※こちらの記事は2020年9月に書いたものです。
第3回はこの人。柴田悠輔先輩(大牟田高校柔道部コーチ)と話しました。
柔道関係者のみなさん。騙されたと思って必ず最後まで読んでください。
選手や指導者、そうでなくてもきっと背中を押してもらえますので!!
前半は柴田先輩のこれまで。
後半はコーチになってからの考え方や取り組み、大切にしていることについてです。
柴田悠輔(シバタユウスケ/yuusuke shibata)
1991年5月20日 福岡生まれ 四人兄妹の三男
職業 大牟田高校柔道部コーチ/寮監督
主な実績
・2012 講道館杯全日本柔道体重別選手権大会 -60kg 5位
・2013 全日本選抜柔道体重別選手権大会 -60kg 出場
・2013 パンナムオープン・モンテビデオ-60kg 5位(国際大会)
・2012,13 全日本学生柔道体重別選手権大会 -60kg 5位
━━ 柔道を始めたきっかけを教えてください。
柴田:兄2人が先に柔道を始めていて、遊び感覚で道場について行ってたらいつの間にか自分も道着を着てたって感じかな。
小1の時に福岡から沖縄に引っ越して来て、最初は那覇にあった「練心館」に入ったんだけど、小5に上がるタイミングで「糸満警察署少年柔道クラブ」に移動した。
━━ 小学生のときはどんな感覚で柔道をしていたんですか?
柴田:柔道が好きと言うよりは道場に行けば友達と遊べるし、試合で3位以内に入賞したら「ファミコンのカセットを買ってもらえる」って約束でそれをモチベーションに練習してたと思う。
━━ あぁ、それあるあるですよね。ウチは優勝したら「二段ベッド」を買ってもらう約束でした。
━━ 小学校を卒業して西崎中へ。僕と先輩は2つ違いだったので、1年間だけ中学校生活が被りました。後輩目線だとやはり「ストイック」というイメージがあります。
柴田:当時の西崎中柔道部は先生が来るまで練習しているフリをして、ゴロゴロするか遊ぶかだったじゃん?
ベランダで1年生に見張りをさせて先生の姿が見えたら「来ました!!来ました!!」って合図させるみたいな。
本当は練習したいけど、真面目にやってる方が浮くみたいな空気もあってそれが嫌だった。だけど俺は「みんな練習しろよ」って言うタイプでもなかったから「やるやつだけでやっとこうぜ」ってそんな感じだったかな。
━━ 引退してからも毎日練習に来てたし、よくロープ登りをしていましたよね。
柴田:高校の進路は福岡県の大牟田高校に決まっていたから、ちゃんと練習しておかないと「絶対死ぬ」と思ってさ。それで引退してからも毎日来てたんだよ。
━━ 高校で大牟田を希望した理由は?
柴田:兄2人が大牟田に行っていた影響。中学校の進路調査書には「第一希望 大牟田高校」としか書いていなくて、担任の先生に呼び出されて「第2、第3希望までちゃんと書きなさい」ってよく叱られてた。けど俺も意地になって「僕は大牟田にしか行きません」ってずっと言ってた。他の選択肢なんて考えられなかったから。
━━ 「進路調査書くらい適当に書きなさいよ」って思うけど、そこで意地になるのも、ものすごく共感できます。
では、ついに始まった高校生活はどうでしたか?
柴田:まず覚えているのが入学時76キロあった体重がハードな練習によって、3ヶ月後には58キロまで落ちていたこと。ライザップばりのダイエットに成功した(笑)
━━ (うわー、笑えねー)
柴田:高1のときは「試合で勝つ」とかそういう次元じゃなくて、毎日を生きる延びることに必死だった。朝起きて「今日も死なないように頑張ろう」って思って、夜布団に入って「よかった、今日も生きてる。明日も死なないように頑張ろう」の繰りかえし。
いちおう試合には1年生から出ていたんだけど、成績はいつも地区大会2回戦負け。沖縄では県大会1位2位くらいの実績だったから「ある程度やれるだろう」と自負していた柔道は全く通用せず、けちょんけちょんにやられて県大会にすら出られなかった……。
━━ 大牟田高校は全国屈指の柔道名門校であり、福岡県のレベルもめちゃめちゃ高い。
柴田:高2になってからは地区大会で入賞できるようになったけど、県大会にはなかなか進めず。1年後、高3最後のインターハイでやっと県大会に行けた。
その県大会でたまたま2位になって、九州大会にも出れて沖縄の友達に再会したら「よく福岡から上がって来れたな!」って驚かれたことを覚えてる。
ちなみに九州大会は初戦敗退。
━━ 高3の大会が終わって進路を決める時期がやってきます。国士舘大学への進学はこれもお兄さんたちの影響が大きかったんですか?(※兄2人も大牟田高校→国士舘大学)
柴田:結果論で話すとそうなるんだけど、じつは筑波大学にも興味があったんだよね。まあ実績はないしどうしたら入れるかも分からなかったんだけど、秘かに「筑波行きたい」って考えててさ。
進路相談で柔道部監督の杉野先生に師範室まで来るよう呼ばれて、怖いけど「筑波に興味があります」って話そうと思っていたら、こっちからその話を切り出す前に「柴田、お前は国士舘でいいよね?」って言われて、「はいっ」って即答しちゃった……。まあそうなるよね〜みたいなね(笑)
━━ めちゃめちゃわかる(笑)
高校時代の話をもっと聴きたいのですが、今回のメインは「大学生活」と「コーチ」にしたいので次へ進めたいと思います。
先輩は「国士舘大学に行って人生が変わった」という印象があって、大学時代のお話をしてもらえますか?
柴田:うんうん。大学で人生が変わったのは本当にそう通りだと思う。
高校時代、何の実績もなかった自分が全国で勝負できるようになったのは間違いなく国士舘で鍛えられたから。
最初に話しちゃうんだけど、コーチだった「百瀬先生」と同郷の「西村先輩」のおかげで強くなれた。
━━ 大学に入学したときはどんな目標を立てていたんですか?
柴田:国士舘でレギュラーになって活躍するぞ!とは正直考えてなかった。まあ大学行くのはタダじゃないし、ウチは母子家庭で貧乏だったけど、母が女手一つで4兄妹全員を大学まで出させてくれているから、ちゃんと試合に呼べるくらいの親孝行が出来たらいいなと。
━━ ふんふん。てっきり「俺は日本一になるぞ!」みたいな決意があったのだろうと想像していたので、なんか意外ですね。試合はどうでしたか?
柴田:1年生の時は66kg級だったんだけど、大学デビュー戦の東京都ジュニアは2回戦で高上に秒殺された。同級生なのに「こんなに強いやついるんだ」ってびっくりしたなぁ。東京学生(※1)は校内予選で負けて、※体育系(※2)はベスト8だったと思う。
(※高上智史選手)
※1 東京学生柔道体重別選手権大会 8月
※2 全国体育系学柔道体重別選手権大会 2月
2年生になって東京学生には出れたんだけど、その時も2回戦で高上とあたって、また同じ負け方で秒殺された。試合後に「俺、1年間何してたんだろうな?何も変わってないじゃん。ここらへんが限界なのかな?」ってけっこう落ち込んで悩んで……。
それで、体育系の校内予選があるときに普段から体重が64キロくらいだったから「60kg級にしてみようかな」と思ったんだよね。
━━ 分岐点ですね。
柴田:まず兄2人に相談したんだけど、次男には「お前が出来るんなら勝負してみたら?」って言われて、長男には「66で高上に負けて、勝てないからって逃げる感覚で60にするのならやめろ」と言われた。
自分の中で「確かにその感覚かも知れない」っていうのと「けど60kg級で勝負してみたい」ってうやむやしてたら、あっという間に体育系校内予選の締め切りが来て、百瀬先生に相談しに行ったんだよね。
先生の部屋に行って「今度の校内予選、60kg級で出たいんですけど」って伝えたら2秒後には「だめ。帰れ」って追い返された(笑)
だけど「もう60kg級でやる」と決めたから、また次の日に怒られる覚悟で「1回60で勝負させてください」ってお願いしに行った。そしたら「そこまで言うなら条件を出す。校内予選で1位通過できたらいいよ。けど、それ以外なら試合に出さない。それでも60にしたいんだったらどうぞ」って言われて、「分かりました。じゃあそれでやらせて下さい」って流れに。
━━ それでそれで?
柴田:校内予選は無事1位通過したよ。でもこの話にはまだ続きがあって、校内予選が終わったあと百瀬先生に呼ばれて「体育系で3位以内に入れなかったら60は諦めろ」と言われた。
体育系ではギリギリ3位に入れて「わかった。約束だからこれからは60kg級で頑張れよ」ってやっと認めてもらえて。そこから大学は正式に60kg級でやっていくことに決まったね。
━━ 百瀬先生は階級を落とすことに、なんでそんなに反対してたんですか?
柴田:指導者になってから「減量して成功した選手を見たことがない」っていうのが自論だったみたい。たしかに国士舘大でも減量で苦しんでいる人は多かったし、当時は試合も当日計量だったから。
まあ、そんな中で俺は先生との約束を果たしたし、普段から節制もしてたから「お前だったら大丈夫」って感じだったんじゃないかな。
━━ なるほど。
節制の内容って聞いてもいいですか?
柴田:俺は貧乏だったから、お金がなくて「練習帰りにちょろっと飲んで帰ろうぜ」とか「外食しようぜ」ってことが出来なかった。毎日寮に直帰して質素なごはんを食べたり、昼ごはんは自分で米を炊いて学食の安いおかずを買って済ませてたなぁ。
まあ結果的にお金がないおかげで身長が170センチあっても60kg級でやれていたんだと思う。
━━ 60kg級に階級を下げてからの先輩はそれまでの結果とは比にならないくらいの快進撃を続けます。講道館杯で準決勝に進出し「全日本強化選手」になるまでの道のりを教えて下さい。
柴田:まず3年生になって出場した東京学生でべスト8に入ったのね。翌月の全日本学生(※1)では東京学生に続きまたベスト8。東京も全日本もどちらも同級生の志々目に負けたのは悔しかったけど、自分の力で講道館杯を決めることができたのは嬉しかった。
※1 全日本学生柔道体重別選手権大会
そして講道館杯。
1回戦は当時高校1年生だった永山。高1だし「さすがに負けないだろう」と思ってまったく研究しないまま試合に入ったら、これが本当に強かった。先に指導を取られて劣勢ながらG Sでなんとか有効を取ってギリギリの勝利。
2回戦は寝技で勝って、3回戦は優勝候補に勝って上がってきた選手に大外刈りで勝って、準決勝で志々目。「またお前かよ」って思った試合は判定2―1負け。3位決定戦は高藤だったんだけど、すでに体力が尽き果てていてフルボッコにされた。だから最終的な成績は5位。負けたのは悔しかったけど、準決勝まで行けたことに満足感もあった。
━━ 僕は会場で試合を見ていたんですけど、先輩が勝ち進むたびに「すげー!!」って興奮したのを覚えています。
講道館杯後、強化選手になったんですよね?
柴田:うん。これは大学を卒業してから聞いた話なんだけど、講道館杯の後に強化選手を決める会議があって、鈴木先生は国士舘だし教え子だから「準決勝まで勝ち上がった柴田を強化選手に推薦します」って推してくれたらしいのね。
けど、まわりの先生はみんな「柴田?誰?」状態。「全日本学生はベスト8だし、今回だって強化選手には勝ってない」って意見が大半。
そんな時に井上先生が「それでも準決勝まで上がった実績は認めてあげましょう」って意見して、2人以外に反対されながらもなんとかねじ込んでくれたみたい。
━━ す、すげえ、、、。こんな話、ブログに書いていいのだろうか、、、。(みなさんお気づきかと思われますが、この2人って「鈴木桂治」と「井上康生」ですよ)
全日本の強化合宿はどうでしたか?
柴田:当時、国士舘は強化選手が少なくて、合宿に行っても知ってる人はいないし俺も人見知りだし、毎回毎回が憂鬱だった……。
━━ (憂鬱の理由それ?練習がキツいとかじゃないんだ)
4年生の春には選抜(※)にも出ていますよね?
柴田:うん。結果は初戦敗退なんだけど、その試合シバロックで抑え込んだんだよなぁ。だけど、いまみたいに認知されていなかったから「抑え込み」を言ってもらえなくてさ。関節狙いに切り替えたけど逃して、最終的に有効取られて負けた。
※シバロックは、柴田先輩のお兄さんが開発した寝技の技術。
シバロックとは仰向けになった相手の右腕を固めながら相手の右側面に付いて抑え込む崩縦四方固。その際に相手の背後に自らの両脚が入り込んだ状態になる。この抑え込みは縦四方固に分類される。国士舘大学の学生によって開発されたと言われている。なお、2018年からIJFは腕を覆わない形のシバロックを認めなくなった。別名4869(しばろっく)。
柴田:試合後、百瀬先生に「高校県2位が選抜にまで出られたら上出来だよ」って言われたのをすごく覚えてる。でも悔しかったなぁ。「俺が出ていいの?」って思いも確かにあったんだけど、負けたのはやっぱり悔しい。
━━ 大学生活最後の1年はどうでしたか?
柴田:なんとか全日本学生には出れたんだけど、結果は昨年と同じベスト8。
講道館杯は1回戦で負けた。それで強化選手も落ちちゃって……。ただ自分でも強化選手に入れたことはまぐれだと思っていたから、まあこんなもんだろうなって。
もしここで勝っていたら、まだ悪あがきしてたかも知れないけど、初戦敗退だったことで踏ん切りもついた。現役はパンピーなりに頑張っただろ?って気持ちだった。
━━ 僕を含めて先輩の活躍に勇気づけられた人は多かったと思います。大学卒業後の進路はどう決まっていったんですか?
柴田:大学2年生くらいから柔道を教えたいなって気持ちがあったから、杉野先生に「大牟田高校で柔道に携わりたいのですが」って内容の手紙を書いて、それを機に入れていただいた。
━━ そうだったんですね。
柴田:大学を卒業して大牟田に戻るときは「もうやり切った」って気持ちだった。授業がなくても大学に行って、道場でトレーニングをしたりウエイトをしたり。まわりの同級生からは「変人」って言われていたけど、それでも4年間頑張れたのは「俺は大学4年までしか柔道をしない」と決めていたからでもあって。
だけど、いかんせん負けず嫌いだから高校生と練習してて投げられるのは悔しいし、朝練のダッシュだって負けると悔しい。そんなんだからコーチになって2年目、3年目までは本当に生徒たちと同じ練習メニューをこなしてた。
もともと大牟田では指導に専念しようと思っていたんだけど、杉野先生が「自分の納得がいくまで現役は続けていいんだぞ」って言ってくれたのもあって、それで最近まで国体や実業団の試合にも出場してたみたいな。
一昨年の実業団で準々決勝まで上がって久しぶりに講道館杯に出れた。そこで選手としての踏ん切りはついたから、いまは自分のことよりも生徒のために頑張ろうと思ってる。
***
━━ ここからは「コーチになって」という視点でお話を聴いていきたいと思います。生徒と関わる中で大切にしてることを教えて下さい。
柴田:自分自身まだまだ勉強中で、先生方から指導していただくこともあるし生徒から学ぶことだってあるんだけど、柔道が強くなる以前に「柔道家」であって欲しいと思ってる。
大牟田に戻って来て、一番最初に生徒たちに話したことは柔道ではなく「時間を守る」「嘘をつかない」「靴のかかとを踏まない」って内容でさ。
これは俺の持論なんだけど、それが出来ておけばたとえ柔道が弱かったとしても、社会に出たときに生きていけると思ってる。
この話はいまでも相変わらず言い続けてるよ。
━━ 「強くなる以前に柔道家であって欲しい」。本当にその通りだと思います。柔道家として生徒たちにはどんな人間になってほしいですか?
柴田:これは杉野先生がよく話しているんだけど「応援される人になりなさい」っていう言葉がすべてと言うか大切だと。
試合で勝ってるときはどんなに馬鹿でもチヤホヤされる。だけど、いつか負けたときに「ほら、あんなことしてるから負けたんだよ」って、後ろ指をさされているうちは本物の柔道家ではない。負けた時に「あいつはいつも頑張っているから、応援してあげなきゃな」って思われるくらいの人間になりましょうって。
だからこそ「嘘をつかない」とか「時間を守る」っていうのが大切。別に時間なんて守らなくても柔道は強くなれるけど、試合に負けたときに「あのとき遅刻したから。あのとき嘘をついたから」って、少しでもやましい気持ちがあるうちは勝てないよって生徒には話してる。
やること全部やって、それでも勝てなかったらそれは指導する側の責任だから。
━━ 上手くいかないときにこそ、まわりから応援される選手は理想ですよね。それこそどんな世界に行っても通用すると思う。
柴田:面白いエピソードがあるんだけど話していい?
卒業生の中に日本一を狙える生徒がいて、インターハイで「こいつ、絶対優勝するな」って思った出来事があったんだよね。
開催地に移動して宿泊先の旅館に着いたら、玄関のスリッパがごちゃごちゃになっていたんだけど、その子がすぐに気づいて自分からササっと並べ始めた。それを見て「ああ、こいつは優勝する」と確信した。
そしてインターハイでは順調に勝ち上がってベスト8進出。だけど、準々決勝のアナウンスがされているのになかなか試合場に来ない。
3コールされたら失格なんだけど、2コールされた直後に「すみません、トイレ行ってました!!」ってあわてて走ってきた。間に合いはしたんだけど、肝心の試合はギリギリで負けちゃって。「すみません、すみません」って謝りながらわんわん泣いて……。
大会後、旅館に帰って夕食を食べていたらその子が俺のところに来て「柴田先生。自分、負けた原因わかってます。準々決勝の前にトイレをしてたら『アナウンスされてる!!』って聞いて、ヤバいと思って急いで向かったんですけど、トイレから出るとき、僕はスリッパを並べていないんですよ」って話してくれてさ。
それ聞いたとき、俺すごい泣きそうになって......。教えていたことは間違っていなかったんだなって。そういう選手が強くなるんだと思う。
━━ 指導方針とかって聞いてもいいですか?
柴田:基本的な指導の形は昔からあるんだけど、杉野先生には「お前が思うことをちゃんと教えてあげろ」と言われていて、まあ「確かな知識と情報量を持って指導する」ことは大切にしてるかな。
いろんな人から「大牟田はどんな練習をしているの?」って聞かれるんだけど、別に大したことはしてなくてただ本当に基本に忠実なだけ。それこそ技術的なところだと「相四つは引手から絞りましょう」「けんか四つは釣り手を立てて前に出ましょう」とかそんなことしか教えてない。特別なことは何もしてない。
***
━━ 最後にいくつか質問をしたいと思います。
今後やりたいことを教えて下さい。
柴田:杉野先生と大牟田高校に恩返しがしたい。
━━ 柔道から学んだことは?
柴田:何事も「考え方」と「やり方」次第で勝負することができる。やればやるだけ自分にリターンがあるよって教えてくれたのが柔道だった。
━━ 沖縄の柔道界に一言お願いします。
柴田:偉そうなことを言える立場ではないけど、生まれ持った身体能力は比較的高いと思っていて、だからこそその能力を十分に生かす為の環境や情報が必要だと思う。立地的な問題で難しいところもあるだろうけど……。
━━ 座右の銘を教えて下さい。
柴田:凡事徹底。誰でも出来るようなことを、誰もマネ出来ないくらいやる人が本物になると思ってる。
━━ いい言葉!!僕もどこかで使わせていただきます(笑)
では、このへんで終わりたいと思います。柴田先輩、今日はありがとうございました。
柴田:ありがとう!お互い頑張りましょう!!
***
今回の取材はオンラインでさせていただいたのですが、あっという間に時間が過ぎて最後の方は「すみません、あと1つだけ。あ、もう1ついいですか」をくりかえすことになりました。
本文には入れませんでしたが、柴田先輩との話の中で、僕がいちばん心に残っている質問を紹介してこの記事は終わりたいと思います。
***
━━ 「才能」っていったい何なんでしょうか?
柴田:俺は人間誰しもが何かしらの才能を持っていると思ってるよ。
例えば柔道なら一概に「柔道が強い」って才能はなくて、もっと小分けにした「バネがある(内股がかかる)」や「観察眼がある(組み手が上手い)」、「負けず嫌い(コツコツ努力できる)」みたいなイメージ。
自分の才能を早い段階から見極めて、それをどれだけ人生に生かせるかが大切なんじゃないかな?
Text by 平良賢人 @taiken0422
今回取材させてもらった柴田先輩のSNSはこちら。悠輔先輩、ありがとうございました!