学希望者も枠から余るくらいいたし、個人戦で環太平洋大の選手に勝つ学生も出てきていたから。

 

━━ 本当にすごいじゃん。僕、先輩のこと舐めてました。

 

迎里:女子って信頼してくれたら本当に着いてきてくれるから、そこは男子との違いなんだろうけど、俺みたいな人間の話でもちゃんと聞いてくれて。

 

4年目の団体戦中四国で2位になって、全国大会は初戦で桐蔭横浜大に2−2の内容負け。

 

負けはしたけど、関東の強豪とも戦えるレベルには成長してて、うちに学生を送ってくれた高校の先生たちにも「強くしてくれてありがとう」って言ってもらえて嬉しかったな。

 

━━ うんうん。

 

迎里:もう、ここまでやればこれだけ強くなるっていうのは分かるじゃん?

 

本当の意味で基盤は出来たから、これからはどう戦っていくか次のフェーズだよね。

 

スカウトの軌道、部員の高い意識、流れが出来たから、あとはうまく回っていくんだろなって思った。

 

 

そしてその年に俺は監督を辞めた。

 

 

***

 

迎里:夏に母親が脳梗塞で倒れちゃって。

 

正確には俺の大叔母にあたる人なんだけど、高校生の時に養子縁組してて、戸籍上の母はその大叔母になっててさ。あの高校時代に世話焼きに来てくれたおばさんね。産んでくれた母親もちゃんといるよ。

 

高校で一人暮らししてる時も、大学生の時もすごく支えてもらった人で、この人がいなかったら俺は柔道を続けてこれなかったような恩人だから、本当は大学を卒業したらすぐ沖縄に帰るって約束してて。

 

おばさん、ハンセン病患者だから施設に入ってて、医療と介護はそこで足りてるんだけど、なるべく近くに居てあげなきゃって。

 

━━ そうだったんですね。ここまで作り上げてきた柔道部を手放すのは、本当に厳しい選択をしたのではないかと思います。

 

迎里:まわりの人たちには「愛媛に骨を埋める気持ちで頑張りなさい」と言ってもらっていたんだけど、心の中ではいつか帰らなくちゃって思いはずっとあってさ。

 

でも柔道部の学生たちは大切だし、この仕事もやりがいがあるし、ずっとどうしようって先伸ばしにしてた現実がいきなり目の前に表れたって感じだった。

 

自分の心に余裕がなくて、今までなら練習の雰囲気が良くない時もなんとか学生を奮い立たせようと試行錯誤してたけど、そいうのもなんだかバカバカしく思えてきて「あ、そんな練習するなら俺見ないよ」って練習に行かない日が増えてね。

 

━━ 限界過ぎる。心に余裕がないとかそういう段階を軽く超えてますよ、、、。バカバカしいから練習に行かないって、そんなタイプじゃないでしょ。

 

ちょっと笑えない精神状態、、、。

 

迎里:いつも応援してくれていた同僚の先輩に「最近どうしたの?あんな熱心に練習行ってたのに」って声をかけられて、もう気持ちも限界だったから「実は、、、」って話を全部聞いてもらって。

 

そしたらその先輩が裏で手回ししてくれて、トントン拍子に退職する方向に進んでいった、俺も変なマインドだったから、もう早く沖縄に帰りたいってなっちゃってさ。

 

━━ そういう時って、もうそれしか考えられなくなりますよね。

 

迎里:大学の理事長がすごい引き留めてくれて「柔道部、こんなによくなってるじゃないか?よし、わかった。とりあえず1年は介護に戻って、籍はこっちに置いておきなさい」って言ってくれたんだけど、中途半端なことはしたくなかったから、自分の中ではやるかやらないかでしか選択できなかった。

 

揉めたりもしたけど、結果的に退職することが決まって、日体の監督や学生を送ってくれた高校の先生方全員に「すみません」って挨拶まわりに行ったよ。

 

勿体無いって声をかけてくれる人がたくさんいたんだけど、もう抜け殻だったなぁ。

 

━━ (トゥクン!!理事長いい人、、、!!)

 

 

迎里:今当時を振り返ると、やっぱり普通の精神状態ではなかったと思う。酒の量とかもすごく増えて生活も狂い始めてから。

 

━━ 今の落ち着いた状態でもう一度選択出来るなら、どっちを選んでますか?

 

迎里:それでも沖縄に帰ってたかな。

 

ずっとそれらしい理由を話してるけど、毎日毎日24時間柔道部のことを考えて、週末はスカウトに出かけて、その日勝負みたいな日々を一生懸命生きてきて、4年間走り続けて「もう限界だよ」っていうのは常に頭の片隅はあったから。

 

この生活を続けて行く未来は見えなかった。

 

━━ 地獄みたいな日々で学生の存在に元気づけられたり、使命感を感じたり、なんていうか命の前借りをしているような生活ですね。

 

はっきり言いますけど、先輩のその状態って鬱ど真ん中じゃないですか、、、。

 

迎里:夜中にいきなり鼻血が出たり、血尿出たりはしょっちゅうだったね。

 

━━ それ聞いたら先輩が沖縄に帰ってきてよかったと思いますよ。

 

柔道部の学生にはいつ伝えたんですか?

 

迎里:退職は12月だったんだけど、それが決まったのが10月だからそのへんかな。

 

みんな号泣してて、膝からガクンってなってる子もいて、部員への罪悪感、申し訳なさ、俺はこの子たちを裏切った。もう柔道界には2度と携われないって思った。

 

***

 

 

迎里:沖縄に帰ってきてからは柔道に距離を置いてのんびりしてたんだけど、県内にいる日体大柔道部OBの先生から「とりあえず履歴書を教育庁に出せ」って電話がかかって来てさ。

 

本当は嫌だったけど、まあ軽い気持ちで出したら、年度末の2ヶ月間限定で高校教員として学校現場で働くことになっちゃって。

 

でも、そこで出会ったのが具志堅博也先生(沖縄県高体連柔道専門部委員長)だったんよ。

 

━━ うわ、ここで具志堅先生出てくるんだ!!すっげぇー!!

 

迎里:これさ、もうなんか神様が俺と柔道をつなげようとしてるのかなって。赴任した学校に柔道部があって、部員がすごくお利口で、何より沖縄にこんな素敵な柔道の先生がいるんだって具志堅先生を見て感銘を受けて、、、。

 

都合いいけど、こういう教育の現場っていいなってすごく元気をもらった。

 

━━ 僕も具志堅先生のことすごく尊敬してます!!

 

迎里:具志堅先生に4月からは別の会社で働きますって話をしたら「僕は迎里先生は沖縄の教育現場にも、柔道界にも絶対必要な人材だと思う。迷惑でなければこのまま教員を続けてほしい」って言ってくれて、それがきっかけで俺の教員生活は始まったんだよね。

 

なんか巡り合わせ?出会うべきタイミングで出会うべく人と出会ってみたいな。

 

━━ 糸かな?

 

迎里:いや本当にそうだなって。巡り合わせで、俺は生かされてるなって。

 

━━ よかったじゃないですか。心はちょっとくらい軽くなりましたか?

 

迎里:それは変わらなかったかな。松山東雲の学生たちへの罪の意識は簡単には消えないよ。

 

だから「もうこれしかなかった。俺の選択は間違いじゃなかったんだ。家族のためなんだ、柔道より大事なものがあるんだ」って自分を正当化するしかなかったから。

 

━━ 結果的に自分を苦しめる選択でも、それはその時の自分が悩んで悩んで辿り着いたベストじゃないですか。だから時間が経って、あの時ちょっとあれだったなって思う一方で、その時の決断は肯定してあげたいって僕は思います。

 

迎里:うん、否定したくないよね。

 

おばさん、脳梗塞で倒れたから最初は大変だったんだけど、少しずつ良くなってきたよ。今はかなり元気になった

 

━━ ええ、、、それはよかった、、、!!

 

迎里:俺は愛媛での後悔とか罪の気持ちをたぶん一生払拭できないから、死ぬまで背負う覚悟でいる。そんな気持ちを抱えたまま一生懸命柔道と向き合っていきたい。

 

━━ 今の松山東雲大学柔道部ってどうなってるんですか?

 

迎里:昨年かな?柔道部の強化は終わるって決まったみたい。

 

━━ そっか、なんか罪滅ぼしじゃないけど、もっと前向きな気持ちで進んで行けたらいいですね。

 

迎里:そうだよね。なんかそこも分かんなくなっちゃっててさ。本当はもっと発信とかアクティブな感じで柔道と携わっていきたいんだけど、愛媛でのことがブレーキをかけてて、、、。

 

正直、この記事を出すことや今自分が柔道に携わっていることを松山東雲の学生がどう思うか考えると、不安だとか怖さだとかもある、、、。

 

━━ 分からないですけど、そこを気にして何もしないのだけは違うと思います。

 

あと、どうしたって自分の人生は自分でなんとかしないといけません。松山東雲の学生さんたちだって、先輩がいなくなった後も自分たちで頑張ったはずです。そういうチームを作ってきたのはあなたじゃないですか。

 

きっと大丈夫!!なんでもいいから、もっと矢面に立て、迎里卓!!って僕は思いますよ。

 

迎里:なんだろう、許しが必要なのかな。どこかで許しをこう自分がいるかもしれない。

 

あの時の学生たちが「私たちいま幸せだよ。先生も頑張ってよ」って思ってくれていたらいいなぁ。

 

 

***

 

━━ では最後に今後の目標を教えてください。

 

迎里:やっぱり沖縄の柔道発展に貢献したいな。人口を増やすもの、競技力向上も、今よりもっともっと盛り上げていきたい。

 

そのためには自分のスキルアップはもちろん、同世代の人たちを巻き込んでさ。みんなで楽しくわちゃわちゃしながら、いろんな人が気軽に携われる組織を作れたらいいなって思う。

 

━━ 先輩が求心力になるのなら、それはきっと実現出来ると思います。

 

大変なことはいっぱいあるけど、一人で頑張り過ぎず、みんなで頑張っていきましょう。

 

今日はありがとうございました。

 

***

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422

 

今回取材させてもらった迎里卓さんのSNSはこちら。

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真心を込めて考える競技だけじゃない柔道の価値。#013 佐々木千鶴

こんにちは。ダイエット柔道家の平良です。二兎追うものは一兎も得ずだけど、二兎追わなきゃいけない時があるなって思います。

 

さて、全国各地でインターハイや全日本実業個人など、青春全開で高校生や社会人アスリートが輝いた8月が終わりを迎えようとしています。それぞれの夢に向かって、一生懸命戦う選手たちを見ていると、勝ち負けに関わらず「ああ、スポーツっていいな」と心が動かされてばかりいる今日この頃。

 

今回の柔道ブログは、試合などの「競技性」より、その少し先にある「柔道の価値」や「柔道を通して学んだこと」に重きを置いて、佐々木千鶴さん(筑波大学筑波大学大学院→全日本柔道連盟ニューカレドニア中学校日本語アシスタント)に話を聴きました。

 

「大切なのは、どう在るべきかよりどう在りたいか。いつも自分らしく生きたい」と話す彼女の熱をぜひ感じてください。

 

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佐々木 千鶴(chizuru sasaki)
1994年 10月10日 岩手県出身
花巻北高校→筑波大学筑波大学大学院→全日本柔道連盟ニューカレドニア中学校日本語アシスタント)

主な実績
2011 インターハイ岩手県予選優勝

2011 全国高等学校柔道選手権大会岩手県予選優勝

2022 全日本実業個人柔道選手権大会出場

 

━━ 佐々木さんは筑波大学に進学されていますが、推薦ではなく一般入試で受験して、合格されているんですね。

 

大学の志望動機を教えてください。

 

佐々木:私、高2の冬に前十字靭帯を断裂しちゃって、高校の柔道生活を消化不良で終えてしまったんです。だから大学では思う存分柔道がしたかったので、柔道が強くて、学問としても柔道を深められるところを基準に筑波を志望しました。

 

━━ 実際に入ってからはどうでしたか?

 

佐々木:実は絶対ここで日本一になるぞ!4年間頑張るぞ!と気合を入れて来たものの、筑波にどんな選手がいるか知らなかったんです。それで、まわりを見渡せば日本一、世界一の選手が普通にいて凄く怖かったです。

 

あと中学高校は岩手の田舎で柔道部員が少なくて、練習はトレーニング中心。乱取りもやって2分の5本とかだったので、初めての練習で増地先生が「じゃあ乱取り6分の10本」って言ったときは、まさか本当のことだとは思わなかったです(笑)。

 

━━ 環境と練習量の変化がえげつないです。乱取りの時間とか6倍になってますし(笑)。

 

生活環境が一気に変わる中で大変だったことも多いと思うんですけど、まわりにはレベルの高い選手たちがいて、改めて「私はここで頑張るんだ!」と強豪チームに入れた喜びみたいなものはありましたか?

 

佐々木:正直に言うと、すごく現実を見知らされた思いでした。私は岩手にいたから全国大会に出れたけど、ここに来たらジュニアも一回戦で負けるし、校内予選でも負ける。そもそもあまり試合に出れなくて、部員の中でも一番弱かったので「日本一になりたい」なんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど言えなくて、、、。

 

でも柔道はずっと大好きで、、、。

 

━━ 僕の主観ですが、筑波は天才集団というイメージがあります。それに関東には山梨学院大淑徳大学桐蔭横浜大がいて、地区のレベルも高い。

 

ちょっといじわるになってしまうのですが、日本一を目指して大学にやってきて、理想と現実とのギャップ、自分への劣等感を感じる中でも、日本一という目標は胸の中に抱き続けていたのでしょうか?

 

佐々木:それはもう大学に入ってすぐに、正直無理だろうなって気持ちに変わっていました。

 

試合で全然勝てなくて、でも強くなりたいと思って練習はしてて。どうなんだろう?強くなりたいってことは諦めてなかったってことなのかな?

 

でも具体的に自分が日本一になるイメージは持てませんでした。

 

━━ 僕も学生時代に日本一を目指して柔道をしていましたが、これっぽっちも結果を出せませんでした。

 

結果にこだわる競技の世界は厳しいけれど、やりがいも絶対にあると思います。もちろんその一方で自信をなくすことだってありますが、、、。

 

佐々木:私、大学でも怪我が多くて、また前十字断裂しちゃったんです。リハビリも多かったので、その分トレーニングもしてて、スクワットのマックスは100キロを超えてました。

 

ラントレも女子の中では1、2番に速かったけど、それでも柔道で強くなれなくて、、、うん、やっぱり悔しかったです。

 

━━ 悔しいですね。自分の可能性に賭けてここまできたけど、いつまでも可能性という言葉にすがりついている訳にはいかないですし。

 

佐々木:そうですね。だから少しずつ自分なりに柔道を楽しもうというか、競技は上手くいかないんですけど、やっぱり柔道が好きなので。

 

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━━ 佐々木さんは柔道のどういうところに楽しみを見出していたんですか?

 

佐々木:私は中学生の頃から英語を話すのが好きなんですけど、筑波には毎日のように外国人選手が合宿に来ていて、大学時代は怪我が多くて打ち込みパートナーがいない時期も多かったので、よく打ち込み相手がいない海外の選手に声をかけて、一緒に練習していたんです。

 

その時に「ねえねえ、1、2、3ってあなたの国の言葉でなんて数えるの?」って聞いてみたり、合宿に一人で来る選手には不慣れな土地で寂しいだろうなと思って「一緒にランチ行かない?」って声をかけてみたり、そうやっていろんな国の柔道家と話をするのが楽しくて。

 

柔道部で外国人受け入れ担当もしていて、柔道を通して海外に友達ができるのは、これは面白いなと、国際的なことへの関心も高まりました。

 

━━ 海外の選手と友達になれるの凄く羨ましいです。あと実際の稽古やボディランゲージでのコミュニケーションも楽しいですけど、ちゃんと言語で話せるのがめちゃめちゃいいですよね。

 

佐々木:ブルー柔道衣を洗濯したら緑色になっちゃったと泣きべそをかいていた選手と一緒に脱色方法を調べたり、練習中に怪我をして凄く痛がっていた選手を病院に連れて行ったらただの打撲だったり(笑)。

 

━━ 痛みに敏感すぎる(笑)。

 

佐々木:当時筑波に来ていた外国人選手が今ではナショナルに上がっていたり、コーチになっていたり、学生時代にお互い助け合ったというか、いろんな時期を乗り越えた選手とまた会えるとすごく嬉しいですよね。ああ、柔道いいなって思います。柔道があったから出会えたんだなって。

 

仲良くなった選手たちとは今でも連絡を取り合っていて、たまに人生相談とかしてますよ。

 

━━ 柔道は競技だけじゃないですね。

 

佐々木:私も最初は強くなりたいって勝ち負けの柔道しか見えてなくて、大学に入ってからもメインは競技でしたけど、国際的なものとか、人と繋がるきっかけになるとか、知らなかったことを知るツールになると学びました。

 

━━ うんうん、僕は恥ずかしながら「柔道は競技だけじゃない」と気付いたのは最近で、今になってやっと嘉納治五郎先生の教えって面白いなと思いました。

 

佐々木:ただ、もしかするとなんですけど、今の日本の柔道って、競技面ばかりが重要視されてて、、。

 

━━ ああ、だと思います。

 

佐々木:話が前後しちゃうんですけど、海外で経済的にあまり状況が整っていないだとか、社会的に差別があるだとか、そういうところに行けば行くほど、現地の人たちは柔道の価値やスポーツの価値を信じているんです。

 

私は筑波大で、日本で、柔道に打ち込んでいたので、なんだかすごく過信というか、驕りみたいなものがありました。指導のために海外に行ったときも「柔道って知ってる?」みたいな気持ちでいて、まさに「教える」って感覚だったんですけど、そうじゃなくて、私は彼らに柔道を教えてもらいました。

 

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***

 

━━ 佐々木さんは筑波大学の大学院にも行かれているんですね。

 

院ではどのようなことを学んだのでしょうか?

 

佐々木:基本的に柔道部から院に進んだ人は柔道研究室に行くんでんすけど、私は興味のあったスポーツ開発学を学ぶことにしました。

 

タイミング的にちょうどリオオリンピックが開催された頃で、女子の−57kg級で優勝したブラジル代表のラファエラ・シルバ選手のインタビューを見たことが、興味を持った一番のきっかけです。彼女は「柔道が私の人生を変えた。貧しいところに生まれたけれど、柔道をしたから目標が出来た。柔道を通していろんなことを学んだ」と話していたんです。

 

個人的にもシルバ選手のことを調べてみたら、本当にファベーラというブラジルの貧困街出身だということが分かって、それで彼女の姿を見て、今ファベーラにいる子どもたちも「私もシルバみたいになりたい」と目を輝かせながら話していて、ああ柔道すごいな、こんな力があるんだなって感動して、、、。

 

━━ うんうん。

 

佐々木:それまでは競技としてしか見てこなかった柔道だけど、柔道を今度は手段として、人を繋げたり、困っている人を助けたり、そういう勉強がしたいなって。

 

あと日本もですけど、世界のいろんなところに目を向けると、貧困や男女格差など、いろんな社会課題があって、そんなところで今までやってきた自分の強みでもある柔道を生かして、誰かのために、何かできないかなと。私も競技だけじゃない柔道の価値を信じてみたいなと思いました。

 

ちょうどシルバ選手の例があったので、ブラジルにソーシャルプロジェクトという活動があることを知って、そのプロジェクトはスポーツを通じて貧困地域に安全な場所を作ったり、無料で子どもたちに食事の提供をしたりって内容なんですけど、そういったことを学べるのがスポーツ国際開発学だったという感じです。

 

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━━ 日本とブラジルではもちろん地域にもよりますが、柔道の価値という視点がかなり違うと思いました。それにファベーラは、別の言い方をすれば「スラム街」ですよね。治安や衛生状態がかなり悪くて、殺人、薬物の密売、観光客を狙った誘拐など、多くの問題を抱える地域だとテレビで見たことがあります。

 

もうすこし、ファベーラについて教えてください。

 

佐々木:まず南米の大きな都市には必ずと言っていいほど貧しい方たちが住んでいるエリア(ファベーラ)があるんですね。

 

大きな都市を作るには労働力が必要だから、奴隷というか黒人やアフリカの人たちを連れてきて働かせたんですけど、作り終わった時にその人たちを送り返すのもお金がかかるから、勝手にどこかへ行けみたいな感じになって、とは言っても彼らは住むところがないので、山なんかに不法に住んで、自分達で勝手に電気を引っ張ってくるなどしたのが始まりみたいです。

 

ボロボロな家に大勢の人が密集して暮らしていて、そこで生まれると、学校に行く機会があまりなかったり、行けても教育の質が悪くて何も学ばずに帰ってきたり、将来的にいい職業に就けなくて、そうなると貧困もループしてしまって、、、。

 

━━ 負の連鎖ですね、、、。

 

佐々木:富裕層が住んでいるところと貧困層が住んでいるところに物理的な壁はないんですけど、何故だか見えない壁があって、本当に人が行き来しないんです。

 

━━ ああ、危ないとかそういう理由ですよね、、、。同じ国ですぐ隣なのに、、、。

 

それにしても佐々木さん、勉強していたのはそうですが、すごく詳しいですね。

 

佐々木:私、大学院の時に半年間ブラジルの現地でソーシャルプロジェクトに参加させていただいていて。

 

━━ なるほど、納得しました。ちなみにどこから繋がったんですか?

 

佐々木:筑波にブラジルの方が柔道研修に来ていて、話す機会があったのでソーシャルプロジェクトのことを聞いたら「それ僕もコーディネーターとして参加してるよ。ファベーラの子どもたちに柔道を教えて何かのきっかけを与えているんだ」と言ってて、それだけでも驚いたのに、その場で「来る?」と声をかけてもらって、翌年から参加させてもらうことになりました。

 

━━ す、すごい、、、。実際に現地で活動してどうでしたか?

 

佐々木:私が実際に活動して、一番感じたソーシャルプロジェクトの意義は、子どもたちの将来の選択肢を広げる、未来を後押しすることでした。

 

たとえば貧困だから学校に行けない、スポーツができないというような状況の中で、お金がなくても、それが出来る環境やきっかけを作る。その中で、子どもたちが柔道で世界を目指すのもありだし、奨学金をもらって大学を目指すのもありだし、厳しい現実の中で、自分の生きる目的というか、希望の光みたいなものを見せてあげたいんだと思います。

 

━━ 安全な場所作りや食事の提供というだけでも、居場所として十分にソーシャルプロジェクトは機能してると思いました。

 

ただ、やはりそれだけでは根本的な解決にはなっていなくて、未来を変えたいのであれば、本人が自分の力でなんとか出来ること、這い上がれることを教えてあげたい。そこで、こんな世界があるんだよ、自分次第で明るい人生は作れるんだよって、その入り口というかきっかけを作るっていうのはちゃんと未来を見てるんだなって感じます。

 

その一方で、これはあくまで現状の話であって、本来国がもっとこの状況をなんとかしないといけないと思います。ファベーラの人たちの努力不足とかじゃなくて、システムの問題が大きい気がしました。

 

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佐々木:あとすごく印象に残っている出来事があるんですけど、ブラジルに来て2週間が経った頃、現地の先生に「柔道ってなんだと思う?」って聞かれたんです。

 

私が「釣り手と引き手を持って、相手を崩して、投げるのが柔道」って答えたら、先生に真顔で「違うよ、そんなの柔道じゃないよ」と言われました。

 

━━ んー、なんだろう?心の成長的なやつでしょうか?

 

佐々木:私も「え?」と思って、今までこんなに死にそうになりながら柔道をしてきて、大学でも学問として柔道を学んで、柔道発祥の地である日本からこうして来て、「じゃあ何が柔道なの?」ってそのまま逆に質問したんですよ。

 

すると先生が「あれを見てごらん」って。そこは柔道をすると言ってもまだ畳も柔道衣も準備出来ていないところだったんですけど、子どもたちが笑顔で鬼ごっごをして走り回っていて、「これが柔道なんだ」って。

 

ここファベーラは元々暴力や麻薬ばかりだったけど、こうやって安全な場所を作る、ここに来たら愛してくれる人がいる、正しいことを教えてくれる人がいる、先生、友達、そして第二の家族がいる。

 

正しい事をしたら褒めてくれて、間違った事をしたら正してくれて、ここに来るといろんな機会に繋がる。例えば奨学金をもらって学校に行けたりとか、ここに来ることで人生の可能性が広がる。それが柔道なんだ。

 

どこを持ってどう投げるかなんて、子供たちが将来大きくなってから学ぶ事であって、そんなのは二の次なんだ。ブラジルにおける柔道というのは単に技術的な事じゃなく、もっとこう根幹の部分にあるんだよ

 

━━ (すごい話だ、、、絶対ブログに書かなければ、、、!!)

 

佐々木:というのを教えてもらって、柔道にはこんな力があるんだとすごく心が震えました。

 

子どもたちにも話を聞くと6歳くらいの小さな子が「柔道が僕の人生を変えてくれた。柔道が僕の人生の扉を開いてくれた」と言ってて、「柔道をする前は何もすることがなかった。学校が終わって帰って来てもお金もないし、何もすることがなくて、路上で石を蹴ってた。でも柔道を始めてから今は第二の家族がいて、夢もある」と話していましたね。

 

本当に柔道よりも子どもたちがメインで、その子たちの可能性を開くために柔道がきっかけになってる。もちろんだからといって柔道をやっていないわけではなくて、柔道を通じて、子どもたちが人の話を聞くとか、助け合うとか、自分をコントールするとか、いろんなことを学んでいて「自分の中で柔道とかいろんな価値観が変わった」時期だったなって。

 

━━ 価値観変わりますね。今パッと言語化できないんですけど、新しい視点というか。

 

佐々木:そうですね。ブラジルでの経験は自分の人生の視点というか考え方をすごく変えてくれたと思います。

 

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━━ 他にもどこかの国に行かれてるんですか?

 

佐々木:行ったことのある国は、エジプト、アメリカ、ハンガリー、ペルー、カザフスタン、中国、インドですかね。それぞれ目的は別なので派遣してもらったり、個人で呼んでもらったり、一応毎回柔道衣は持っていってますね。

 

━━ 多い、多い!!めっちゃ行ってる(笑)。

 

佐々木:もちろん旅行で行くこともあるんですけど、柔道関連もありがたく行かせていただいてます(笑)。

 

そういえばエジプトも思い出深くて、呼んでくれたのが物凄くお金持ちの柔道クラブだったんですよ。ただ国の社会課題として男女の社会進出に差が大きくて、だから現地の女性柔道家を激励してほしいって真剣に話されてました。

 

━━ 派遣はあるとして、呼んでもらうのがすごいですよね。やっぱり安心感というか、いくら日本の柔道家とはいえ、それなりに信頼されてないと呼ばないじゃないですか。

 

佐々木:そこは本当にいろんな機会、タイミングに恵まれたと思っています。

 

大学柔道の競技で私が結果を出せなかったことは、見方によっては失敗とか上手くいかなかったって感じだと思うんですよ。でもまた別の見方によっては、自分から海外の選手に声をかけて、一緒に打ち込みをして、それをきっかけに話しが出来て、繋がれて、柔道を通じていまも関係が続いている。

 

私が向こうに行くこともあれば、向こうから来ることもあるし、築けた関係は絶対に失敗じゃないので、そういうところは私らしいのかなって思います。

 

━━ 判断基準は成功か失敗ではありませんが、そこでいうと大成功ですよね。

 

佐々木:ありがとうございます。筑波にいた時は、大学という教育機関ではありながらも、やっぱり強さを目指す場所と言いますか、強い人が偉いみたいな雰囲気もあったりして、怪我もして、上手くいかなくて、悩む時期もあったんですけど、今思うといろんなことって繋がってるんだなって思います。

 

高校の時の英語が今活きたり、怪我したことがこう繋がったりとか。いろんなことが繋がってるなって。

 

━━ あの、僕すこし気になっていることがあって、さっきから佐々木さんは普通に話しているんですけど、筑波大学に受かる学力があって、英語も話せて、柔道ではインターハイにも出てるってかなりスペック高いと思うんですよ。

 

でも話を聞いている限る、いわゆる天才ではなくて、かなりの努力を積み重ねて来た人なんだって印象があって、簡単でいいのでこれは頑張ってたと思うご自身のエピソードを教えていただけますか。

 

佐々木:やっていたことで思いつくのは、高校時代にトレーニングも兼ねて毎日片道40分を自転車で通っていました。それで7時に学校に着いて階段を走って、道場で寝技の補強をして登校です。

 

━━ (いきなりストイック!)

 

佐々木:部活が終わってからも自主練をして、また自転車で帰るんですけど、たまにお腹減りすぎて、でも田舎で周りには田んぼしかなくて、なので田んぼで少し寝て帰ったりもしてました(笑)。

 

あと学校が進学校で予習復習の量がすごくて、でも勉強も頑張りたかったので、どんなに疲れていても家で欠かさずやってました。どうしても夜眠い時は朝4時に起きて勉強したりもしてました。

 

━━ テストの順位とか聞いていいですか?

 

佐々木:なんとかですが、毎回学年3位には入っていました。勉強も分かるまで、出来るまでやらないと気がすまなかったので(笑)。

 

あとは大学で海外の選手と話すためにロシア語を覚えたかったので、授業の合間に他学群の授業を履修して、2年かけて勉強しました。

 

━━ すごい、、、すごすぎる、、、。いろいろヤバすぎて、田んぼで寝てた話スルーしちゃってたんですけど、マジで尊敬です、、、。(語彙力)

 

※インタビュー後に分かったのですが、朝練は個人的に行っていたものらしく、朝もうちょい寝ようと思えば寝れていたそうです、、、。

 

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***

 

話は少し進んで、佐々木さんは大学院を卒業するタイミングでもう一度ブラジルに渡り、ソーシャルプロジェクトに携わりたいと考えていたそうです。

 

しかし、ブラジル以外にも貧困の差や社会的格差は様々な国で起きていて、じゃあ日本にいる私には何が出来るのか自問自答すると、ブラジルに行くのも選択肢だけど、全柔連に入って、日本からソーシャルプロジェクトのような価値を発信するのも選択肢で、他にも何かしたい日本人が海外に行けるような土台を作りたいと考えるようになりました。

 

そうして大学院を卒業すると同時に、佐々木さんは全日本柔道連盟、国際課(現、普及振興課国際係)に就職が決まりました。全柔連で勤務する日々は柔道の普及や振興に携われるのがやりがいで、筋道の通っている理由さえあれば、自分の意見を話してそれを採用してもらえる。日本や国際関係の物事を決定する場面に立ち会えたのはとても貴重な経験になったとのこと。

 

ただ一方で、就職した時は「100着の柔道衣を海外に送れて喜びを共有できないのと、1着だけ送って喜びを共有できるのはどっちがいいか」自分に質問すると、答えは即答で前者だったのに、いつしかその答えが後者に変わっていった。

 

コロナ禍で自分の内面と対話する時間が増えていく中で「また現場で人とコミュニケーションをとりながら、喜怒哀楽の感情を共有したい」という思いが大きくなっていることに気づき、悩んだ末に3年7ヶ月務めた全柔連の退職を決意します。

 

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━━ これから思い絵描いている人生を教えてください。

 

佐々木:今はいろんなところに行って、いろんな人に会いたいですね。ある程度の方向性は持ちながら、その時の出会いや流れに身を任せていきたいです。

 

チャンスとか出会いとかその時生まれる感情を大切にしたいので、それくらいの入る隙間は自分で作っておこうって気持ちですね。

 

あと何をしたいというよりも、どういう自分でありたいかを大切にしたいです。

 

━━ 素敵だと思います。自分を大切にするからまわりも大切にできる。それこそ隙間というかやっぱり余裕を持つことは大事ですね。

 

これからまとめに入っていきたいのですが、佐々木さんが考える柔道の価値とはなんでしょうか?

 

佐々木:私は一番は友達ができることだと思います。外国にも友達つくることもできます。国際柔道連盟の加盟国が204カ国なんですけど、国連加盟国の193カ国より多いんですよ。柔道はすごく国際性もあるし、他の文化圏に友人ができれば、新しい世界を知るきっかけにもなると思いますので。

 

あと、柔道を通して人の痛みが理解できるようになる。優しくなれるっていうのもあると思います。暴力じゃなくて、柔道が教育的だと言われているのは、投げる時に相手が怪我しないようにするっていうのはあるし、逆に自分が投げられて痛みが分かることもある。人を傷つける可能性がある技術、体力を持つからこそ、そのコントロール方法を学ばなきゃいけない。

 

━━ いままで友達に柔道って痛いんでしょ?と言われてもそこで話が終わってて、でもだからこそ痛みがわかる、優しくできるっていうのは、分かっていたつもりで見落としていたところでした。

 

佐々木痛い思いはしたくないけど、人生って体の痛みだけじゃなくて、心の痛みもあるので、柔道で自分や相手に向き合っていけば、人の痛みに寄り添えるようになる気がします。

 

━━ 心の痛み、柔道って恥を晒す場面も多いですもんね。試合3秒で負けた時とか顔から火が出るほど恥ずかしい、、、。

 

それでいうと、みつをの「柔道は一番最初に受け身で恥を晒すことことから覚える」的な詩だってありますもんね。

 

佐々木:受け身で思い出したんですけど、ブラジルの先生がなぜ柔道がファベーラの子どもたちに役立つかというと「こういう貧しいところで暮らすという困難を子どもたちはいま味わっているのだけど、貧困は親世代もしくはそれより前の世代から連鎖していて、自分たちも同じように貧困の中で生きていかなければいけないと考えるから、困難から立ちあがろうとする経験や自分だって立ち上がれるのだと信じれるようになるきっかけ自体は少なくて、受け身を通じて投げられても立ち上がることを学べば、それを人生に適応させられる、困難の中でも、立ち上がる強さを柔道から学ぶことができるんだよ」と話していました。

 

━━ いい話です、、、受け身っていいですね、、、。

 

佐々木:色々詰まってますよね、柔道は技だけじゃないなぁって、改めて考えさせられます。

 

━━ 受け身、あんなに面白くない練習なんですけどね。

 

佐々木:投げることじゃなくて、投げられること、ちゃんと受け身を取ること、そして立ち上がること、それが一番大事なんだって言ってました。

 

━━ 柔道家の強さって、立ち振る舞いや礼儀作法、フィジカルもあるんですけど、何万回と受け身で倒れても、同じ数立ち上がってきた経験が力になっているような気がします。

 

今日はすごく勉強になった一日でした。

 

佐々木:いえいえ、私も自分の考えていたことを振り返るいいきっかけになりました。

 

━━ では、今回はこのへんで終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

佐々木:こちらこそ、ありがとうございました。

 

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***

 

ということで、今回の記事は佐々木千鶴さんに話を聞きました。

 

余談ですが話を聞いたのは、なんと昨年の12月でした、、、。(土下座)

 

ちょくちょく「遅れてすみません」と連絡をしていたのですが、その度に「全然大丈夫なのでストレスに感じないでください」と優しく待っていただいておりまして、この場を借りて千鶴さん本当にありがとうございます。そして遅くなってすみません、、、。

 

あと書きたいことが多すぎて、けど全部書くとあまりに情報過多になってしまうので、内容かなり抜粋した本記事ですが、最後に読んでくださったみなさんへ、本文には残せなかった佐々木さんのエピソードを紹介して終わりにします。

 

①2022全日本実業個人選手権大会に挑戦

 

現役を終えてからも、もう一度試合に出たいと考えていたそうで、現在ビーガンとして食生活を送る中、動物性ではない植物性タンパク質で作った身体でどこまで出来るのか、自分を使った実験込みで、出場されています。

 

結果は初戦敗退だったものの、自分にできることに誠実に取り組んだこのチャレンジは、宝物のような時間になったとのこと。とはいえ、ちゃんと悔しかったので、また機会があれば出場を考えているそうです。

 

全柔連で働きながら社会福祉を学ぶため大学に編入

 

今までは柔道を通じて助けが必要な人にリーチしてきたけど、そもそも根本的な解決にはなっていなくて、だから一度柔道を取っ払って、社会の中で困っている人たちに寄り添うにはどうすればいいか、その人が抱えている課題を解決する手助けは何ができるのか、勉強するために大学に編入して無事卒業までされたそうです。

 

海外にばかり目を向けてきたけど、その前にいま目の前にだって困っている人がいる。場所というよりも、困っている人がいたら何かできないかな?と思うようになって、一人では難しいけど、願わくば仕組み化なんかも、いったん柔道から離れて考えてみたいと話していました。

 

素敵!!

 

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***

 

では、これで本当に今回の記事を終わります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422

 

今回取材させてもらった佐々木千鶴さんのSNSはこちら。

SNS

Instagram

 

絆を感じる、とは。柔道と出会えて、本当に、良かった。高田輝一さんとのはなし #012 高田輝一

※こちらの記事は2020年12月に書いたものです。

 

第12回はこの人。高田輝一先輩(飲食店自営業)のお話を聞いてきました。

 

みなさん、輝一先輩を知っている人も知らない人も騙されたと思って最後まで読んでください!きっと心が動く瞬間がありますので!

 

ちなみに僕はインタビューをした時と1人でこの記事を書いている時に「絆」って素敵だなぁと5回くらい泣きました。

 

前半は中学から始めた柔道のこと。中盤は生死を彷徨った交通事故とパニック障害。後半は現在先輩が営まれているBARについてです!

 

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高田輝一(タカダキイチ/kiiti takada)

1991年4月18日 沖縄生まれ

学歴 西崎中→豊見城南高校

職歴 飲食店自営業

 

━━ 柔道を始めたのはいつですか?

 

高田:小学校6年生の終わりかな。それまではミニバスをしていたんだけど、いとこが柔道をしていたこともあって親父に「中学からは柔道をしたら?」と勧められたのがキッカケで。

 

━━ 初めての柔道はどうでした?

 

高田:めちゃめちゃ怖かった。いざ自分がやるとなるとさ、目の前で人がバンバン投げられてるし、先輩とかみんなデカくて威圧感あるし……。

 

しかもさ、中学生になって直ぐに先輩たちの大会があって応援に行ったんだけど、そこで人の腕が骨折する現場を見ちゃって。

 

中学生になったばかりの俺にはちょっと衝撃的で「嘘でしょ?いやいや冗談でしょ?……マジかよ。終わった」って感じだった。

 

━━ それは怖い、、、。辞めようとは思わなかったんですか?

 

高田:本当はすぐにでも辞めたかったけど、小心者だったから言い出せなくて(笑)

 

━━ とんでもないところに来てしまったという感じですね(笑)

 

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先輩が作ってくれたノンアルモヒート

 

━━ 中1の柔道生活で印象に残っている出来事ってなにかありますか?

 

高田:ん〜、ちょっと待ってね。俺、事故にあってから記憶が飛び飛びなんだよな。(事故の話は後半)

 

そうだ、思い出した。柔道を始めてから1つだけ自分に誓ったことがあってさ。

 

━━ おお、なんですか!?隠れて自主練とかですか?

 

高田:んーん、もっと大切なこと。

 

そう、耳を潰さないこと!!(どーん!)

 

━━ 「」

 

高田:なんだろうな。俺の中で「耳が潰れたらモテない」ってイメージがあってさ。先輩たちに寝技で狙われても「耳だけは耳だけは」って頑なに死守してた。

 

 ━━ モテるために?

 

高田:うん、モテるために。

 

━━ 中2はどうでしたか?

 

高田:実はさ、俺1度柔道部を辞めてるんだよね。たしか中2の夏前かな?

 

━━ 初耳です!

 

高田:みんなには「バスケがやりたいから、柔道部を辞めてバスケ部に入ります」って話していたんだけど、本当は人間関係でごちゃごちゃしちゃって。そういうのが面倒くさくて柔道から逃げたんだよね。バスケはそのための理由づけ。

 

だけどさ、中途半端な気持ちでバスケ部に移動したところでやっぱりどこか気持ちがついていかない。

 

結局その年の冬には柔道部に戻ることになったんだけど、そのときは「ああ、やっぱ柔道だよな」って思った。

 

━━ 柔道部にはどうやって戻ったんですか?

 

高田:柔道部の同級生が「輝一、戻ってきたらー?」って声をかけてくれて。

 

恥ずかしかったし「本当に戻っていいの?」って不安だったんだけど、みんながまた快く受け入れてくれてね。

 

そのとき外部コーチだった先生が「お前は柔道がいいよ。お前の居場所はここだよ」って言ってくれて、一言二言なんだけど中学生ながらにすごく嬉しかった。

 

━━ そういう何気ない一言って嬉しいですよね。柔道部に戻れてよかったです。

 

高田:中2は柔道部を離れたり戻ったり、いろいろ悩んでたって記憶だね。

 

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インタビューの場所は先輩が営まれている ダイニングバー リンク

 

━━ では最高学年になった中3の思い出を聞かせてください。

 

高田:パッと思い出すのは大会に出るために1週間で10キロ減量したこと!!

 

━━ 1週間で10キロ!!??

 

高田:うん。その大会には各階級各学校2名ずつしか出られなくて、俺の階級は部内に3名いたから1人出られなくなる訳なんだけど、大会前監督に呼ばれて「出場枠の関係上、お前は補欠にするから」って言われたのね。

 

自分の中では2人に差があるなんて思えないし、部内予選だってしていない。一方的に決められたことが納得できなくてさ。

 

ただ、普段絶対に減量をさせない監督が「まあ1つ下の階級なら枠が空いてるけどね」って一言だけボソッと言って。それが聞こえたから「なら減量でもなんでもして、俺は絶対に大会に出てやる」って意地になって体重を落とした。

 

━━ ヤバすぎます……。

 

高田:1週間飲まず食わずで練習して、走って走ってなんとか体重は落とせたけど、そこまででいっぱいいっぱいだった。結局試合は1回戦で負けちゃったから。

 

━━ そんなの試合どころじゃないです、、、。死にますよ、、、。

 

高田:ね、俺も死ぬと思った(笑)

 

━━ (笑えねー!ストイック減量の話って全然笑えないんだよな)

 

輝一先輩が3年生のとき僕は同じ西崎中学校の1年生でした。先輩の代は「とにかく強かった」ってイメージなんですけど、部内にライバルとかいたんですか?

 

高田:減量をして階級を落としてからは兼人(※)をずっとライバル視してたよ。

※伊良波兼人先輩

 

柔道は強くてなかなか勝てないんだけど、なんか気に食わなくて「こいつにはだけは負けたくない」って本気で思ってた。俺は「こいつに勝てれば2回戦負けでもいい」をモチベーションに練習してたから。

 

結局試合では地区大会2位、県大会3位。全部兼人に負けた。悔しかったなぁ〜。

 

━━ 兼人先輩って小学生のときからずっと強いじゃないですか?

 

ほとんど中学生から始めた先輩とはそもそもスタートから違うのに、そんなふうに頑張れることがかっこいいです。あと県3位も立派ですよ!

 

先輩たちって普段は仲良かったんですか?

 

高田:3年生のとき同じクラスだったんだけど、しょっちゅう喧嘩してたよ。

 

兼人っていつも制服を真面目にきっちり着てたのね。俺は着崩すタイプだったから、それが無性にイライラしてその場でボタン全部引きちぎったこともある。まあ同じようにやり返されたんだけど(笑)

 

━━ 理不尽すぎる(笑)

 

高田:だけど、今ではめちゃめちゃ仲良いよ。東京から帰ってきたら毎日店に来てくれるし。

 

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大人になった先輩方

 

━━ 柔道を始めてよかったですか?

 

高田:よかった。それは本当に。もししてなかったら今みたいに兼人や壮四(※1)、祐(※2)、柔道で知り合えたみんなともこんなふうに仲良くなれていないから。

※1 岩切壮四先輩 ※2 伊禮祐先輩

 

比べるもんじゃないけどさ、西崎中の柔道部で一緒に「苦しい思い」や「悔しい思い」をした友達と、高校で楽しいことばかりをワーっと遊んできた友達とでは、なんていうか重みが違うんだよな。

 

俺はさ、勝手にだけど「こいつらとは絆が強いな」って思っちゃってんだよね。

 

だからそういう友達が得られたことは本当に嬉しいことだから、柔道をしてよかったと思ってるよ。

 

━━ 素敵、、、。

 

高田:苦楽を共にするというかね、兼人、壮四、祐は幼稚園から一緒でさ、その輪の中に入れてもらえるのが嬉しいよ。

 

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※ここから高田先輩が大学1年生の冬に経験した「交通事故」と「パニック障害」のお話をします。事故について詳しい症状まで載せているので、苦手な人はとばしてください。

 

※高校時代の話は割愛しますが、簡単に説明すると「俺達が送りたかった青春第一位」って内容でした。高校にゼロから柔道部を作ったり、でも辞めてヤンチャしたり、と思ったら卒業式では送辞読んでるし、ぜひ本人に聞いてみてください!!

 

高田:大学1年の冬なんだけど、テスト期間だったからバイクで学校まで向かってて。小学校の前を通りかかったから「スピード落とさなきゃな」と思って、30キロまで減速したところから記憶がない。

 

ここからは重い話だよ。

 

━━ はい。お願いします。

 

 高田:病院に運ばれたあとは体の感覚がなくて、自分が何をしたかもどんな状況かも全くわからない。そのままぐったりしていたら「輝一!!輝一!!」って聞き覚えのある声がして、目を開けたらそこには今までに一度も見たことのない顔をしたおかんが泣きながら立ってた。

 

そんなおかんの顔を見たときに、自分が事故ったことすらわかってないんだけど「俺は人生で一番やってはいけないことをしてしまったんだ」と思って。

 

真っ先に出た言葉は「ごめんなさい」だった。

 

俺はずっと「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝ってて、おかんは「大丈夫だよ」ってずっと言ってて。そのへんでまた記憶がなくなった。

 

━━ 事故後の症状を聞いても良いですか?

 

高田:うん、大丈夫だよ。

 

【左半身の強打】

・頭蓋骨骨折

・鼓膜が破れる

・肋骨1本骨折

・脊髄3箇所骨折

内臓破裂

・肺に1500ml 血がたまる

 

後々聞いた話だけど「俺はその日で死ぬ」って言われてたみたい。

 

━━ すみません、ちょっと言葉が出ないです……。

 

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高田:ずっとICUに入ってて、親は俺に何があってもいいようにずっと病院で寝泊り。まだ小さかった妹には会えなかったけど、弟には会えてさ。「兄貴にもし何かあったら俺は生きていけない」ってぐちゃぐちゃに泣いてた。本当に悪いことをしたなって思ったよ。

 

ICUには4日間入っていたんだけど、覚えているのは本当それくらい。

 

4日後目を覚ましたら目の前に病院の先生がいて、まあいろんな説明をされたんだけど最後に言われたのが「これから言うことを受け止めてください。高田さんは一生車椅子です」って話だった。

 

━━ はい。

 

高田:ショックを受けながら「あー、わかりました」って返事をしたら、先生が「あ、顔も麻痺してますね」って思い出したように付け足してきてさ。さすがに笑えなかったよね。

 

━━ (先生、軽くね?)

 

高田:それから段階的に準ICU→二人部屋と移動したんだけど、そのときなんか歩ける気がしたんだよな。

 

さっそくナースさんを呼んで歩行器持ってきてもらった。

 

そしたらさ、歩けたんだよ。「やった!!歩けるじゃん!!」って。本当に嬉しくて、歩く練習をしたらトイレも風呂も自分で行けるようになってね。

 

━━ すげえ、、、奇跡だ、、、。

 

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高田:友達もよくお見舞いに来てくれてたんだけどさ、俺を元気付けようとみんなすっごい明るく入って来るのね。

 

「輝一!!久しぶりー!!」みたいな感じで。だけど、俺の顔を見たらめっちゃ引くわけよ。顔面麻痺で顔歪んでるし、水飲んだら口からダラーって溢れるし。

 

正直(みんな顔に出過ぎだよ)って思ったけど、「大丈夫、大丈夫!みんな気にすんな!!」って明るく振る舞うようにしてたなぁ。

 

━━ 僕だったらたぶん誰とも会いたくないし、そんなふうに友達を気遣うなんて出来ないと思います。

 

高田:あとさ、壮四がお見舞いに毎日来てくれてたんだよね。

 

高校からは学校が別々でだんだん疎遠になるというか、中学生の頃みたいにはいかなかったりするじゃん?実際中学を卒業してからはそんなに会ってなかったんだけど、本当に毎日来てくれた。それで俺の状態とかをみんなに連絡してくれてさ。

 

━━ 壮四先輩、、、。

 

高田:壮四さ、お見舞いに牛乳とか買ってくるんだよ。「骨折れてるんだろ?カルシウム飲めばくっつくから飲め」とか言ってさ。全然意味わかんないし、くっつくわけないじゃん?それで俺が飲まないでいたら「飲め」ってめちゃめちゃ怒るんだよあいつ。そんなんでよく喧嘩してた。

 

祐は壮四から俺の話を聞いても「ふざけんな、俺は信じない」って物凄く怒ってた。それが祐なりの願掛けだったみたい。

 

━━ 泣きそうです……。壮四先輩いい奴すぎるし、祐先輩のその感じも想像できます……。

 

高田:だいぶ歩けるようになってからは6人部屋に移されたんだけど、それがまあしんどくてしんどくてね。もう我慢できなくなって先生に「今日退院させてください」ってお願いしたら「ふざけないでください」って怒られた。

 

そのあとも「僕は本気です」って粘ってたら病院のトップたちが部屋に集まってきて「最低でも半年は入院してもらわないと困ります。いま生きていることだってあり得ないのに、歩いているなんてもっとあり得ないんですよ。それにまだ今後なにがあるかだってわからないんですから」って説得されてさ。

 

そこまで言うなら「わかりました。退院は明日にします」って言って、通うことを約束に翌日退院した。

 

━━ は?

 

いやいやいや、医者の言うこと聞いてくださいよ!!

 

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高田:まあ特に大きな手術もなく、いまに至ってるから本当に「ミラクルボーイ」だったよ(笑)

 

━━ いや、そういうのいいんで。本当にいいんで。

 

高田:親父といまこの話をしたら、親父も当時いっぱいいっぱいであんまり記憶がないみたいなんだけど、それでも「お前は戻ってきてくれただけで親孝行だよって」って言ってくれたんだよね。

 

さっきも話したけど、事故後のおかんの顔とかさ。

 

やっぱり両親にはもう迷惑かけたくないし、ちゃんと親孝行していきたいなって思った。まあ迷惑はまだかけちゃっているんだけどね。

 

━━ (最後いい感じにまとめた、、、!!)

 

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━━ 実は先輩がパニック障害だったことを今日初めて知りました。その話も聞いていいですか?

 

高田:もちろん。身内にしか言ってなかったんだけど、いまでは笑い話だから。

  

22歳のときになったんだけど、パニック障害を簡単に説明するとまず血の気が引いていくんだよね。骨の芯から冷たくなる感じ。力が入らなくなって、呼吸も浅くなる。それで心拍数がすっごく上がって、本当に死ぬんじゃないか?って怖くて仕方なくなる。

 

━━ テレビで見ることはありますが、実際に話を聞くのは初めてです。

 

高田:事故があってから大学を休学して県外に働きへ出かけてみたり、実家の居酒屋で働きながら大学に戻ってみたり。結局大学は辞めたんだけど、自分の将来とか目の前の現実とか、そんなことをずっと考えていたらどんどん不安になっていった。

 

そしたらある日、心臓がバクバクして息ができなくなっちゃって、体が震えて怖くて怖くて。

 

もしかして「事故の後遺症かな?」とか考えながら、おかんに病院まで連れてってもらったんだけど、診断結果は異常なし。

 

━━ ああ、、、。そうですよね、、、。

 

高田:病院帰りにそのまま外食したんだけど、まわりにいる人たちが怖くてうるさくて、目は回るしで一口も食べれなかった。パニック障害って発作が起きたらもうそのあとはなんにもできなくなるのね。

 

例えば車の運転中って急に止めて外に出ることってできないじゃん?他にも大学の授業中って外に出にくいし、美容室で髪を切ってる時は動けない。そういう状態のことを「心理的閉鎖」って言うんだけど、それに陥ると発作が起こる。

 

発作が起きるととにかく苦しくてさ。夜眠る時とか本当に不安だった。寝たらそのまま起きれなくて死ぬんじゃないかなとかマイナスなことばかり考えちゃって。

 

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━━ パニック障害は調子の良いときは良いから、そこの高低差が大きくてまわりの人に仮病だと勘違いされてしまいやすいと聞きました。それは本当に辛いことですよね。

 

高田:うん。良いときは良いから「今日は大丈夫」だと思って車の運転したら、発作が起こっちゃって車を捨てて帰ったことは何度もあるよ。

 

━━ 克服?改善?するにはなにが効果的なんでしょうか?

 

高田:開き直るとか、パニック障害のメカニズムを知るってことはもちろん大切なんだけど、俺が調べていく中でいちばん良いとされていたのは「運動」。体が健康になれば気分も晴れるしね。

 

━━ ふむふむ。先輩はどんな運動をしてたんですか?

 

高田:逆になんだと思う?

 

━━ やっぱり手軽に始められるイメージのランニングとかウォーキングですかね。

 

高田:うんうん。たしかにランニングはしてたんだけど、いちばんやったのは柔道なんだよね。

 

━━ 柔道!?柔道ですか?

 

高田:なにか運動したいなって考えていたときにタイミングよく兼人から「柔道の職域大会に出ないか?」って誘われてさ。

 

事故の影響は問題なかったし、久しぶりに柔道もしたかったから出ることにした。それからは糸満署(※)に行ったり、みんなで遠くまで出稽古に行ったり。

糸満警察署少年柔道クラブ

 

出稽古に行ったときはどうしても発作が起こるから、トイレに隠れて落ち着かせてどうにか頑張ってたよ。

 

━━ 正直ここで柔道につながるとは思ってもいなかったので驚きです、、、。

 

高田:試合に出ると決まってからは、朝起きたらランニング、それから1人で田舎家の掃除をして、午後は妹が通っていたミニバスで一緒に運動、そのまま柔道に行って、また夜からランニング。

 

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高田:常に動いているから自然と体が丈夫になって、調子も良くなっていった。

 

本当は「もし大会会場で発作が出てしまったら」なんて考えちゃって、職域大会に出るのはとっても怖かったんだ。だけど「この試合に出れたら俺のパニック障害は治る」って。

 

根拠はなにもないけど、でもどうにかパニック障害を治したくてさ。

 

━━ すがるような気持ちでしょうか、、、?

 

僕の中で職域大会は「お祭り」のような勝ち負けよりもみんなで楽しくやりましょうってイメージがあります。

 

高田:そうそう。職域大会ってみんなはお祭り感覚なんだけど、俺だけ全然違くて「これはパニック障害を克服するための大会なんだ」って気持ちが強かった。

 

そのために柔道とトレーニングを一生懸命頑張ったし、発作が起こったときも「自分の体なんだから、自分でコントロールできるよ」って声に出してさ。

 

そうしていたら、職域大会の前にはほとんど発作も出なくなった。

 

━━ 発作おさまっていったんですね、、、!!

 

運動をしたりパニック障害に向き合ったり、話を聞いていると「気持ちが前向き」だったことも要因として大きい気がします。(気持ちで治るような単純なものでもちろんありませんが)

 

試合はどうでした?

 

高田:結果から話すと1回戦負けだったよ。めちゃめちゃ悔しくてトイレで泣いた(笑)

 

「柔道もトレーニングもあんなに頑張ったのに」って思うと悔しくて。それにみんなにとっては楽しくてお祭りみたいな職域大会だけど、俺にとっては「パニック障害を克服する」ための職域大会。

 

━━ それは悔しいですよね。

 

高田:だけどね、泣きやんでトイレから出たらすっごくスッキリしたんだよな。

 

「ああ、もう俺は大丈夫だ」って思ってさ。

 

それからは1度も発作は出てないよ。

 

━━ おお!!すごい!!

 

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━━ パニック障害はどのくらいの期間続いていたんですか?

 

高田:1年くらいかな。いまでは笑い話だよ(笑)

 

そういえばさ、パニック障害の期間はお酒が飲めなくて友達との飲み会もこっそりノンアルにして誤魔化してたのね。

 

みんな若いからだんだん一気飲みとかそんなノリになるんだけど、兼人と壮四が飲んでくれていつも守ってくれてさ。

 

俺が家で引きこもっているときも夜中に連れ出されて「ドライブ行くよ!」「飲み行くよ!お酒だめならノンアルでいいじゃん!ジュースでも良いじゃん!」って。ずっと支えられてた。

 

━━  僕、泣きそうです。と言うか泣いてます。

 

祐先輩は大学が東京だったけど、もし沖縄にいたらそこにいたんでしょうね。

 

高田:うん、そうだと思う。本当にあいつらには頭上がらないよ。兼人が職域に誘ってくれたからパニック障害は克服できたしさ。本当まわりに助けられてばかりの人生です。

 

パニック障害を克服して、ここから俺の第二の人生がスタートしたって感じかな。

 

━━ 先輩たちは中学校の柔道部で苦楽を共にしただけの関係じゃないですよね。

 

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━━ では、ここからはいま先輩が営んでいるリンクのお話を教えてください。

 

高田パニック障害が落ち着いてからは実家が居酒屋(田舎家)をしていたこともあって、俺も料理に励むようになってさ。料理人として親父にはかなり厳しく育てられてまして「お前のやってきたことは全て無駄だよ」とか「今まで何をしてきたんだ?」って何度も叱られたね。

 

きっとお客さんからお金をとって食べてもらう料理だということを教えたかったんだろうな。

 

まあでもそのおかげで料理を学ぶことが出来た訳だからありがたいよね。

 

━━ お父さんめちゃスパルタ!!

 

あんなに優しいお父さんからは想像できない……。でも輝一先輩が本気だったからこそ、そんな相手に対して優しくなれないのはわかる気もします。(最近こんな感じのマンガを読んだ)

 

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高田先輩のお父さんが営んでいる居酒屋「田舎家」

 

 

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お父さん、とっても丁寧で物腰柔らかくて素敵な方です!

 

tabelog.com

 

高田:しばらくは田舎家から那覇にある居酒屋に移動して働いていたんだけど、その頃から独立したいなぁと思って、那覇で物件探してたんだよね。

 

なかなか見つからなくて、頭抱えてたら親父から「糸満の物件に空きが出るらしいけどお前やるか?」って連絡が来てさ。お察しのとおり、それがいまのリンクです。

 

━━ リンク誕生ですね!!

 

高田:契約とか諸々を済ませて、オープンするまでは半年くらい寝る間も惜しんで準備しててさ。出来る範囲の改装工事は自分でやったから、朝6時まで1人でガチャガチャやっててね。キツいってよりは、どんどんお店がきれいになっていくのが嬉しくて仕方なかった。

 

※2019年2月10日 dining bar link リンク OPEN!!

 

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r.goope.jp

 

━━ リンクのコンセプトを教えてください。

 

高田コンセプトは「最後の一杯を飲みに来るお店」。

 

これからは料理も出す予定だから料理を持っている間にちょこっと飲んだり、料理に合ったお酒を「これでどうですか?」ってお勧めしたり、そういうことも出来たらいいなと思ってる。

 

━━ これには気をつけてる!ってことはありますか?

 

高田同級生の溜まり場にしないってことは特に気をつけてるかな。いろんなお客さんに来て欲しいし、新しいお客さんと友達が初めましてで楽しそうに飲んでいる姿を観れたら、俺も嬉しいからね。

 

品のあるお店にしたいとは常々思ってる。あっちに行けば楽しくお酒飲めるよみたいな。

 

━━ めちゃめちゃ素敵です!!僕みたいな一人飲みが好きな人でも入りやすそうなの嬉しいです!

 

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━━ 飲食業界のお話を聞かせて頂いているので、個人的な質問なんですけどコロナの影響はどうでしょうか?

 

高田:正直かなりあるよ。俺も含めてだけど自営業や飲食業の人って、みんなそれぞれ頑張ってるんだよな。それなのにどうしようもないところから大打撃を受けてまたそれに悩んで。やるせないし、そんなことでスタミナを奪われるのはナンセンスだよね。

 

だけど、現状は現状だからコロナに負けずに頑張らないとなって思ってる。この期間もし何も出来ていないのであれば、成長もしていないわけじゃん?

 

こんな状況でもリンクだって、次へ次へと成長していかなきゃいけないから。

 

━━ 僕が話せるようなことではないのですが、本当に厳しくて大変な世の中になりました。経営が困難で閉店しているお店だってよく見かけますし、現状維持すらままならないお店もかなりあると聞いています、、、。

 

高田:親父がいつも言うんだけど「なにをすればいいかわからなくなったときは”目の前のことを一生懸命やれ”」って。

 

俺の目の前にはなにがあるんだろう?って考えたら、それはリンクだった。

 

リンクでなにが出来るのだろう?料理をしてみよう。じゃあ料理の次は?みたいに考えていくとまた次が出てくる。その繰り返しの中で目標が生まれて、気づけば自分が成長してて。

 

「コロナに負けるな」ではないけど、自分の武器を増やしたりお店をより良くしたり、試行錯誤の中でいまは手足を動かし続けてるよ。

 

━━ いまリンクで考えていることはなんでしょうか?

 

高田:やっぱり料理かな!バーの雰囲気にそぐわない面もたしかにあるんだけど、みんなに楽しんでもらいたいから。

 

そのときはオシャレなお皿に盛り付けないといけないから、いま店にある器は全部割らないとね(笑)

 

━━ ガラス踏まないように気をつけてください(笑)

 

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━━ では最後に一言と高田先輩の個人的な目標などあれば教えてください。

 

高田:リンクには若い人もご年配の方も本当にいろんな年代のお客さんが来てくれていて、そんなみなさんが”リンク”(つながる)する場になったら嬉しいなと!

 

個人的にはもともと考えていた「30歳までに何かする」という夢がリンクで叶ったので、その先へいきたい。次は35歳までにまた新しい何かを始められたらいいなと思ってます!

 

***

 

「絆」とか「繋がり」なんていうのは目に見えるものじゃない。

 

けれども。だけれども確かにそこにあって、それらを強く感じ続けていたからこそ、お店の名前は「リンク」になったのかなぁと。

 

人は一人では生きていけない。

 

そんなあたりまえのことを、つい僕は疎かにしてしまいがちなので、自分を支えてくれている人たちへ改めて感謝していきたいなと思った。

 

うん、自分が思ってる以上に気にかけてくれている人がたくさんいるぞ、、、。しっかりしなければ!

 

では、今回このへんで。

 

輝一先輩、今日はありがとうございました!!

 

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Text by 平良賢人 @taiken0422

 

今回取材させてもらった高田輝一先輩のSNSはこちら。

 

輝一先輩 Instagram

 

bar link Instagram  

未来を明るくさせた「柔道」と「勇気」の話。#011 𩜙平名知子

※こちらの記事は2020年9月に書いたものです。

 

「今こそは未来の原因であり、過去の結果である」

 

中学時代、柔道部の恩師がよく話していた。

 

いまを大切にして欲しい。そんな思いの中に「昨日の自分に恥ずかしくない生き方をしよう」だとか「自分を変えたいと思うならそれは今だ」だとか、そんなふうに背中を押してもらえているようで、勇気が出る言葉だと僕は感じている。

 

中学、高校、大学、社会人、またまた大学とそれぞれの場所でまわりの人たちに助けてもらいながら27歳になった僕は、いいかげん勇気を与えられる側に回りたいと思っているのだけれども、それはまだまだ先の話になりそうだ。

 

勇気を与えてくれる人たちの話が聴きたい。彼ら彼女らの人生や見てる世界を知りたくて、小さな頃からずっと尊敬している先輩に連絡をした。

 

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「時間は気にしないで大丈夫だよ!お願いしまーす!!」

 

━━ やんわりした雰囲気でオンライン取材に応えてくれたのは、沖縄柔道界初の高校女子インターハイチャンピオンであり、筑波大でも活躍した饒平名知子さん。

 

饒平名知子(ヨヘナトモコ/tomoko yohena)
1992年7月27日 沖縄生まれ 三人姉妹の三女
学歴 西崎中→沖縄尚学高校→筑波大学
職業 教員

主な実績
・2009 インターハイ -48kg級 優勝
・2010 ベルギー国際柔道大会 -48kg級 優勝
・2014 関東学生柔道体重別選手権大会 -48kg級 優勝
・2014 全日本学生柔道体重別選手権大会 -48kg級 3位

 

━━ 柔道を始めたキッカケは?

 

饒平名:いとこがやっていて興味を持ったのと、体は小柄だけど力が強かったから「私も柔道をやってみたいなぁ」と思って。

小学2年生のときに地元の「浦添警察署少年柔道クラブ」に見学に行ったんだけど「体が小さいし細いし、もしケガでもしたら大変だ」という理由ではじめは入門を認めてもらえなかったんだよね。

めげずに何度も見学に通って、やっと入れてもらえた。

━━ 柔道を始めた頃の気持ちって覚えていますか?

饒平名:もちろん!!とにかく楽しかったよ。

練習の中に遊びを取り入れたメニューがあったり道場にいる人がみんな優しかったり、厳しいチーム特有の「練習しないならどっか行けば?」とかそういうのとは無縁で、強くなりたいならどうぞって雰囲気。

 

でもチームの意識も高かったから、すごくいい練習をしていたと思う。

━━ 先輩は途中から道場を「浦添署」から「糸満署(糸満警察署少年柔道クラブ)」に変えたじゃないですか?それはどうして?

 

饒平名:これは小学5年生のときだね。

 

実は小4から柔道と並行して小学校のハンドボールクラブに入っていたんだけど、そしたらだんだん柔道が嫌になっちゃって…。浦添署を退部して、1年間だけ柔道から離れました。

 

━━ え、一度辞めてたんですか?

 

饒平名:ハンドは団体競技だからいつもまわりに仲間がいて、不安なときや上手くいかないときに声をかけあって励まし合えるのが好きでさ。チームスポーツの楽しさを知ってしまったんだよね。

 

だけど欲張りなのか、小5でまた柔道をやりたいなと…。

 

浦添署は退部しちゃったし道場どうしようかと考えていて。ちょうどその頃は糸満署が強くて部員も多くて盛り上がっていたから、じゃあそこにしようかと。

 

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━━ なるほど。僕も糸満署だったんですけど、当時の盛り上がりすごかったですよね。 部員も60名くらいいたんじゃないかな。

 

小5から柔道とハンドとの両立になりましたが、中学から柔道を選んだ理由は?

 

饒平名:小6のときにハンドで全国制覇したのね。この競技で日本一は経験したので、中学では柔道を頑張りたいなって。

 

ハンド部では副キャプテンを務めていたんだけど、誠に勝手ながら誰にも相談せず、練習終わりに監督のところに行って「今日で辞めます」って言った。(笑)

 

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━━ 全国制覇??す、すげえ、、、。

 

でも、相談なしはマジで誠に勝手ですね(笑)

 

饒平名:やばいよね?本当に無責任だったと反省してる(笑)

 

でも、「柔道を頑張りたいなー」と思ったんですよ。

 

━━ 中学での柔道生活はどうでしたか?

 

饒平名:糸満署の人は西崎中に行く流れがあるじゃん?それで私も西崎に決めたんだけど、浦添から糸満まで通うのは簡単ではなくて、毎日バス通学だったのは大変だったなぁ。

 

両親は居酒屋を営んでいて、送迎してもらうのは迷惑になると分かっていながら、たまにわざと寝坊して車で送ってもらったりしてた。

 

あと中1のとき、絞め技が本当に怖すぎて試合で絞められて全然入ってないのに「参った」して一本負けしたこともあるよ。メンタル弱すぎたな。 

 

━━ 中学3年間で、特に思い出に残っていることは?

 

饒平名:九州大会で準優勝したこと。

 

勝戦で志々目愛ちゃんとあたったんだけど、準決勝を絞め技で勝っていたから「コイツは『絞め技』がすごいやつなんだ」と思って、ビビって背負い投げを1回もかけれずに判定負け。

(※志々目愛選手 2017 世界選手権-52kg級 優勝)

 

 

だって、背負いかけたら絞められるじゃん?

 

━━ 僕の記憶が正しければ、先輩試合後にめちゃめちゃ先生に叱られてましたよね。

 

饒平名:そう。超怒鳴られた!!(笑)

 

先生も悔しかったみたいで、「一生忘れられない」って言ってた。

 

━━ とはいえ九州大会準優勝。やっぱり嬉しかったですか?

 

饒平名:当時はまだ沖縄が弱かった時代だから、その中で決勝戦まで上がれたことに満足してた。悔しさはなくて「だって締め技怖かったんだもん」みたいなね。

 

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━━ では、話を高校時代に進めたいと思います。

 

沖縄尚学高校に入学したときから、日本一を目指していたんですか?

 

饒平名:んー、どうだろ。高校入学前の3月から柔道部寮に入って練習を始めたんだけど、さっそく3部練が始まったのね。

 

朝練終わって仮眠して起きたら「は?まだ朝9時?」ってなって、午前練終わって仮眠して起きたら「は?まだ昼2時?」みたいな。1日が長いし体はキツいしで「日本一になるぞ!」どころではなく、とにかく「この環境に慣れなきゃ」って気持ちだった。

 

高校は中学と比べて練習量が桁違いでした……。

 

━━ 今までの柔道はお遊びだったんだなぁって思いますよね。柔道部あるあるだけど「陸上部かな?」ってくらい走らされますし(笑)。

 

饒平名:それだけハードな練習をしながらも高1の間はまったく試合に出れなかったんだよね。その頃は試合に出れるのが、各階級各学校1名って決まっていて。

※現在は各学校2名

 

インターハイには応援で行ったんだけど、選手とは宿舎が違うし、やることと言えば本当に雑用だけ。応援席で試合を見ながら「私はここでなにしてんだ」って腹が立ってきて、そこで火がついた。もう強くなるしかないって気持ちだよね。

 

━━ それから1年後。高2でインターハイ優勝。日本一は狙っていたんですか?

 

饒平名:それがね、そうでもないんだ。ベスト8に入れたらいいなくらいの気持ちだった。

 

インターハイは県で1位になった人しかいないから、弱い人はいないし、結果には拘っていなくて。自分の柔道ができればいいや。ここまでキツい練習をしてきたんだから思いっきりやろう!試合を楽しもう!って。

 

中学でも全国大会に出ていないから、自分が全国でどの位置にいるのかもわからない。だから「自分のレベルが知れたらいいなー」で出場して優勝したのがインターハイだったわけ。

 

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━━ そうだったんだですか?てっきり優勝を狙っていたのだと思っていました。インターハイの話をもう少し詳しく教えてください。

 

饒平名:よく覚えてるんだけど、試合当日って他の階級もあるから試合が被ったり近づいたりすると試合会場で1人になるときあるじゃん?私はその時間がけっこう苦手でいつもなら誰か側にいてほしいと思うんだけど、その日は1人でもリラックス出来たし自然と集中してた。

 

━━ 目標であるベスト8を達成して、準々決勝に臨むわけじゃないですか?どんな心境でしたか?

 

饒平名:スーッと心と体が入っていったから、特に何も考えていなかったかな。勝ち負けじゃなくて「とにかく全力を出そう」「思いっきりやろう」って気持ちだったよ。

 

勝ち負けを意識したら「この集中はついていかない」って感覚もあったから、考えるのではなくて体に任せた。優勝とか先のことは考えず、目の前にだけ集中していたんだと思う。

 

━━ ゾーンかな?準々決勝、準決勝を勝利して、いよいよ決勝戦へ。

 

饒平名:決勝の相手が埼玉栄高校の有名な選手だったのね。

 

インターハイ直前の合宿で何度か埼玉栄と練習試合をしてたんだけど、その度に「この人にあててください」って監督にお願いしてたのよ。もちろんインターハイで勝ちたいなんて気持ちはなくて、純粋に同じ階級の強い人と試合をしてみたくて。

 

誰がどう見たって相手が強いのは一目瞭然だし、案の定ボロボロにされたけど「もう一回やらせて下さい」って、何度も何度もしつこくしがみついた。

 

━━ そんな背景があったんですね。

 

饒平名:だから組み手や寝技が強いってことは知ってたんだよね。それなのに決勝戦は気をつけていたはずの寝技で開始早々に抑え込まれた。

 

けど6秒くらいで逃げて、そこから少しずつ流れがこっちに来てる感触を掴んで、試合時間残り1分「小内巻込」で有効を取って、、、。

 

普通リードしたら「試合時間あと何秒?」って焦るじゃん?それがまったくなくて落ち着いて淡々と試合運びをしてたら、優勝のブザーが鳴った。全然実感なかったけど、自然と涙が出てきて「やっと日本一だぁ〜」って嬉しかったなぁ。

 

━━ その日のこと、僕もすごく覚えてます。僕は実家にいたんですけど、先輩がベスト8に入ったあたりからガラケーでずっと速報を見ていました。

 

ベスト4、決勝進出、優勝と勝ち上がるたびに「母さん!!知子先輩勝った!!」って興奮して台所にいた母親に向かって叫んでいたので(笑)。

 

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━━ 優勝から1年。今度は地元開催のインターハイ。これは2連覇するぞ!って気持ちですよね?

 

饒平名:うん。でも連覇したいとは思っていたんだけど、それ以上に不安がたくさんあって、、、。

 

インターハイで優勝したことは自信になったけど、こんなんで優勝していいのか?って気持ちもあった。だから「マグレなんじゃないか?」と縮こまって、高3の頃は思いっきり柔道ができない毎日を過ごしてた。

 

県予選で負けるんじゃないか?とか、しょっちゅう後ろ向きなことを考えちゃって。まわりからの期待を自分の力に変えられなかったな~。

 

【※テレビで取り上げられた時の記事】

www.qab.co.jp

━━ 2年生の時とは正反対だ…。精神的な苦しさも抱えていたんですね。

 

饒平名:インターハイ、組み合わせを見たら準々決勝で「この人が上がってきたら嫌だな」って思う人がいて「上がってこないといいな。もしあたったら大丈夫かな?」って弱気なことばかり考えていたら、本当にその人が上がって来ちゃってね。

 

一応対策はしてたんだけど、先にポイントをリードされて何も出来ないまま試合が進んだ。最後くらい思いっきりいこうと思って攻めたけど、結局取り返せずに、結果はベスト8。

 

試合が終わったときに感じたのは「2年生でインターハイを優勝してからずっと大きなプレッシャーの中で頑張れたのはいい経験だったけど、もう少し気持ちに余裕を持つことが出来たんじゃないか?」ってことだよね。終わってから気づくんじゃ遅いけど、本当にそう思ったよ。

 

試合後、ある先輩に「大きいプレッシャーの中でよく頑張ったね」って言われたんだけど、安心感というか「わかってくれる人がいた」って嬉しい気持ちになって、あれは泣いたなぁ。

 

━━ 実はその試合近くで見てました。先輩、負けたあと礼をして試合場から出た瞬間に崩れ落ちて、歩けなくなっちゃって……。覚えてますか?

 

饒平名:覚えてるよ。なんなんだろうね。きっと悔しかったんだと思う。うん。プレッシャーも凄かったけど、やるからに勝ちたくて、だけど負けて。

 

━━ インターハイが終わって「悔しさ」と「プレッシャーからの解放」はどっちが大きかったんですか?

 

饒平名:悔しさかな。勝つことで証明したかったこともあるから、それが出来なかったのはやっぱりね。

 

━━ いま高3の自分へ、声をかけられるとすれば何を伝えたい?

 

饒平名:「力を抜いて。気持ちを楽にして。結果だけに囚われなくていいんだよ。自分のやりたいことを伸び伸びしていいんだよ。柔道を楽しんでね」って伝えたい。

 

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━━ 話を大学に進めます。大学時代、思い出深かったことを話してもらえますか?

 

饒平名:筑波大学に進学したんだけど、オリンピック選手や日本代表はもちろん大きな大会で活躍している人がそこら中にいる世界だったのね。普通なら「こんなところで学べるんだ」ってキラキラすると思うんだけど、私はそこで縮こまっちゃって。

 

インターハイ優勝枠で入ったものの「本当に私でよかったのか?」って思いがずっと付きまとって、思いっきり柔道が出来なかった、、、。

 

例えばものすごい努力をして念願のインターハイで優勝出来たのなら、それは大きな自信になると思うんだけど、ベスト8でいいと思っていたインターハイで優勝しちゃったから、こんなんでいいのかな?って気持ちで最初筑波に来てしまってね……。

 

それに筑波大は自主性を重んじる大学だから、高校までの「やらされる練習」ではなくて。そこで自分を追い込めなくて結果も右肩下がりに……。

 

━━ 4年間ズルズルいったんですか?

 

饒平名:3年生の途中まで。まあそんな状態ではあったけど1、2年の時は関東大会を勝ち抜けて全国大会にも出れてたのね。

 

だけど、3年からはついに気持ちがついて来なくなって。心と体が不一致過ぎて、親にも「今年の試合は観にこなくていいよ。たぶん1回戦で負けてインカレも出れないと思うから」って電話で伝えたら、本当にそうなってしまった。

 

その時、大学に行かせてくれて、いつも応援してくれている親のことを考えたら「私はなにをやっているんだろう」って、目が醒めたというか、やっと気がついた。

 

大学生活は残り1年。4年生で結果を出しても遅いんだけど、遅いとかじゃなくてやることに意味があるんだと決めて、心を入れ替えて練習に励んでね、、、。

 

1年後、4年生になって出た関東大会で優勝して、もう1度日本一を目指そうと出場した大学最後の全国大会は準決勝まで上がったけど、そこで負けて3位って結果だった。

 

━━ 高校までの先輩しか知らなかったから、そんなことがあったんだと驚きでいっぱいです。全国大会が終わったあとも試合は続くじゃないですか?どうでしたか?

 

饒平名:全国大会で気持ちがプツンと切れちゃってね。縮こまって苦しんだ4年間だったから、大学最後の1年は自分の殻を破れた手応えもあって満足しちゃったんだよね。講道館杯も控えていたけど、まったく練習に身が入らなかった。

 

講道館杯、1回戦で高校生に負けたのに全然悔しくなくて涙も出なかったから「ああ、終わった」って気持ちになってさ。こんなんで現役を続けても意味がない、自分の柔道人生に終止符を打とうって。

 

悔しさがないってことは「もう自分の柔道人生に満足したのかな」って思えて、素直に現役から離れようと決めました。

 

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***

 

━━ ここからはいくつか質問をしたいと思います。尊敬してる選手は?

 

饒平名:福見先輩。

(※ 福見友子選手 ロンドンオリンピック柔道-48kg級 5位)

 

━━ そう言えば、先輩ってロンドンオリンピックで福見選手の付き人でしたよね?ロンドンに行ったときの話を教えて下さい。

 

饒平名:ハリーポッターの9と4分の3番線を見に行ったり、散歩や買い物に出かけたりが多かったかな。二十歳の誕生日を向こうで迎えたんだけど、通っていたジェラート屋さんがサプライズでケーキを用意してくれてたの嬉しかったなぁ。

 

付き人でオリンピックに連れて行ってくれた福見先輩には感謝でいっぱいです。

 

━━ 柔道でいちばんの思い出は?

 

饒平名:減量。高校時代の面白い話聞く?

 

試合前にあと1kg落とさないといけなかったんだけど、サウナに入ってもサラサラで汗が出ない。いくらガムを噛んでも唾液が出ないってことがあったのね。もちろんお腹は空いて、喉はカラカラ。

 

そのとき、お母さんが新聞を読んでいたんだけど、なにを思ったのか、お母さんの二の腕に思いっきり噛みついちゃってさ。肉に見えたのかな?

 

相当強く噛んでるのに、お母さん、全然振り払わなくて…。ハッと我に帰って顔を見たら、ボロボロ涙を流して泣いていて「ごめん、お母さんごめん」って慌てて謝って。

 

次の日、お母さんの二の腕を見たら痛そうに青くなっていて、そんなになるまで強く噛んだのに、気が済むまで噛ませてくれてた……。

 

━━ すみません。まったく笑えないし、もしかして泣かそうとしてます?。

 

饒平名:いまとなれば笑い話だよ!!(笑)

 

━━ いや、本当に泣きそうだからやめて。

 

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━━ 先輩は外国の柔道に興味があると聞いているんですけど、その話もしてもらえますか?

 

饒平名:筑波大学には外国人選手が時期を問わず合宿に来ていたんだけど、見たかぎり練習は日本人の半分しかしてなかったのね。それなのに、国際大会では日本人に勝つこともある。

 

簡単な話、オンとオフの使い方が上手いってことなんだろうけど、それが「なんでだろう?」って気になって。ざっとだけど「オンとオフの切り替え」「小さい頃から指導者が変わらないメリットの働き」「オリンピックになると突然結果を出す分析力」「日本の柔道人口は減る一方で外国は増えている理由」なんかには特に興味があって、直接外国に見に行きたいって思いがある。

 

柔道に対する考え方が日本とはどう違うのだろう?レベルが上がるにつれ、海外選手はどこに力を入れて、趣を置いているのだろう?ってところも気になる。

 

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━━ 柔道から学んだこと、好きな言葉を教えて下さい。

 

饒平名:いちばん学んだのは「感謝の気持ち」かな。ありふれた言葉だけどここまでの過程をたどれば、やっぱり「感謝」だと思う。支えてくれた人たちがいたから頑張ってこれた訳で、決して自分ひとりの柔道ではなかったから。

 

好きな言葉は「勇気」。中学の先生がよく話してた「どんなに怖くても立ち向かっていくこと」は私に必要だし、大切なことだから。

 

━━ 先輩にとって「柔道」とはなんでしょうか?

 

饒平名:私の未来を明るくさせたもの。です。

 

━━ これからどんな人間になりたい?

 

饒平名:現役のときは柔道で勇気を与えられる人になりたいと思っていたのだけど、引退した今の私は何で勇気を与えることができるのか?考えているところなんだよね。

 

いまの私は学ぶことを惜しまないかな?学び続ける人でありたい。

 

━━ いま1番やりたいことは?

饒平名:とにかく旅行。いろんな国に行っていろんな人に触れ合って、沢山の体験したい。百聞は一見にしかずということわざもあるように、自分の目でいろんなことを確かめたい!!!!世界は広いからね!!

 

━━ では、最後に柔道をしているみんなへ一言お願いします。

 

饒平名:とにかく楽しんでやってほしいなと思う。私は柔道を通していろんな人に支えられてここまで来れたし、一緒に頑張る仲間たちに出会えたことも素敵なことだと思っています。

 

勝負の世界だから苦しいことはいくつもあるけど、いつか自分自身を大きく成長させてくれて、柔道をやっていて良かったなと思ってくれたら嬉しい。

 

何度も言うようだけど、柔道を頑張って来たからいろんな仲間に出会うことが出来たし、海外にも友達が出来た。それが今1番自分の財産かなと思っています。

 

「忘れるな!感謝の気持ち!!」これだけは絶対。

 

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***

 

取材を終えてから「勇気」とは何なのか、ひとりで考えてみた。

 

僕が思うに「勇気」とは目の前の自分にちゃんと向き合うことなのではないだろうか?

 

誰かのために。自分のために。そっと気持ちを震わせて、前へ飛び出してみる。そうして振り絞った勇気が、まわりに伝染して、ジワジワと広がり、次へ次へと連鎖していくのだと思う。

 

そして、1度ついた火種は簡単には消えない。

 

苦しいことや辛いことを微塵も感じさせず、自然体でいる饒平名先輩の話を聴いて、ほんの少しでも先輩のような「まわりに勇気を与えられる人」になれたらいいなと思った。

 

よーし、頑張るぞー!!

Text by 平良賢人 (@taiken0422

 

最高の準備の後に、最高の結果が待っている。#010 原沢久喜

※こちらの記事は2021年3月に書いたものです。

3月某日。僕はすこし緊張しながら近所のマクドナルドにいた。

それは決して持参した炊飯器でビッグマックセットを炊き込んでやろうだとか、ポテトをおかずにマックシェイク10杯きめてやろうだとか、そんなアウトローな目的があった訳ではない。

なんと有意義にも、世界を舞台に活躍する柔道家をZOOM越しでインタビューする予定があったのだ、、、!!(マックのWi-Fiをお借りしました)

今回取材したのは柔道日本代表の原沢久喜選手。あまり柔道を知らない方々のために一応補足しておくと、彼はリオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得し、東京オリンピック日本代表にも内定している

(原沢選手は僕が日本大学柔道部に所属していた時の1期先輩なのでもちろん面識はあるのだけど、内心こんなブログに登場していただくのは恐れ多いというか何というか。ちなみにこの記事は以前のブログに登場してくれたレイズカヨル選手の後押しもあって実現しました。カヨルありがとう!)

レイズ選手を取材した記事はこちら。ちなみに文章上見えづらいですが、今回もインタビュアーとして参加してくれています。(土下座)

 

taiken0422.hatenablog.com

前半は高校、大学のこと。後半は社会人になってからと現在のおはなしです。

***


原沢 久喜(hisayosi harasawa)
1992年7月3日 山口生まれ 弟は俳優の原沢侑高さん
職業 百五銀行所属の柔道選手
東京オリンピック柔道日本代表内定

主な実績
・2016 リオデジャネイロオリンピック 2位
・2019 グランドスラムデュッセルドルフ 優勝
・2019 ワールドマスターズ青島 優勝
・2019 世界選手権 2位

 

恐るべき成長曲線。高校入学時66キロだった人間が、高3の夏には115キロに急成長

—— 原沢先輩お久しぶりです。今日は先輩の高校時代から大学、社会人と話を進めながら、僕が気になる質問を挟んでいければと思います。よろしくお願いします。

原沢:よろしく。フラットな感じで、この関係だから話せることもあるだろうし、ネットにも出ていない外れた話もしてみよう。

 

—— いいんですか?ありがとうございます!!

 

では、まず高校時代の話から聞きたいのですが、当時から「将来はオリンピックで金メダル」を目指していたんですか?

 

原沢:いや、全然考えてなかった。インターハイで上位入賞したいなって気持ちはあったけど、日本一になりたいと思い始めたのも大学生にになってからだから。

俺は地元山口県の高校出身で全国的な強豪校でもなかったから、部員も少なくて練習環境もあまり恵まれてもいない状況だった。

—— 部員て何名ですか?

 

原沢:5、6名かな。

 

—— おぉ……想像以上に少ない……。全国の強豪校だと部員が30名以上いるイメージです。

先輩は高3の時にインターハイ3位全日本ジュニア準優勝の成績を納めていますが、そのような環境下で一体どうやって強くなったのでしょうか?

 

原沢:体の成長期が高校生の時にあってそのタイミングで体を大きくしたことと、練習では部員も少なくて相手もいなかった分、ウエイトをしたり走ったりそういうところに趣を置いていたことが強くなれた要因かな。

 

—— なるほど。成長期っていうのはどのくらい大きくなったんですか?

原沢:高校に入学した時点での階級はー66kg級(軽量級)だったけど、高3の夏には+100kg級(重量級)で試合に出てた。高2の終わりが90kgで、インターハイでは115kgくらいあったと思う。

 

—— ええ……!!いくらなんでも大きくなりすぎですよ!成長期なんて言葉では片付けられない生物としての強さを感じます、、、。

原沢:1日5食、吐きそうになりながら食べてたよ。朝食を家で食べて、早弁して、昼ごはん食べて、練習前に食べて、夜家帰って食べるみたいな。増量は監督の先生にやらされていたとかではなく、自分の意思で体を大きくしたいと思っていたから、頑張って食べた。

 

—— 自分の意思!!実は僕も高校時代に30キロ増量したんですけど、前向きな気持ちで食事したことなんて1度もなかったです。

その食事量にウエイトトレーニングと走り込みかぁ、、、。そういえば先輩って足速かったですよね?増量して大きくなっても動ける体作りがすごいですよ。

 

それに考え方ですね。苦しくても目的意識を持って食事に取り組むこと。そうでなければただの拷問ですし。

原沢:そうだね。まあ高校生とか大学生の増量と減量ってけっこう滅茶苦茶だから、そこは指導者も勉強していくことが大事だと思うな。

—— 確かに。確かにすぎますね。

ちなみに先輩の好きな食べ物はなんですか?

 

原沢:肉。

 

***

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日本大学柔道部のおはなし

—— 足速いで思い出したんですけど先輩って大学の朝練、長距離ズルしてませんでした?5周なのに4周で終わるみたいな。

日大に入って初めて先輩を見た時「おお、原沢だ。すげーな」って憧れていたのに「あれ、めっちゃズルするじゃん」って思いました。

原沢:してたね(笑)

 

—— してたね(笑)。じゃなくて、ちゃんとやってください!

原沢:それにはちゃんと理由があって、明らかに意味がないと判断したのは「これはやらない方がいい」と思ったんだよ。

—— あぁ、庇うわけではないけど確かに先輩は「これは為になんねえわ」とか言ってましたね、、、。キツいからサボるんじゃなくて、必要か不必要かを考えて選択してた。

原沢:そうそう。だから400Mダッシュとかはちゃんとやってた。

—— 確かに。あれは速かった。

 

高校で叩き上げられてやれやれ言われてきて、大学でもやれやれ言われるから、普通ならそのノリでとりあえずやるのに、ちゃんと自分の考えを持ってトレーニングすることが大切なんだなって今さらながら思いました。

(あれ、朝練サボってた奴の話なのに、なんかいい感じになったぞ)

 

—— 当時日大柔道部っていろんな意味で強烈だったじゃないですか?「これはスゴかった」ってエピソードを1つ教えていただけますか。

原沢:大学1年生の時、講道館杯の応援に行って、帰り集合した時に「今から名前を呼ぶメンバーは帰って打ち込みするぞ」って言われて、帰って道場に集合したら「俺たちはまだまだ弱い。だから紙一重の紙一枚を積み重ねる作業をする」って言われて、夜から打ち込み1000本したことかな。

—— やばっ!!(笑)

やばすぎて笑っちゃいました(笑)

 

***

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強くなるターニングポイントになった大学2年生。挫折を経験した大学4年生

—— 大学で「これがあったから今がある」というような出来事ってありますか?

原沢:大学で自分が強くなれたターニングポイントは2年の団体戦(全日本学生柔道優勝大会)だと思っていて、そこで自信がついたというか、上のレベルでも戦っていける感触を掴めた。決勝の舞台も経験できて自分自身に勢いもついたかな。

 

それを機に学生チャンピオンにもなって、オリンピックを意識するようになったから。

 

—— あの団体戦ですね。めちゃめちゃ覚えてますよ。

これは余談ですが、決勝戦で負けた日の夜に杉田先輩(原沢先輩の同期。僕の1学年先輩)と話したんです。

僕が「悔しいですけど、先輩たち本当にかっこよかったですね」みたいなこと言ったら、杉田先輩は「俺も悔しかった。チームの負けは本当に悔しい。だけど、少しホッとしてる自分もいる。

 

同期たちが活躍していく姿を俺は素直に喜べない。来年は必ずメンバーに入って日本一になる」って真剣な顔で話してて。

まだ日大に入学して3ヶ月とかだったんですけど「これが本気で日本一を狙うチームなんだな」って思いました。

 

原沢:うんうん。

 

—— 団体戦が終わったその年は個人でも学生チャンピオンになって、シニアの日本代表レベルが参戦する講道館杯でも優勝。大学3年生で全日本選手権準優勝だなんて飛ぶ鳥落とす勢いというか、物凄い飛躍です。

大学での柔道生活は順風満帆でしたか?

 

原沢:んー、どうだろう、かなり落ち込んだこともあったから。

 

大学4年生の講道館杯で1回戦負けをして、それはリオオリンピックに向けても大事な大会だったから、挫折というか本当にガックリしたね。

—— あぁ、、、ありましたね。それはガックリしますよね……。どんな心境だったんですか?

原沢:自分の目標が「もう無理なんだ」と現実味を帯びてきて、いろんな感情が渦巻いてるって感じかな。

でも逆に開き直ってやれたのが結果的にリオには繋がったのかなぁとは思ってる。

—— 会場にいた誰もがまさか1回戦で負けるだなんて思ってもいませんでした。だけど講道館杯で負けた後に驚異の国際大会7連勝。開き直れたキッカケはありますか?

 

原沢:もうどん底まで落ちたから「ここで勝たないといけない」とか「負けたらどうしよう」ってプレッシャーがなくて、代表とか考えずに「自分のやりたいようにやろう」って気持ちだったかな。

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***

 

初の全日本選手権優勝

 

原沢:自分の中でターニングポイントになった出来事がもう一つあって、それが日大を卒業して、社会人1年目の全日本選手権で優勝したこと。

—— 覚えてます覚えてます。七戸龍選手と決勝戦した時ですよね。

原沢:大学2年で講道館杯で優勝したり3年生の時に全日本で準優勝したりしたんだけど、それは自分の実力というよりは勢いで結果が出てた部分もあって、ずっと自分の実力以上のモノで勝っていた。だから4年生の講道館杯と全日本は勝てなかったんだと思う。

けど、その過程を経て社会人になって全日本で優勝出来たことは勢いだけじゃなくて、ちゃんと実力で勝てた手応えがあったから、自信をつけるキッカケになった。

社会人はある程度自分の好きなように練習をやれるから、そこで結果が出るのは嬉しいよね。

—— 全日本選手権で優勝したとき嬉しそうでしたよね。もちろん僕たちも嬉しかったので、先輩がインタビューされてる時に勝手にトロフィー並べて写真撮りました。(笑)

原沢:全日本にはやっぱり特別な思いがあるし、それは自分以上にまわりの人たちの喜びようからも感じたかな。

—— 当時所属していたJRA日本中央競馬会の同期の人たちかな?会社の人たちまで畳におりて来て、みんなで喜んでいたのが印象的でした。

 

人気者だったんですか?

原沢:ちゃんと仕事してたからね(笑)

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—— 人柄かな?先輩も嬉しかったですか?

原沢:嬉しいね。やっぱり応援される選手でありたいと思うし、人としてそうじゃなきゃいけないとも思うから。

 

—— 愛されてるんだなって思いました。先輩は応援したくなります!

 

原沢:ありがとう(笑)

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***

 

ネットに出てない話をしよう

 

—— どうせならネットに出ていない話もしたいなということで、いくつか質問しますね。

自分を奮い立たせる言葉ってありますか?

 

原沢:えっーとね、「最高の準備の後に、最高の結果が待っている」かな。

 

—— 名言ですね。ちなみにこれは誰の言葉ですか?

 

原沢:これはね、自分で考えた(笑)。

 

—— じ、自分!!(笑)。

 

どうしてこの言葉を?

 

原沢:柔道の話なんだけど、試合に向けて一番いい準備を出来た人が本番では勝つと考えていて、その準備っていうのは日々の練習やトレーニング、私生活の積み重ねなんだよな。

 

最高の準備が出来た人がきっと勝つし、勝つべきだと思う

 

試合の時に「もうこれ以上やることはないな。もう全てやってきた」ってそういう自信とか過程は絶対に結果と繋がっているから、それを信じてやってる。

—— 最高の準備か〜…!確かにこれ以上やることはないと思えたら、それは自信に繋がるだろうし、勝つことでそれまで自分が積み重ねてきた努力を証明出来たらいいなって思います。

最高の準備の後に、最高の結果が待っている。by原沢久喜

ですね!

 

原沢:おい。

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—— 次の質問をしますね。先輩はJRAを退職後、フリーになって現在は百五銀行に所属しています。自炊することも増えたと思うのですが、そのへんはいかがですか?

原沢:毎日毎日する訳じゃなけど、栄養士の先生と相談しながらやってるよ。

 

—— もともと料理するタイプですか?

原沢:いや、全然しない。

 

—— なるほど。これを機に何か得意料理はできましたか?よく海外に行くんだから、舌がグルメな感じしますよ。

 

原沢:得意料理?、、、は別にないんだよな(笑)。必要な栄養素を摂るって感じだから、頑張って作ろうみたいなモチベーションは特にないし。

 

—— 味よりもタンパク質みたいな?

 

原沢:そうそう。

 

—— もしかして、玄米に卵と納豆と豆腐ぶち込んでないですよね?いや、美味しいけども。

 

原沢:そんなひどくないよ(笑)。シンプルな時短料理で、洗い物も少ない感じのやつ。鍋とか楽でいいじゃん。

 

—— ああ、洗い物少ないは大事ですね。鍋も美味しいです。

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どん底リオ五輪後(2017年のこと)

2016リオデジャネイロオリンピックで銀メダルを獲得した原沢先輩は翌年2017のシーズンを絶不調で迎えることになる。

 

2月のグランプリ・デュッセルドルフでは決勝戦で同時出場していた日本代表選手に敗退して2位。4月の全日本選抜体重別選手権でも準決勝で敗れて3位。全日本選手権では準々決勝で締め落とされての一本負け。

当時、原沢先輩は「落ちるところまで落ちたので、来年、必ず強くなって帰ってきたい」とコメントしている。

過去の実績を評価され、同年9月の世界選手権には日本代表として出場するも初戦敗退。

実はこの時、原沢先輩は心身が慢性疲労となる「オーバートレーニング症候群」に陥っていた。

—— 感覚が違うんですか?すぐ疲れるみたいな?

原沢:そうだね。それまでと練習量が変わった訳ではないのに、すぐ息が上がるって感じかな。まあ追い込んだ稽古をしてたから、悪い傾向ではないと思っていたんだけど、なかなか症状が良くならなくて。

—— 原因は体の疲れ何でしょうか?それとも心?

 

原沢:両方かな。リオが終わってなかなか気持ちが入らない中で、次の戦いは始まっているから練習はしなくちゃいけないし、もちろん東京オリンピックという目標があるから頑張らなくちゃって気持ちもある。自分の中でモチベーションが上がらないって状況に心と体のズレがあった。

—— 休養期間は何をしていたんですか?

 

原沢:その頃は会社にも行ってたから、出社したり軽く散歩してトレーニングしたりかな。

—— 先輩って2018年4月の全日本選手権後にJRA退社されてますよね?フリーになろうと思った気持ちを聞いていいですか?

原沢:JRAにいる時は仕事もしながら競技ができて、両立するって形でやっていたから、引退してもそのまま会社に残してもらえるんだけど、そこが自分の中で引っ掛かりになった。

 

柔道でチャンピオンになることを目指しているのに、仕事と半分半分でやって二足のわらじじゃないけど、それはどうなんだろうって。

それよりは100パーセント柔道に向き合って、100パーセント集中してやらないと勝てないのではないか?って気持ちになったし、柔道が終わった後の人生も、自分の結果で切り拓いていきたいという考えもあった。

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2度目の全日本選手権優勝

原沢:2018年の全日本を最後に会社を辞めることが決まっていて、恩返しじゃないけど、最後優勝して終わりたいなって思ってた。

 

その日は調子が良くなくて、延長戦が続いたし、体力を消耗する試合も多くて、決勝戦も内心「ちょっと厳しいかな」なんて思っていて。自分で言うのもあれだけど、気力で戦ったかな。

—— 僕はその試合、テレビで見ていました。王子谷剛志選手との決勝戦ですよね。大外刈の打ち合いから延長戦までもつれる大熱戦。最後は指導を奪う執念のスタミナ勝ち。

記憶ありますか?

原沢:細かいことは途中から覚えてないんだよな。キツすぎて。

—— あの試合、本当に凄かったです。柔道っていうよりは魂と魂のぶつかり合い、気力と気力の戦いでした。

勝ち名乗りを受けて、畳からおりたところで泣いてましたよね?先輩が泣いている姿を初めて見たので胸を打つものがありましたよ。

原沢:勝って泣いたのは初めてで、その日、苦しい試合が多くて、そこで勝てたっていうのは嬉しかったし、自分の決断とか会社を辞めてこれからって時だったから、いろんな感情が重なった……。

まあ3秒で泣き止んだけどね。

—— 最後まで諦めずに頑張れた理由は何でしょうか?

原沢:諦めたくないと思ってやっていたんじゃなくて、心の底で自分が意識していないものが出たというか、、、。普段から勝ちたいと思ってるし、その時、負けたくないから頑張ろうと思ったんじゃなくて、自然とって感じかな

—— うわぁ、、、めちゃめちゃいい話、、、。それこそ魂というか言葉にならない思いというか。3秒は余計だけど。

※2018全日本柔道選手権勝戦の動画

 

オリンピックで金メダルを目指す理由とその先のこと

 

—— あの、ちょっと変なこと聞くんですけど、そもそも何でオリンピックで金メダル獲りたいんですか?

原沢:自分が人生を懸けて、こだわりを持ってやってきたことだから、その道を極めたいって気持ちがある。その指標はオリンピックで優勝することだと思っているから、その意味ではしっかり金メダルを獲りたい

そうして、自分のために頑張っていることが、結果的として応援してくれる人や支えてくれている人たちに喜んでもらえたらいいかな。

—— オリンピックが終わったら何をしたいですか?

原沢:ゆっくりしたいかな。

—— まだしばらくは先だと思いますが、引退した後に何かやりたいことはありますか?

原沢:柔道が今後こうなって欲しいというのはあって、柔道にもっといろんな人が興味を持って欲しいし、もっとたくさんの人にやってみて欲しいなと思ってる。柔道って敷居が高いイメージがあるじゃん?やろうと思っても直ぐにはやれない、どこでやればいいかも分からない、まずはその壁を壊したい。

勝利至上主義じゃないけど、現状日本はそういう側面がすごく強いから、それはトップレベルには必要なことだけど、街でやっている道場とか小学生にはしっかり柔道を楽しんでもらって、大人になってやってもやらなくても「柔道をやってきたから今の自分がある」と思える人が増えて欲しい。

だから競技としての柔道だけじゃなくて、人がすごい楽しめたり、誇りを持てるスポーツになって欲しいなという気持ちがある。

—— 実現するには何が必要だと思いますか?

原沢:俺たちはしっかり活躍して柔道って面白いスポーツだよと伝えることが大事なのかな。それは立場的に自分が出来ることでもあるはずだから。

それとやっぱり役割分担かな。指導者、トップ選手、その他などなど。その為には柔道界全体の空気を変える必要もあるね。

—— うんうん。僕はイタリアの少年柔道に行ったことがあるのですが、そこでは子どもと大人が同じ目線で和気あいあいと柔道を楽しんでいました。そのような雰囲気の道場が増えることは素敵だし、必要だと思います。

SNSを見ていると既にそのような取り組みを始めている人をちらほら見かけますので、原沢先輩がそのような考えを持っているのは心強いのではないでしょうか。もちろん簡単な問題ではありませんが。

原沢:子どもたちだって勝ちたいとは思っているだろうから、まあそこだけに目を向かせるんじゃなくてね。

—— そうですね、今後柔道界全体で考えていかなければいけないことだと思います……。またいろいろお話聞かせてください!

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取材を終えて、それまでマイペースでどこか摘みどころがないというか、原沢久喜という男に対して抱いていたイメージが、ある言葉に澄んと落ち着いた。

それは「自然体」という言葉だ。

原沢先輩にはいつも自分の軸があって、その軸は根強くどっしりとしながらも、心やわらかなしなやかさも兼ね備えている。だから人を惹きつけるし、沢山の人から応援されるのだろう。

コロナ渦という不安はあるのだけれど、東京オリンピックが開催されるのならば、彼が人生を懸けてやってきた柔道を、変わらない想いを、ちゃんと見届けたいし、みんなにも見て欲しいなと思った。

***

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422 
Interviewer by レイズカヨル(@kyle__reyes

今回取材させてもらった原沢久喜選手のSNSはこちら。

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「心を整える」ハッピーな初心が私の柔道を輝かせる。#009 堀川恵

第9回はこの人。2022世界選手権優勝の堀川恵選手と話しました。

 

彼女は高校2年生でグランドスラム東京を史上最年少で制し、一躍脚光を浴びたものの、それからの選手としてのキャリアは決して順風満帆とはいかず、長い期間もがき苦しみ続け、遂に開花した苦労人の世界チャンピオン。

 

だと思っていた人は絶対に読んでください。

 

そうなんだけど、そうじゃないんだ!

 

前半は僕が聞きたかった堀川選手のこと。

後半は堀川選手が教えてくれた自分に合った気持ちの整え方です。

※取材中の8割は笑っていたので、リラックスして読んでもらえると嬉しいです。

 

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堀川 恵(megumi horikawa)
1995年10月18日 長野生まれ 
職業 パーク24株式会社所属の柔道選手(日本代表)

主な実績 
・2022 グランドスラムテルアビブ 優勝
・2022 グランドスラムブダペスト 優勝
・2022 世界選手権 優勝
・2022 グランドスラム東京 3位

 

━━ 高校生でグランドスラムを優勝してから、大学、社会人へと進む過程の中でこれは大変だったなって時期はありますか?

 

堀川:うーん、学生時代はオリンピックを目指すという点では及ばなかったし、国際大会で勝てなかったりもしたのですが、国内の大会は何度か勝てていたので、まだ大丈夫でした。

 

イメージを崩してしまうかも知れませんが、あんまりコテコテのめっちゃ努力しますってタイプではないので、当時を振り返ると「意外と勝ってなかったな、山あり谷ありじゃん」って感じです。(笑)

 

まあ社会人1、2年目はキツかったですね。

 

━━ それは実業団に入って柔道が仕事になったというプレッシャーが原因なんでしょうか?

 

堀川:大学生は4年間という決められた時間があるけど、実業団に入ってこれから自分の競技生活は残りどれくらいかなって考えた時に、初っ端から負けが続いてて、先行きが見えないことがすごくキツかったです。

 

経験的に環境が変わったばかりの時はだいたい上手くいかないみたいで、その時は投げやりにもなりかけました。もう辞めてもいいかなって。

 

━━ そうだったんですね、、、投げやりになった時の話を具体的に教えてください。

 

堀川:んー、そうですね。もう辞めてもいいやって思ったら、普通に先生に「次東京無理だったら辞めます」とか言ってました。辞めます、もういいですみたいな。(笑)

 

━━ え、先生ってパーク24の園田先生ですか?

 

堀川:そうです、園田先生です。先生が「体を動かすのは本人だから、本人がやる気出なきゃこっちがいくらやれって言っても出来ない。やれるんならやれるところまでやった方が絶対にいいと思う」って話してくれて。それなら、じゃあやるかって。(笑)

 

━━ (笑)

 

上手くいかなくてストレスが溜まっちゃうとか大丈夫でした?

 

堀川:ないないないないないです、私そんなデリケートじゃないです。(笑)

注 堀川選手、右手をめっちゃ左右に振る

 

━━ これは本当になさそうですね。僕はてっきり深刻に落ち込んだりしたのかなって想像していました。(笑)

 

自分の中での気持ちの変化はどういったものだったんですか?

 

堀川:最初はもう柔道が楽しくないだとか嫌いだとかばかり思っていたんですけど、いざ辞めるとなった時に、なんで自分は柔道をしてきたのか思い出してみると、元々私は楽しく柔道をするのが好きだったことに気づいたんですね。

 

それなのに最後が嫌いになって終わるではすごく勿体無いのでは?と思って、気楽にと言ったら変ですけど「柔道は楽しいものだし、楽しんでやろうかな」って気持ちになりました。

 

あとそのあたりから、周りの声や話もスッと自分に入ってくるようになった感覚があります。

 

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━━ 東京オリンピックの代表が決まってからも、現役を続けることを決めて稽古に励む中で、メンタルがマイナスよりになることもあったのではないかと思います。

 

堀川:そうですね。自分の中で考えることはすごくあって、自問自答していました。ただ試合でどうこうよりも試したい柔道を実践してみることが面白かったり、当時はまだ実業団3位とかなんですけど、やっとちょっと戻ってこれたねみたいなところがあったりして、そういうちょっとずつが積み重なって気持ちも明るい方に向いて来ました。

 

自分の中でやれるところまでやってみようの延長延長延長で今みたいな感じです。(笑)

 

━━ 自然体で素敵ですね。堀川選手にとっての楽しい柔道を思い出せたことが、本当に効果的だったんでしょうね。

 

堀川:私の家族が私の柔道に対してすごく暖かくて、父は松本第一高校の監督でもあるんですけど、全く怒られたこともなく「柔道は気楽に好きなだけやったらいいよ」って言ってくれていて、そういうバックボーンがあったから、自由に楽しくやりたいなってこんな性格のままこれたのかなと思います。

 

━━ もしお父さんが巨人の星みたいだったらどうしますか?

 

堀川:泣いちゃいます。私自身がそもそも厳しくされると「もうやだ。やんない。帰る」みたいな感じでどっか行っちゃうんで。褒められた方が伸びます。(笑)

 

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━━ 話を少し遡るのですが、2017年の全日本選抜柔道体重別選手権大会で堀川さんが優勝した-63kg級は世界選手権への派遣なしだったじゃないですか。当時の気持ちを教えてください。

 

堀川:んー、やっぱり「え?」ってなりましたし、実家に帰って犬の散歩をしながら田んぼでめっちゃ泣きました。「まじで、なんで〜」みたいな。(笑)

 

まあその時はそう思ったんですけど、時間が経って自分で考えたら海外の成績もあまり出てなかったし、安定して勝っているかと言われれば自信を持ってそうとは言えなかったし、あのタイミングで選抜は勝ったけど、落ち着いてみれば、そう思うしかないって感じでした。

 

━━ なるほど、受け入れるしかなかったという感じでしょうか?

 

堀川:そうなんですけど、本音を言うと勝負はやってみないと分からないことだから、チャンスすらもらえないのは何でだろうとは思いました。

 

━━ そうですね、やる前から決めつける必要もないですもんね。

 

では更に話を遡ります。高校生の時の話なんですけど、堀川選手は1年生でインターハイを準優勝していますが、これは優勝を狙っていたんですか?

 

堀川:インターハイに限らずなんですけど、どの大会もあんまり「優勝しよう」って気持ちでは挑まないというか、こう湧き上がる闘志で戦うタイプではないんですよね、、、。

 

どちらかというと、眉毛を剃ったらダメだけど、眉毛剃っちゃう方のタイプです。しっかりお洒落も忘れずみたいな。すみません、若気の至りです。(笑)

 

━━ やるぞやるぞ!ではなく、ちょっと頑張るかって感覚でしょうか?

 

堀川:そんなイメージです。中学の先生に言われたんですけど、優勝優勝っていっても、目の前の試合を1つずつ勝たないことには決勝にすら勝ち上がれないので、遠くを見過ぎず、一戦一戦しっかり試合していくって考えが私には合っていました

 

━━ 例えば決勝戦まで含めると1日5試合だったとして、一度にその全てを考えてしまうとそれなりに疲れや緊張が生まれてしまうから、余計なことは意識せず目の前のひとつだけに集中する。それをひっくるめた感覚の言語化が「ちょっと頑張るか」なのかなって思いました。

 

堀川:伸び伸びやるのが自分の柔道のいいところだと思っているので、心に余裕があるじゃないですけど、まわりが見えてるくらいの方がパフォーマンスはいいですね。あんまり固くなって力とか気持ちで勝てるタイプではないので、、、。

 

 

━━ 高校2年生はなんとグランドスラム東京を優勝するなど大活躍の年になりますが、そのシーズンの話を教えてください。

 

堀川:印象深いのは全日本ジュニアで優勝した時のことなんですけど、その頃は2学年上の佐野賀世子さんが私たちのスーパースターで、1年生のインハイも負けてて「うわ、この人マジで勝てないわ」って思っていたんですね。それで決勝戦で佐野さんとあたって、初めて勝ててそれが本当に嬉しかったです。

 

なのでその後の講道館杯はもう「イェーイ」って気持ちでした。(笑)

 

すみません、もうちょっと真面目に話しますね。

 

━━ いえいえ、そのままでお願いします。急に改まらないでください。(笑)

 

講道館杯はいつも通り伸び伸びやろうって気持ちですか?

 

堀川:失うものはないですし、自分の実力がシニアにどれだけ通用するのか、イケイケドンドンですね。

 

━━ 3位決定戦に勝利した時は嬉しかったですか?

 

堀川:試合に勝つのはもちろん嬉しいんですけど、まずは喜びよりもホッとすることの方が多くて。もうそれ以上やらなくていいじゃないですか、その日は。

 

━━ あ、そっちですか。(笑)

 

堀川:そうなんですよ、「うわ〜、今日やっと終わった〜」みたいな。

 

━━ グランドスラム東京に選ばれた時の気持ちは嬉しかったですか?

 

堀川:おおやったー、東京の試合だーって感じですね。

 

━━ グランドスラム東京講道館杯からワンステージ上がったシニアの国際大会です。これも相変わらずイケイケで?

 

堀川:ですね、当時の監督が園田先生だったんですけど「何も気にしないでいいから、自分の好きなようにやって」と声をかけてもらいましたし、私自身プレッシャーも何もないから、自分が好きな選手のみなさんと同じ舞台に立てていることが嬉しくて、その楽しい気持ちのまま試合をしました。

 

━━ 優勝した時の気持ちは?

 

堀川:ホッとしたです。(笑)

 

━━ 喜びよりもホッとするのはグランドスラムでも変わらないんですね。(笑)

 

堀川:変わらないですね。試合を見れば分かるんですけど、私、終わった時に一度「フッ」って顔してるんですよ。フッ、終わった〜、、、その後にイェーイって感じでした。

 

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***

 

━━ せっかくなので、堀川選手と中高でチームメイトだった出口クリスタ選手のお話も聞いていいでしょうか。実は以前、出口選手がこのブログに出てくれておりまして。

 

taiken0422.hatenablog.com

 

━━ 堀川選手から見た出口選手や何か2人のエピソードがあればお願いします。

 

堀川:普通に仲良いですね。ブログにも出ていたから分かると思うんですけど、あんな性格なんでトゲトゲは絶対してないじゃないですか。(笑)

 

でもまあめちゃめちゃ負けず嫌いですね、クリスタは。

 

━━ すごい気さくな方ですよね。堀川選手もなんですけど、いい意味でカチッとしてない。

 

2人は中学から一緒だったんですよね?

 

堀川:そうです、私が中学からクリスタの道場に移動しました。私の柔道人生で練習は中学が一番キツかったし、量も一番やり込んだ地獄の3年間です。

 

なんかヤバすぎてあんまり考えるあれもなく、とにかく練習して、とにかく試合して、とにかく戦って、とにかく練習してって感じでした。全国大会の試合直前に男子の先輩とめっちゃ乱取りさせられたりして。(笑)

 

━━ それ出口選手も話してました、、、。試合当日なのに超乱取りしたって、、、。

 

堀川:そうだ、それクリスタめっちゃしばかれてました。クリスタ一番しばかれてます。(笑)

 

━━ (笑)

 

堀川:クリスタは中学生の時、ほんとしばかれてるんで間違いないです。私はちょいちょいそういうのがあって、男子の先輩に引き摺り回されて、泣きながら乱取りして、試合行くみたいな。

 

ただクリスタは減量がキツかったのでそれも理由なんですけど、ふとした時に「え、私なんで?」って。(笑)

 

━━ めちゃめちゃ面白いです。そういうのが必要な時もありますよね。(笑)

 

 

━━ もう1つだけ何かエピソードがあればお話ししていただけますか?

 

堀川:高校時代、夏の暑い日に私とクリスタが元立ちで本数取りをしたんですけど、普段は10〜15本なのに先生が突然「50本」って言い出したんですよ。

 

━━ 10でも多いと思って聞いてたら、あとからとんでもない数字が出てきましたね。

 

堀川:私たちも「おや」ってなって、2人で「ん?」ってなったんですけど、先生も「ん?」ってなってて、もうやりました。やりましたよ。

 

━━ うわぁ、、、。

 

堀川:やりましたよ〜、まあ私はやりきれなくて、過呼吸で死んだんですけど。

 

━━ やば。(笑)

 

堀川:クリスタだけ全部やって、そのまま走り行かされてましたね。

 

━━ え、そっから走るんですか?

 

堀川:走ってましたね。私は陰で休んでいたんですけど。だからクリスタそれちょっと根に持ってます。「メグ、最後までやってないよね」って。(笑)

 

━━ 堀川選手にとって、出口選手の存在は良き友でありライバルという感じなのでしょうか?

 

堀川:んー、バチバチとかでは全くないですけど、高校1年生のインターハイでクリスタが1日早く試合をして優勝したんですね。優勝した時に涙が勝手に出てきて、でもこれは多分嬉しいとかそういう感情じゃないなって。

 

今までキツい練習をずっと一緒にしてきて、お互い中学からなかなか優勝出来ずにいて、先に優勝されちゃったか〜って気持ちになって。複雑でした。もちろん同級生の活躍だから一緒に喜ばなきゃって感情もあるし、そう思うとやっぱり負けたくない相手だったんだなとも思うし。

 

私が社会人になって「もう柔道やめます!」とか言ってる間にクリスタは世界チャンピオンになってて、その時はもう私とは比べようもなかったけど、いまやっと肩を並べられるところまで来れたので、ここからは一緒に勝っていければと思います。

 

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━━ これから柔道選手としてどのような存在になりたいとか、理想はありますか?

 

堀川:ありきたりだけど、目標にしてもらえたり、この選手が好きって名前をあげてもらえるようになれたら嬉しいです。それに柔道以外でもいろんなことに挑戦して、自分で人生を彩り豊かにといいますか、充実させられる人になりたいですね。

 

あと、柔道界って女子も含めてまわりから見た時の潜在意識が硬派というか、そういう意識が内にも外にも残っていると思うので、髪色とかネイルとか化粧とかそういうイメージ的なところも変えていけたらとは思います。柔道家である前にみんな普通の人なので。

 

━━ ああ、確かに理想の柔道家像みたいなものがあります。柔道イコール臭いがいつまで経ってもアップデートされない縮図といいますか。

 

堀川:みんな考えていることは「柔道がもっと親しみやすい競技になってほしい」で同じだと思うので、お堅く敷居が高いイメージじゃなくて、私は私自身が楽しいと思っている柔道を伝えていければいいなって思います。

 

━━ なるほど、楽しさを伝えるのは堀川選手にうってつけですね!みんながニコニコ笑いながら柔道に励んでいる姿が目に浮かびます。

 

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━━ では話は変わりますが、実業団での現在のスケジュールを教えてください。

 

堀川:午前はトレーニングか治療に行って、午後は大学で稽古ですね。パークでは週末に翌週1週間の予定を決めています。先生方も特に関与せず、本当に自分で考えてって感じですね。

 

━━ そうなんですね。朝練はされてないんですか?

 

堀川:してないですね。

 

※3秒沈黙の後、両者大笑い。

 

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堀川:午前のトレーニングもめちゃめちゃ追い込むとかではないですよね、、、。どうなんですかね、、、みんな、、、。

 

━━ 僕がこれまで話を聞いたみなさんはストイックな方が多かったですね。

 

堀川:あー、だから私、今回自信なかったんですよ。他の記事も読ませてもらってすごく面白くて、みんなの人生って紆余曲折というか凄まじくて興味そそられるなと思ってて、、、。

 

私は特に怪我も手術もないし、柔道を楽しくやってきて、それはそれでいいことなのかも知れないけど、何話せばいいんだよって不安だったんです、、、。

 

━━ 失礼かもですけど、ちょうどいい緩さというか。

 

堀川:そうなんです、私緩いんですよ。先生にもよく言われます、、、。そしてなんてったって自分に甘い、、、!!

 

━━ それこそ柔道界の偏見というか、僕は強い選手ほど地獄のような日々を生き抜いてきたというイメージを持っていたんですけど、今日堀川選手のお話を聞いてリセットされました。(笑)

 

堀川:そうです、私はそういう呪縛を全部消したいんです。(笑)

 

練習やトレーニングをしっかりやること、量をこなすことは必要だと思います。私も中学生の時はとんでもなく練習しましたし、高校ではすごい走りましたし、大学では朝練もあったので。

 

社会人になった今は自分がやってきたことの中から自分に必要なものをピックアップですね。私の柔道は普段から心の余裕もすごく大事だから、オンとオフは割けてやるようにしています。

 

 

━━ 堀川選手が競技を続けながら大事にしてることを教えてください。

 

堀川:ずっと考えることかなって思います。

 

やっぱり自分に合ったやり方だったり、長所の伸ばし方だったり、他にも自分のテンションが一番上がる状態、パフォーマンスが上手く発揮出来る状態など、そういうのをどう見つけることができるか。そのために何をどれだけチャレンジ出来るのか、どれだけ失敗してもそこからまた挑戦出来るかですよね。

 

もちろん私には考えることが合っていただけで、人によってがむしゃらに稽古しないとダメになる人もいるだろうし、すごく難しいです。

 

━━ 堀川選手の場合ってことですね。

 

堀川:実際、ある時にとにかく量を詰め込んだ稽古を続けて試合に出たんですけど、頑張って頑張ってそれまでやってきて、いざ畳の上に上がったら緊張で逆効果だったんです。自分の気持ちとか、自分の良い悪いに敏感になることも大事かなと思いました。

 

━━ 確かにプレッシャーがない時の方が力を出せたという話はよく聞きます。

 

堀川:でもそのリラックスした状態を作るのってどう考えても難しいじゃないですか。だってこんなに頑張ってるのに気楽になんて、気楽になんて出来るわけねえって思うんです。

 

━━ 確かに、、、頑張ってない方の気楽じゃないですもんね、、、。

 

堀川:どうしたら自分の一番いいパフォーマンスを発揮出来るのかってところは自分にしか分からないし、もちろん大会によっても違う。そこでいうと私は直感というかフィーリングを大事にすることが多いです。

 

あとはなるべく頭の整理をできるようにします。普段の練習でもただがむしゃらにだけじゃなくて、試合を想定して「今こういう状態だからもうちょっと攻める練習をしてみよう」とか考えますね。

 

あとこれは声を大にして伝えたいのですが「私はこういうことをして結果を出してるよ」って言いたい訳じゃなくて、ストイックな稽古やトレーニングに励む選手の姿勢や気持ちはすごく尊敬しています。

 

ただその中に楽しくやって、たまたま結果もついてきてる私みたいな人もいますよってそんな感じです。

 

━━ まさに堀川選手自身の経験を経て生まれた感覚だったり、考え方だと思います。言葉に奥行きがあるというか、そのまま受け取るのでなくて、一度自分の中でちゃんと咀嚼したいです。

 

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━━ 堀川選手が柔道でいいパフォーマンスを発揮するために、心の余裕が必要とのお話がありました。普段の生活でリラックスしてる時はどんな時ですか?

 

堀川:丁寧にコーヒーを淹れたり、お茶を淹れる時間を作ってみたり、ちょっとぶっていると「ああ、今いい感じの時間過ごしてるわ」ってなります。(笑)

 

━━ 丁寧な暮らしですね。(笑)

 

どういう時、どんな状態の自分が好きとかありますか?

 

堀川:楽しいことをしてる時、今の自分は輝いてるなと思える時の自分は好きですね。

 

前はけっこう自分に否定的で自信がなくて「私はダメだ私はダメだ」って思うことも多かったんです。でもある時「自分の人生なのに自分を嫌いになるのってすごく勿体無い」と思って、そこでまず自分を好きになることから始めて、、、。

 

いろんなところに一人旅に行ったり、丁寧な暮らしをいっぱいしてみたり。おしゃれをもっとしたりと、そういうことをしていたら自然と自分が好きになれました。

 

━━ 素敵なお話ですね。これは社会人になってからのことでしょうか?

 

堀川:はい、社会人2、3年目で時間と心に余裕が出来た頃です。柔道も自分も両方好きでいる方がいまのところ上手くいってますね。

 

━━ 自分を嫌いになる感覚もあったんですか?

 

堀川:ありましたね。出来なかったこと1度考え出すと、ネガティブな方にいっちゃう時ってありません?

 

どんどんどんどん、深く深く、答えのないことをぐるぐる回る時があって、なんでもっと試合で勝てないんだろう、なんでもっと努力できないんだろうとか、マイナスな方向に考えると自分のよくないところばかりに目がいって、そんな時は自分が嫌になってしまいました。

 

だから自分を好きになれたことはすごく嬉しかったんです。心に余裕があるからこそポジティブになれるのだと思います。

 

 

━━ では、最後に新年の目標を聞いてもよろしいでしょうか。

 

堀川:今年は世界チャンピオンとして全ての試合に出なきゃいけないのですが、やっぱり柔道だけに捉われない心の余裕を持ちながら、人生という括りの1つのステージとして全力で楽しみながら挑戦していきたい。

 

柔道を嫌いになったり、プレッシャーに押しつぶされたりはしたくないので、自分らしく小さなやりたいことだとか、小さな目標だとかをどんどん考えて、お仕事ですが楽しくやらせてもらっている柔道をこれからも継続してやれたらいいなって思います。

 

オリンピックも近いですし、そんな悠長に言ってられないんですけど、また1年の終わりに今年も良い年だったなと思えたらいいなと思います。

 

━━ 応援しています。今日は長い時間ありがとうございました。

 

堀川:こちらこそありがとうございました。

 

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***

 

気さくで笑顔の絶えない堀川恵選手。

 

彼女の人柄を表すエピソードを紹介してこのブログは終わりたいと思います。

 

 

2022年9月に起こった静岡豪雨の際、ニュースを見た堀川選手は元強化選手でお世話になった岡本理帆さんの家まで弾丸で救援物資を届けたそうです。

 

堀川選手に詳しく話を聞くと、行くことが迷惑になるんじゃないか、そもそも土砂崩れなどで道は大丈夫なのか、いろんな心配もあったけど、大切な人が困っているにのここで動けなかったら私って何なのだろうと即行動されたみたいなんですよね。

 

世界選手権も控えていて大切な時期だったのでは?と質問すると、直ぐに「たかが大会と人の命は比べものにならないですよ」と即答して、「私の1日程度で少しでも誰かの助けになるのならそっち選ぶ以外に選択肢ないです」と笑顔で話していました。

 

 

こんな素敵な選手の話が聞けて、改めて僕は役得だなぁと実感しています。

 

堀川選手、今日は本当にありがとうございました。

 

ではみなさん、また次のブログでお会いしましょう。

 

さようなら~。

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422 )

Photo Credit by Tom Taylor / トム・テイラー

 

※トム・テイラーさんは出口クリスタ選手のお父様です。素敵なお写真本当にありがとうございました。

 

堀川選手のSNSこちらから。

 

インスタグラム

 

 

創造力は武器になる?新時代を歩む柔道家のセカンドキャリア #008 青木雅道

こんにちは、平良賢人です。体作りは主にマクドナルドで行っています。

 

さて、今回オンラインでインタビューをしていた相手は昨年柔道の第一線を引退し、現在はWEB・映像制作を主とする事業をスタートした青木雅道(元旭化成)くん。

 

日本大学の3期後輩にあたる彼は柔道部の全体練習が始まる前に道場に来て、一人で自主練をしているような努力家であり、一方柔道以外のところでは持ち前のユーモアと行動力を駆使して自分が面白いと思ったことを次々に実行していくエネルギッシュな人間です。

 

年末の納会では饒舌なスピーチで笑いを取り、余興となれば寝る間を惜しんで夜中の3時まで稽古に励み、柔道で活躍したと思ったら、引退後に事業を始めたり、カフェをオープンしたり。

 

 

残念ながらカフェはもう溶けてしまった(店舗はかまえず、出店型に変えたらしい)ようなのだが、「理屈や根拠より今は自分の本能や感性を信じて突っ走りたいです」と話すユニークな彼の存在をみんなに広めたくて話を聞いてきました。

 

 

青木雅道、1996年生まれ。宮崎工業高校日本大学旭化成株式会社→WEB・映像制作を主とした101合同会社を設立。現在は一人で事業を手掛ける。柔道選手としても2017全日本学生体重別柔道選手権大会-90kg級第3位や2018全日本実業柔道個人選手権大会-81kg級準優勝などの実績がある。26歳。

 

***

 

━━ 雅道とは大学で1年間しか被らなかったけど、かなりストイックに柔道の稽古やトレーニングに取り組んでいた印象がある。どういう気持ちで練習してたの?

 

青木:高校生の頃から強くなるには「練習量が絶対」だと信じていて、日大柔道部ってみんなめちゃめちゃ練習するじゃないですか。まずそこで負けたくないって気持ちがありました。

 

試合で勝って結果を出すこともそうですが、すごく単純に今日自分はどれだけやれたのか、昨日の自分を超えられたのかという面も人として大切にしたくて

 

━━ 当時、日大の練習は乱取りが毎日6分の20本で、全体練習が終わった後はそれぞれ自主練や治療に行くって流れだったじゃん。疲れも溜まってるし「もう今日はやりたくないな」とか「気分が乗らないな」って思う日はどうやって自分を奮い立たせていたの?

 

青木:やりたくないからやってましたね。

 

━━ ん?

 

青木:自分でも上手く説明できないんですけど、やりたくないからやってました。やりたくないのはみんな一緒なので「嫌だな」とか「きついな」とか思った時こそチャンスだし、やるべきだと思うんです。

 

━━ それはもちろんそうなのだけど、理屈じゃないときってない?

 

青木:やりたくないって気持ちはすごく理解できるんですけど、それこそ理屈じゃないというか、僕の場合は「ここが頑張りどころだ!カーン!!」みたいな勝負のゴングが鳴る感覚があって、辛いことに向き合えば向き合うほどスイッチが入ります。それに、そうすれば一日一日後悔なく過ごせますし。

 

━━ すごい、めちゃめちゃ素晴らしいな、、、。人として大切にしたいと考えていることが、柔道や心の強さに繋がっているんだね。

 

話は少し変わるんだけど、雅道って稽古やトレーニングをストイックにこなす一方で、柔道部の納会なんかでは、けっこうガチなシンデレラの劇してなかった?

 

青木:してましたね。僕と坂東(現日本大学女子柔道部コーチ)が脚本を書いて、オーディションなんかもして。「やるからには本気でやんないと、本番で恥をかくことになるぞ」ってなんかかなり熱量高く取り組んでいました(笑)。

 

━━ シンデレラの練習はどのくらいしてたの?

 

青木:期間は1ヶ月くらいなんですけど、夜中の3時頃までほぼ毎日です。もちろん稽古や自主練をすべてやった上で劇の練習はしていました。

 

 

━━ 夜中の3時!!ガチの劇団じゃん!!

 

素朴な疑問なんだけど、練習で疲れている上、翌朝に朝練が待っているのに何でそこまでやるの?

 

青木:やっぱりどんなことでも楽しい方がいいし、面白い方がいいじゃないですか。スポーツの世界って多少なりとも上下関係や緊張感があって、僕はその空気があまり好きじゃない。こういうイベントでみんなを笑わせたり楽しませたりすることが出来れば、全体の雰囲気も良くなると思ったから、そのチャンスがあるならぜひ頑張ってみたいと思いました。

 

それに柔道部でのポジショニングというか、まわりから面白い人だと思われることで自分が生きやすくなるとも感じていて、そういう狙いも少なからずありました。

 

━━ なるほど、上下関係や緊張感は全部が悪い訳ではないけれど、楽しいに越したことはないからね。

 

青木:怖い先輩が嫌いだとかそんなことはないんですけど、でもやっぱりまわりに厳しくすればするだけ、その矛先は自分にも向くというか。それってすごく自分の世界を生きづらくしてるように見えちゃって。。。

 

例えば「チームのために自分は嫌われ者になる」という考えは、誰にでも出来ることではないし、ある意味すごく尊いことだとも思います。ただそれより僕はごきげんな人にはごきげんな人が集まるみたいな考え方の方が絶対にいいと思っていたので、それを自分で体現したかったんです。

 

━━ うん。すごくいいと思う。今の時代らしいというか、そもそも嫌われたい人なんていないし、チームのためを思って行動している人が傷つくのは見ててつらいとこあるし。

 

ただ、嫌われ者という役回りの必要性も身に染みて痛感したことがあって、、、。だけれどもそんな方法ばかり繰り返していても、現状維持の連鎖が続いていくだけで、ちっともヘルシーじゃないよな。直ぐにじゃなくても、この感覚をすこしずつアップデートしていければいいのかも知れないね。

 

それで、一番の理想は柔道の結果も出て、なおかつチームの雰囲気が穏やかな状態かと。

 

青木:そうですね。大学には柔道をするために来たので、優先順位は常に一番だし目標を達成するために必死に稽古するんですけど、劇とかそういうのはやるべきことを全部やった上でやっているので、僕はこれが正解だと信じています。

 

━━ うんうん、ちなみに雅道たちが劇の練習を遅い時間まで練習することについて「そんなことしてないで早く睡眠とれよ」って声も一定数あったと思うのだけど、いわゆる反対意見はなかったの?

 

青木:あったと思います。うん、ありましたね。

 

━━ そういう時はどう思ってた?

 

青木:しめしめ、こんなに楽しいことを知らないのかって気持ちでした(笑)。

 

ちょっと真面目に話すと柔道部だから柔道だけに一生懸命取り組むというよりも、僕は柔道をしてる以前に青木雅道という一人間なので、自分が「これだって!」って思ったことは全部にフルコミットしたい。それでもしバランスが取れなくなったら本末転倒なんだけど、ちゃんと全部に本気を出せている自信があるので、たとえ文句を言われてもしめしめって思うくらいで特に気にならないです。

 

それが正解かなんてやってみないとわからないんだから、なら自分が面白いと思ったことを信じて挑戦したいですよね。その方が人生楽しいですし。

 

━━ たしかに。柔道を頑張ると決めているから稽古やトレーニング以外のところでエネルギーを使うことに抵抗を感じる部分もあったけど、スポーツと恋愛みたいに両立出来るのならそれに越したことはないよね。

 

二兎追うものは一兎も得ずだけど、二兎追わないといけない時があることを雅道の本能が感じているのかもなぁ、、、。

 

シンデレラは成功だった?

 

青木:大成功でした!!

 

 

━━ 大学卒業後は実業団の旭化成に入社。率直にどうだった?

 

青木:正直最初は僕なんかが旭化成なんておこがましいと思っていたんですけど、やっぱり世界一のチームで一員として戦えるのは誇らしかったです。

 

ただ練習に関しては本当に辛かった。柔道をしてるのにまったく人投げれないの毎日だったので、、、。うん、世界一のチームで一番弱かったのが僕ですね。

 

━━ 社会人1年目で実業団準優勝だよね?順調にみえたけど、苦労してたんだね。

 

旭化成に在籍していたのは約3年と聞いているのだけど、この期間で学んだことや感じたことを教えてもらえる?

 

青木:いわゆるプロ意識と言われるようなものは勉強になりました。コンディショニングだったり、こんなことまで考えていたのかという先輩方の技術だったり。

 

それとこれは感じたことなんですけど、自分の才能を思い知ったというか、本物を見て自分の器を知れたと思います。

 

━━ うん、自分の器というのは雅道にとってどういうものなのか、そしてどのタイミングで感じ始めたのか聞いてもいい?

 

青木:自分はオリンピックや世界選手権で活躍できる器なのかってところです。

 

3年目の実業団で負けたときに「自分はもうここまでなんだな」と感じました。なんていうか無責任に言うのはよくないんですけど、自分の限界みたいなものを、そこが限界だったことないとは思うんですけど、器じゃないことを知りました。

 

限界ではなくて器です。器ってその人が持ち合わせている量じゃないですか。

 

━━ 自分の器がいっぱいになっていることに気づきながらも、それでも戦い続けて、実業団で負けてついに溢れてしまったのかな。

 

青木:そうですね。いま振り返ると本当は学生時代から薄々感じていたのかも知れません。だけど、自分の可能性を信じて、信じられなくなる気持ちを騙して、ここまでやって来たので「もう選手としての戦いは全うしたな」という気持ちでした。現役生活の長さとかは関係なくですね。

 

━━ 現役引退は柔道をやり切ったって気持ちからだったんだね。

 

青木:そうですそうです、やっぱり学生の頃もそうですけど、一日一日を後悔なく過ごすっていうのは社会人になってからも変わらないので、引退を決めた時も「自分はやり切った」って気持ちが強かったです。

 

 

━━ 旭化成を退職後に選択したのは自分で会社を作るという道。会社に残るでも、転職するでもなく個人での事業スタートを選んだのどうして?

 

青木:端的にいうと、既にある組織に所属するよりも自分で作った組織の方が面白いと思ったことが始まりです。それで自分には一体なにが出来るのかを考えた時に、柔道と並行して勉強していたWEB制作や映像制作のスキルを生かせるのではないかと思って、それらを主とする事業を始めました。

 

それといま僕はサブスクでホテル暮らしをしているんですけど、それを見つけた時にすごく感動して「こういうのが普及すれば人のライフスタイルが変わるぞ」ってワクワクしたんです。そんなふうに社会や人の価値観を変えて、より豊かに、より便利に、みんなが生きやすくなるサービス作りたいと考えています。

 

━━ WEB制作ではどんなものを作っているの?

 

青木:WEBと映像を掛け合わせて、伝えたい情報をより分かりやすく、より魅力的に表現したホームページの制作を頑張っています。サブスク型で運営している分、初期費用も抑えられるし、必要に応じて僕が補填や修正もするので、可能な限りお客さんに寄り添いながら一緒に作っている感覚ですね。

 

 【青木雅道くんがスタートした事業はこちらから】

101-pro.com

 

【HP制作実績 日本大学女子柔道部のHP】

nichidai-girls-judo.com

 

━━ やっぱりこれだけインターネットが発達した社会だから、遊びでも食事でも気になった場所はまずググるじゃない。ツイッターやインスタグラムのようなSNSを始めるのは基本的に無料だし、今ではどの会社もやっている訳で運用にもそれなりの再現性がある。

 

だけれども、ホームページはそれらと比べても明らかに入口のハードルが高いし、無料HPもあるにはあるけど、イメージ通りにできるかと言われれば疑問だから、そこに映像を掛け合わせながら寄り添えることは強みだよね。(WEB制作の世界知らんけど)

 

青木:自分の出来ることきっかけに始めた仕事ではありますが、この分野での課題解決にも取り組めたらいいなと考えていて、例えばスポーツの大会でたくさんの人が選手にスマホを向けて、レンズ越しに試合を観戦する光景ってあるじゃないですか。

 

それも何か一つ効率のいいカメラを準備して、あとで配信などネット越しに視聴できるようにすれば、みんなちゃんと自分の目で見て応援する事が出来るし、テレビとビデオを線でつなぐといった手間も省けてより簡単に見れると思います。

 

いただいた仕事には誠実に取り組みつつ、たくさん人たちが喜べるような仕組みも作っていきたいです。

 

━━ たしかに歌手のライブでも大きく映し出されるモニターの方が絶対よく見えるのに、小さくてよく見えない本人をじっと見て目に焼き付けたりしてる。

 

一方で柔道の試合で気になる対戦が実現した時は僕もスマホで動画を撮るからその気持ちもよく分かる。

 

思い出は記録と記憶の両方を残しておきたいってことかな。

 

***

 

【青木くん制作の宮崎県柔道場紹介サイト、通称道場マップもぜひ!!】

 

start-judo.com

 

 

***

 

━━ 事業をスタートしてから今日まで、表に出すエピソードは明るい「陽」の話が多いと思うのだけど、あまり話す機会もないであろう雅道の「陰」の部分に興味がある。人って余裕がなくなると性格キツくなったりするじゃん?

 

青木:上手くいかないことイコール悪いことだとは思わないんですけど、上手くいかない時の自分への向き合い方が分からなくなったことがあって、、、。

 

そうなると僕の中にある問題を「理解できないのが悪いんだ」と社会のせいにしたり、まわりの人に強く当たってしまったり、ピリピリして周囲の人たちにも気を遣わせてしまいました。

 

━━ ふむふむ、早く成功しなくちゃって焦りがあったのかな?

 

青木:成功ばかり考えている訳でもないんですけど、チャンスを掴むのが早ければ早いほど次の道筋が増えるというか、早く行動して損はないなって。

 

ただ僕の中では”焦っている”という感覚だけじゃなくて、ポジティブな気持ちも強くあったので、母に「生き急ぎ過ぎ」だと声をかけられてそこで気づいたって感じです。

 

━━ あー、このあたりは当事者にしか分からない感情かも知れないね。今の時代に「スポ根上等!!追い込んで追い込んで狂うほどの努力を続けて得られるものがある!!」なんて言葉は自分以外に向けるべきではないけれど、でも狂うほどに頑張らなくちゃいけない時期は絶対にあるし、もう自分のケツは自分で叩くしかない。

 

青木:上手くいかなかったことも経験として蓄積されているから、今では同じことが起きても「そんなこと前にもあったな」で乗り越えられるようになりました。

 

━━ 分厚いカサブタになっていそうだね。

 

自分の生き方には相変わらず後悔ない?

 

青木:ありません。

 

 

━━ では、そろそろ締めたいと思うのだけど、最後に話しておきたいことがあればお願いします。

 

青木:このブログが面白いものに仕上がるかどうかは平良先輩の力もあるし、それは現時点でどんな評価を受けるかわからないけど、多分将来”価値のあるもの”になる。そうなるように僕は頑張るし、そんな生き方をします

 

━━ (、、、!!)

 

青木:辛かったことや苦しくかったことだって、これから僕がどんな行動をして何を成し遂げるかによって大きく意味が変わると思うし、全部が繋がって今の自分がある。

 

本当は「いま何してんの?」とか「いまどこにいるの?」とか、僕がしていることを「理解できない」と言っている人がいることも知ってるけど、少し先の未来ですごく面白いものになっているはずだから、これからの僕を見ていてほしいです!

 

━━ そうだね。どんな道でも人生を切り開いていくのは自分自身だから、いま取り組んでいることを信じて進んでいければと思います。もしそれが苦難な道に続いていたとしても、そのまま進んでもいいし、あるいは方向転換してもいいし、どう自分の糧にして繋げていけるか。楽しみにしています!

 

***

 

一度、柔道選手としての自身の器に一区切りをつけた彼は、今度は別のキャリアで自らの可能性に奔走している。ワクワクできることやれるかもと思えることは、今の自分を肯定しながら、新しい自分を見つけに行くことなのかもしれない。

 

そして大抵は上手くいくことなんかより、上手くいかないことの方が多い人生なのだから、どんな結果も恐がらず、一つひとつ思いっきりやるのが有意義だと思った。

 

これから先、自分の信じる道を貫き通した青木雅道の仕事が世間に認められたとき、アスリートのセカンドキャリアにはまた新たな道が切り拓けるのだと信じている。

 

 

Text by 平良賢人 (@taiken0422

 

 

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